◆モモ:レターポットのユーザーさんは「将来の5,000円の出費が減ることは、
 5,000円を得たのと同じ。収支のタイミングをずらしている。」って西野さんの考えを
 そのまま受け入れているイメージ。

 確かにレター1,000文字は日本円に換算してしまえば5,000円分の価値があると
 認識することができるわけで、これを贈りあえば結果的に5,000円分の価値が
 “お金をかけることなく”動き続けることになるよね。

 んで、本質は次。レターポット内で5,000円分の価値が動いていたとしても
 “社会的に見て5,000円分の価値が動いているか”と言われると、
 そうでもないよということ。このあたりがレターポットをやっていない人
 にとってはそうそうー!ってなるとこだと思う。

 実はレターポットがやっていることって“デジタルの文字を送るだけ”なんだよね。
 それって社会一般感覚で見たら「LINEやTwitterだったら無料でもできるよね?
 5,000円分の価値はないよね?」ってなるわけです。

 当然、実際にはLINEやTwitterで送るのとは差異があるはずなんだけど、
 それをきちんと説明できないうちは、レターポットの真価を理解してもらうのは難しいよね。

 「レターポットの価値を理解できる人がレターポットに参加しているのだから、
 参加していない人の価値観は重要ではないよ」という意見もあると思うんだけど、
 せっかくならより多くの人に理解してもらえるように、ロジックを組み立てたくないですか?

 あー、そうだ、あとあと。レターポットは恩贈りだから返事をしてしまったら
 別の人や別の機会に贈ることができないみたいな理屈あるやないですか。
 贈り物もらったら、やっぱりお礼の言葉を贈りたくないですか?
 ありがとうって言いたくないですか?

◆西野:お礼はLINEや電話で言えばいいのでは?
 プリンを贈ってくれた相手にプリンを贈り返すのはやめよう、という理屈です。
https://twitter.com/nishinoakihiro/status/955592409705988096

◆OYAJI[ポ] @uragoe
 5000円分の価値を感じられない人は無理にレターポットをせずとも
 LINEやTwitterをやっていれば良いだけの話です。

◆モモ:やっていない人に説明できるロジックを確立できると、
 より多くの人に輪が広がりますよね。
 価値を感じてくれる人だけがやってくれたらいいっていうのは、宗教と何も変わりません。
 “この壷には信じる人だけ救われる神が宿っていて”と言っているようなものです。

◆金坂 佐知子[ポ] @sachikopeacock
 これは、きっと生きてる時間軸が違うから価値が違うんだと思う。
 多分昭和な感覚なんだろうなぁ。