歴史的には、以下なので1980年ごろの入学までは岡山も千葉と変わらない立派な旧六。
むしろ関連病院の広がりは、東大・慶応が40キロ圏にあった千葉よりも、岡山の方が
良かったんじゃない?

2000年前半の新研修医制度前後で偏差値は大きく違うよ。新研修医制度前は医局制度が
がっちりしていて、入学大学で卒後のコースがかなりしっかり決まってしまっていた
印象があるけど?年代を考えないと、岡山の先生に失礼だよ。

科目数の問題があるが私の頃は、駿台全国模試だと千葉医 63、理1 60、理2 58
眼中になかったので実際の偏差値を覚えていないが、関東周辺の新設だと筑波や山梨は
東工大とどっちが上?程度だったと思うのだっけど?当時は東工大未満の新設国医も
結構あったと思う。まだ理工系が良かった時代だから。

ちなみに、1965年までは理1≧理3だからね。旧帝旧六>新八等旧医専系。
驚くなかれ、旧制最後の1954年入学生が新制以降にあたり試験を行った結果。
千葉医大薬専>医科歯科予科=金沢医大薬専>長崎医大薬専
医科歯科予科から本科進学時に医科と歯科でどのようになっていたかは不明だが、
それは歯界では最高峰、医界では当時は2流だからね、でも人気のない方が医でも
歯でも千葉医大薬専より易しかったわけ。私の頃はまだ歯が高収入の時期だから
千葉薬<医科歯科医または医科歯科歯はあり得なかった。この地殻変動は医歯が
国民皆保険で保険適応になって急速に収入が良くなったから。

大正の高等教育拡充期および戦中の粗製軍医量産期
・旧官立岡山医大>府立大阪医大(阪大)=京都府立医大
 >>(戦中の粗製軍医量産期)県立兵庫医専(神戸)=市立大阪(女子?)医専

明治期の設立順
・帝国大学医科大学(東大)=旧第1高等中学校医学部医学科(千葉)
             =旧第3高等中学校医学部医学科(岡山)
 >(約10年遅れ)京都帝国大学医科大学