1階部分が土砂で埋まった屋敷。作業員たちが1階の屋根や2階の窓枠に腰掛けている
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土砂の流入で、機関車が線路で立ち往生している
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阿部房次郎の子孫が発見した阪神大水害当時の写真。敷地内を埋め尽くす巨岩。奥は阿部邸の屋敷と蔵
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 1938(昭和13)年7月に発生し、神戸・阪神間に甚大な被害をもたらした阪神大水害。当時、日本を代表する資本家らが邸宅を構えていた住吉村(現・神戸市東灘区)の旧家から、水害の被害を収めた写真約20枚が発見された。郷土史の研究家は「住吉の邸宅群の移り変わりを知る上で貴重な史料」と注目している。(太中麻美)

 写真が保管されていたのは、東洋紡の社長などを務め、阪神大水害の前年に亡くなった実業家・阿部房次郎(1868〜1937年)の家族が住んだ屋敷。昨年の取り壊し時に、房次郎のひ孫らが室内を整理した際、アルバムにまとめられた写真と、屋敷の図面や建築関係の書類を発見した。

 1階部分が埋まった家屋で泥を撤去する作業員や、線路上で停止した蒸気機関車、住宅街を埋め尽くす巨岩などが撮影されている。また阿部邸は水害当時、住吉川沿いにあったが、屋敷や庭が被害を受け、数百メートル西側に転居した。図面には、屋敷の被害箇所などが記されている。

 住吉村は、明治時代から大阪の資本家らが数千〜数万坪の邸宅を構え「日本一の長者村」と呼ばれた。財閥や企業のトップが住み「阪神間モダニズム」の生活文化が花開いた。

 地域の歴史を研究する住吉歴史資料館の学芸員、内田雅夫さん(69)は「当時は日中戦争のさなかで、機密保持のため写真撮影が自由にできない時代。阿部家ほどの資本家だから残せた写真では」と推測する。また、阿部邸が移転したことは初めて明らかになったといい「長者村の一角を担った邸宅の写真や図面は、都市形成史や社会史の面からも重要」と話す。

 同資料館は郷土への理解を深めるため、昔の暮らしに関する聞き取り調査や、古文書などの資料収集を続ける。阪神大水害についても当時の写真や、被災に言及した学校の文集などを所蔵する。今回発見された資料の取り扱いは未定だが、内田さんは「ふるさとの歴史を伝える史料として、地域のために活用させてもらいたい」と話している。

神戸新聞NEXT 2018/9/14 16:00
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