【京都】「川でつながる」テーマに秋晴れの下、交流の輪広がる 崇仁地域で「東九条マダン」初開催[11/03]
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秋晴れの下、華やかな衣装でパレードする参加者たち(3日午前10時21分、京都市下京区・元崇仁小)
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在日コリアンや日本人らが交流する祭り「東九条マダン」が3日、京都市下京区の元崇仁小で開かれた。東九条(南区)以外では初めての開催となり、秋晴れの下、朝鮮半島の伝統的な打楽器の音色が会場にこだました。
マダンは広場の意味で、在日コリアンの文化の継承や民族間の交流を目的に、地元住民や関係団体でつくる実行委員会が1993年から東九条で開いてきた。今年は「川でつながる」をテーマに、高瀬川に沿って隣接し、市立芸術大の移転を2023年に控える崇仁地域が会場になった。
祭りは民族衣装を着たパレード隊の入場で華やかにスタートした。梁説(ヤンソル)実行委員長が「色んな人のつながりや協力があって開催できた。マダンをつなげ、広げていきましょう」とあいさつ。崇仁お囃子(はやし)会による演奏のほか、子どもや大人約100人が輪になって踊りながら太鼓を打ち鳴らすプンムルノリなどが、ステージで繰り広げられた。
民族衣装の試着や楽器演奏を体験できるコーナーもあり、来場者でにぎわった。実行委員の浦宏年さん(41)は「崇仁がこれだけにぎやかなのは珍しく、地元の人もたくさん来てくれてうれしい」と話していた。
京都新聞 2018年11月03日 23時19分
https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20181103000137 清国をイギリスではチャイナと呼んだ。フランスではシノワと呼んだ。スペインではチノと呼んだ。ロシアではキタイと
昔ながらに呼んだ。日本ではシナと呼んだ。
もともとの語源は秦(チン)で、これがヨーロッパに広まるとシナやチンと発音され、それを隋の僧侶が字をあてたのが「支那」
それを日本は輸入して使ってただけ……。
しかし、これが差別語だと言いたてられた。そして現在、日本ではマスゴミによってシナと呼べない風潮になった。
これに味を占めたマスゴミ内の通名使用在日鮮人達は「朝鮮人」は差別語だと言い始めた。韓国人・大韓人と呼べと。そして
在日の北朝鮮人はどう呼ぶのかと問うと、引っくるめて在日コリアンと呼べとw
日本では「朝鮮人」は北朝鮮・韓国を併せた概念。故に韓半島では無く朝鮮半島という。そして元々我国には本朝や帰朝の
語があることから、「朝人」では無く「鮮人」と呼んだ。これは亜米利加人を「亜人」では人でなくなるので「米人」と略す
のと同様。
しかるに、通州事件などの支那人と同じく、朝鮮人・鮮人についても自らの積み重ねた「朝鮮進駐軍」などの悪虐行為によって
蔑視感が生まれたにもかかわらず、それを「差別」だと言い募っているw
日本人はマスゴミに巣食う成り済まし帰化人や通名使用在日鮮人の「人権」の美名の元に行われる間接侵略の一環たる言葉狩り
に屈すること無く「支那人・鮮人」を使うべし。
日本では元々、
・中国とは大陸国家のことでは無く、秀吉の昔から岡山県〜山口県のことを言う。
・東海とは日本海のことでは無く、愛知県〜静岡県のことを言う。
そして在日コリアン(在コ)はやはり「在」留許可を受け「日」本で生活する北朝「鮮」・韓国「人」略して、「在日鮮人」と言うのが至当。
勿論、犯罪を犯した北朝鮮・韓国人を「不逞鮮人」と言うのはお約束。
なお、偉大なる文字という意味のハングルも使う必要なし。鮮語・鮮字と呼称すれば良い。
なお、レンコリ(ネトウヨ連呼リアン)を一言で表す近頃の流行りは「パヨク」 河原町通と鴨川にはさまれたあの辺りはよそ者がチャリで走って
空気が違うと感じたがよそ者の気のせいか? スウジンもいよいよ雰囲気が変わってきたかと画像を開けば、なんのことはない 最近は駅近だから民泊とか簡易宿泊所とかが増えている地域だ。外国人からすれば因縁とか気にしないし、自国の危ない地区よりも安全だし。 >>2
スペインでは、チノ・コッチーノっていわれてる。 ずいぶん再開発されたけど、線路の南を歩いて鴨川まで行っても大丈夫なのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています