【兵庫】「江戸時代、賤民視された人々」「通婚差別も、ゆるやかに交流」 地図から消えた夙村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り[10/02]
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夙村の跡。現在はスギやヒノキの植林に覆われている=2018年9月23日午前10時29分、兵庫県篠山市味間南で
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夙村の人々との香典のやりとりを記した香典帳を手にする御前さん。「しく」「夙」の字が見てとれる。
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夙村跡で墓参りをする味間南の住民たち
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兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。
■通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。
夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。
「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。
■柿渋師集団の村か
嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。
柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。
酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。
■疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。
「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。
■大火相次ぎ、明治期から供養
その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。
そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。
さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。
今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。
今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。
丹波新聞 10月02日
http://tanba.jp/2018/10/%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9F%E6%9D%91%E3%80%80%E7%A5%9F%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%80%81%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%82%89%E6%AF%8E%E5%B9%B4%E5%A2%93%E5%8F%82%E3%82%8A/ 自民党がアメリカに指示されて
日本人絶滅の為に少子化を断行
夙村の近隣の田舎も消滅して
日本は終わりに向かう
日本のガン、自由民主党 こう言うとこで運悪く生まれてしまったあったら一生を山から出ずに終えそう 柿渋はカビ生えるから疫病はありえないことでもないかな。
最近は無知な建築家がたまに見てくれのよさから使用してるけど
そういう用途には向いてない。 差別をなくす強調月間 可能か?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/koumu/1532521117/
「差別をなくす強調月間」ってポスターを見たんだが
戸籍謄本を個人が合法的に入手可能ってのは流石にヤバくないか?
個人は如何なる理由であれ戸籍謄本を入手禁止にすべきであると思うんだがどうよ?
戸籍謄本ってのは差別の為に悪用されるケースもあり得る(残念すぎるが)
流石に壬申戸籍までは手繰れないにしても先祖代々の産まれた場所を教える必要が何処にある?
再婚か再々婚かなんてお相手の親族に公開する必要があるとは欠片も思えんし、先祖の情報など絶対いらない筈
結婚要件具備証明書(独身証明書)に子供(扶養卑属)がいるか否か書いておく事にすれば必要十分でしょ?
銃火器を野放しにして「乱射をなくす強調月間」ってあったらどう思う?
麻薬等を野放しにして「濫用をなくす強調月間」ってあったらどう思う?
戸籍等を野放しにして「差別をなくす強調月間」って・・・
相続等の戸籍が絶対に必要なケースもあり得るかも知れんが
司法書士・弁護士・捜査機関等の有資格者だけに特例で発行って事で良いんでね?
使用後には廃棄を義務付け、絶対に個人の手に渡さないって扱いが必要だがね そうそう、山菜採りに山の中に入ってゆくと
なんで此処に?って場所にお墓があったりする。 人がいるだけで税を取れる時代に集落を見逃すなんてことあるわけないだろ
人がいなくなったのなら疫病か災害で人が住めなくなっただけ アイヌとザイヌ、ウチナンチューとウリナンチュー、
江戸時代から日本に住むエタ非人と、明治以降に勝手に入ってきた朝鮮人は区別したほうがいいよ。 >>1
こういう話はしゅくしゅくと後世に伝えてほしいね 被差別の対局には天皇がある
天皇を正当化するには被差別が必要 祟りを恐れるというのは…
祟られるような…
思い当たる節があった…
そういうことなんでしょうなあ… 時は平成、ホームレスと呼ばれた人々は、
社会保護をうけることもできず、河原や公園の隅にビニールシートで暮らしていた。
住民票も交付されず、社会的には存在しないものと認識されていた。
今の世の中から見ると、恐ろしい差別がひろがった時代である。 >>22
カムイはマルクス思想に取り憑かれて作り上げた理想郷だもの。
差別があるから革命する!というのではなくて,革命には差別
が必要だということだから。 罪人や、奇病痴ほうなど劣等遺伝子を持つ人らを
一か所に住まわせ、政治的に利用して生かしておいた村。
「下見て暮らせ」これな。 >>24
そういう人々が開放された現在では
身元を隠して結婚して異常な子供を生んだり
職場で被害妄想から同僚を殺したり解かいろいろ起こるようになった。
日本だけではない。
海外でもいろんな民族のエタヒニンが異常者の遺伝子をバラまいて悲劇を生んでいる。
「政治的に」と言うなら生かすのでなく殺すべきだったよな、後世のために。 >>1に限らず、この手の話は疑わしいものが多い。
ことに最近になって急に拡散され始めた話はなおさらだ。
ネットが普及して間もない頃に流行った「杉沢村」の話みたいなもんだ。
バブル時代にも、地価が上がったのをいいことに「一番高いうちに早く売っちゃおう!」
と大急ぎで処分して引っ越していったため急速に住民が減った地域がたくさんあったが
それも将来は左翼によって「住民がアベ政権によって処刑された」ことにされるかもな。 >>1
地方分権の尊重と格差撤廃をテーマにして大日本会議を開催しろ!wwwww 昔は冷蔵庫も水道も無いんだから動物の死骸なんかすぐ腐るし臭いし、伝染病や寄生虫のリスクが高い
違う民族が交流しても伝染病や寄生虫のリスクが高い、子供は奇形の割合が高くなる
科学と宗教は未分離だったから、
リスクの高い職業集団や少数民族を宗教的戒律として隔離した
被差別部落には科学的な合理性があった ただまぁ、柿渋屋ってのは初めて聞いたな
秋以外は行商か
季節によって移住する流浪の民だったんだろうな >>29
関東のエタは死骸の解体とかの汚れ仕事は子分の非人にやらせて自らはその利益だけ貰ってたけどな
>>30
夙は定住民だよ もう日本の「賤民差別」というのはそもそもそこまで酷いものではなかったというのは
最近の研究で報告されているよね
部落差別はむしろその緩やか状態だったものを
解同なんかの団体ができてからそこが本来の意義とは別のヤクザや左翼テロ組織が
そのままのっかってきて利用したから
むしろ「部落問題」として逆に現代になって大企業の就職なんかでも避けられるということがおきたんだよね
この本当は「逆転しいていた構造」というのを
いまだに悪用している組織的犯罪者集団がそもそもの問題 カムイ伝でも初期の無知でサヨク思想まみれだったえった非人の表現から2部や外伝では自立した職能集団として描かれて
作者も少しは勉強したんだなって関心したもんだ でもって
そうした悪の元凶になっている組織や暴力団なんかのトップはどういう人たちか…
えっ 日本人じゃないじゃん (@_@;) というね
あとは説明の必要すらないよな >>33
そうそうそこなんだよね
じつはちゃんと調べればわかることだった
それは今でもそうだし 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り
これこそカルト宗教だよ、きょうび祟りって何?(笑) >夙の氏神であった加茂神社
興味深いな、渡来系技能集団だった可能性。
非農耕集団だったゆえに周囲とは別視されたことによる蔑視か?
まあ全国に加茂系神社はあるのだが・・・・ 幻の漂流民サンカなら興味深い。何か文献は残ってないのか? 在日への差別は理由があるけど
部落差別には何の理由もない
徳川幕府が農民対策のために
差別される者たちを作った理不尽さ
ここは人権問題板ですか?
それともネット社会が進んで
タブーからオープンな話題になったのですか? 夙川
っつう、所が有ったな
珍しい字に地名だと思ったが
なるほど >>31
酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。 >>40
部落の起源は平安時代
伝染病や寄生虫のリスクの高い汚れ仕事やる奴らを宗教的戒律として隔離した
縄文系が多かったのは事実だろう
ヤバい話だから誰も真面目に研究しないが 不可触民の起源は大体は民族差別
民族が違うと伝染病や奇形のリスクが高かったから、そいつらを隔離して汚れ仕事やらせた
差別には一定の科学的合理性があった
縄文人→穢多
朝鮮半島に残った弥生人→白丁
こういうイメージで大体間違ってない
右からも左からも刺されるから誰も言わないが 西宮市の「夙川あたり」の住民も「賤民の子孫」だね! 笑
「芝村」と同じだ 食肉・牛豚殺し ハム工場が名残りだね!
特定目的地区改良住宅の密集地域だね! 「万引き家族」には荒川8丁目の団地が出てくる
あそこはガチの部落
監督も当然それ知っててロケしてる >>48
夙川はゴロゴロ岳から流れる川の名前や
山の正式名称がゴロゴロ岳やで >>32
朝鮮の差別は本当に人間として扱わない、豚と同じ扱いって本当?
朝鮮人の黒人への差別感覚も動物と同じって本当? 高麗の始祖の王建は満州人
末期の貴族はモンゴル人だらけ
これにクーデターを起こして李氏朝鮮建てたのが李成桂
これも満州人
朝鮮の上流は民族が違う
だからああいう社会構造になる 都内足立区の本木地区に行ってみろ池沼が昼からウジャウジャいるから 江戸時代の社会システムって家っていう概念で作られていて
身分制度っていっても家の概念を使ってどうにでもなったんだよな
武家、百姓、町人といカテゴリの他になぜかわからないが
百姓の概念に近い部落ってのがあったってだけだろ 痛恨の一撃を
2コンの一撃だと
ずっと勘違いしてた
あの頃を思い出した 平安とはそれまでの被差別民の怒りをしずめる時代だったから リカチョン 朝鮮在日白丁移民な上にBの家系も混じっていた
もう最低だ そんなやつが平べったい顏して北海偽アイヌ怪童の関係者に もう最悪なプッシーキ朝鮮キタキツネだ そんな差別の中から歌舞伎なのど多種多様な芝居が生まれたと聞いたけど。
現在の歌舞伎などは権力側が都合の良いようにその上澄みをとったらしい。 今でも社畜は自営を小馬鹿にするだろ
しかし、利害が合えばその範囲で付き合う
昔の百姓も同じだろう >>43
遺跡ウォーカーに加茂神社夙の寺跡って載ってる
寺があったということは定住してたってこと
>>54
領主は夙を百姓として扱ったけど周囲の百姓が元被差別民を百姓と認めなかった
合理的に統治しようとした領主側と感情で反発した百姓側の違いが通婚差別を生んだ >>1
柿渋作る過程の発酵臭が激臭だから村はずれの被差別民の仕事にされたんだよね
瓢箪の中身を腐らせて容器作るのも藍染の染料作るのも激臭だから同じく被差別民の仕事に回されてる 日本の学問って所詮は白人の翻訳勉強会だから
日本人なのに白人目線で日本を見るから構造がわからなくなるんだよ
日本人は一神教との異教徒は殺せ的な思想ないのに
差別というか百姓の団結力の仲間に入れてもらえなかった人たちって感じだろう
同和問題って戦後のアメリカが人種差別的統治をするために
アメリカの弱点であり本質である人種差別を日本人に指摘させないために
敗戦利得者を使って「被差別部落は差別だ!」と言わせたスキームなんだろうな 味祭りの帰りに探検してみた。
林の中は、鬼気迫る雰囲気だったよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています