円歌師匠マジかよ…
https://mainichi.jp/articles/20170424/k00/00m/040/120000c
「山のあな、あな」のフレーズで人気を博した落語界の重鎮で落語協会最高顧問の三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか、本名・中澤円法=なかざわ・えんぽう)さんが23日、死去した。88歳。

東京都墨田区向島出身。岩倉鉄道学校(現岩倉高校)卒。学徒動員で山手線新大久保駅に配属され駅員生活を送った。戦後の1945年9月、二代目円歌に入門し歌治。48年歌奴(うたやっこ)で二つ目昇進。
初めてメガネをかけた落語家で、「山のあな、あな」と繰り返す「授業中」をはじめ、「浪曲社長」「月給日」などの新作落語で人気を得た。
58年、戦後入門組としては初めて真打ちに昇進。興隆期のテレビにも数多く出演し、初代林家三平らとともに、大衆にアピールする落語の新時代を開いた。映画には、66、67年の東宝「落語野郎」シリーズなどに出演した。
70年、三代目円歌を襲名したのを機に、古典落語にも力を入れ、71年「三味線栗毛」で芸術祭優秀賞を受賞した。
85年には得度式を行い、僧名円法を得て改名した。96年、五代目柳家小さんの後を引き継ぎ落語協会会長に就任。2006年まで務めた。後進の指導にも尽力する一方、近年の高座では、自分、先妻、後妻の両親計6人を抱えることになったことをテーマにした新作「中沢家の人々」を得意とした。
2002年、勲四等旭日小綬章受章。
戸籍では1932年生まれだが、本当は29年生まれ。空襲で戸籍が焼け、作り直す時に間違えたという。