11月24日 14時40分

札幌市で3期12年にわたって市長を務め、プロ野球日本ハムの北海道誘致に尽力した桂信雄氏が今月16日、市内の病院で亡くなりました。90歳でした。

桂氏は札幌市出身で、昭和28年に札幌市役所に入り、教育長や助役などを歴任した後、平成3年の札幌市長選挙に立候補して初当選し、平成15年まで3期12年にわたり市長を務めました。
この間、平成9年に北海道拓殖銀行が経営破たんした際には中小企業への融資や失業者の再雇用の支援などにあたったほか、札幌ドームの運営会社の社長も務め、プロ野球日本ハムの北海道誘致などに尽力しました。
平成18年に日本ハムが札幌に本拠を移してわずか3年で日本一に輝いた際には、「誘致をした当時はほんとうに北海道までプロ野球選手が来てくれるのか心配だったし、札幌ドームが満員になるか不安だったこともあったが、道民がみんなで応援できる球団を築きあげてくれた」と振り返っていました。
札幌市によりますと、桂氏は今月16日、市内の病院で直腸がんのため、亡くなりました。90歳でした。
葬儀は近親者で執り行ったということです。

【秋元市長「節目の時代にかじ取り」】
平成14年から1年余り、秘書課長として桂氏の市政を支えた札幌市の秋元市長は、「20世紀から21世紀へと社会が大きく変わる節目の時代に、札幌市のかじ取り役として、市民の誇りとも言うべき札幌コンサートホール『Kitara』や札幌ドーム建設など都市基盤の拡充や住民福祉の向上に心血を注がれました。市民を代表して深く感謝を申し上げ、心からご冥福をお祈りします」というコメントを発表しました。

【堀元知事「堅実な人柄 残念だ」】
桂氏の市長在任中、平成7年から8年間、ともに地方自治に携わった堀達也元知事(85)はNHKの取材に対し、「行政マン出身で、あまり政治家らしくなく堅実な人柄だった。北海道新幹線の整備に向けて予算を獲得するため、しょっちゅう一緒に東京に行き、国に陳情を行ったことが印象に残っている」と振り返りました。
そして、「桂元市長とは知事を退いてからも交流があり、最近はどうしているかと思っていたやさきの訃報で驚いている。大変難しい時代にともに地方行政に携わった身として大変残念だ」と、桂氏の死を悼んでいました。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201124/7000027209.html