姫路藩家老・高須隼人の墓に手を合わせる法要参列者=姫路市白国
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 幕末の姫路藩に仕えた家老高須隼人(別名・高須書山、1817−67年)の没後150年に合わせ、墓前法要が10日、藩士らが眠る兵庫県姫路市白国の増位山墓地で行われた。郷土史に関心を持つ市民ら24人が参列し、動乱期の藩政を支えた偉人に思いをはせた。

 藩士の子孫らでつくる「三星会」(明珍敬三会長)が企画し、墓地を管理する随願寺が協力した。

 高須は、幕末期などの藩主酒井家に仕え、江戸幕府最後の大老だった酒井忠績ら5人の藩主を筆頭家老などとして支えた。忠績が佐幕派の立場を貫いたため、勤王派藩士を弾圧、一掃する「甲子の獄」を主導した。

 法要では同寺の加藤哲崇住職(65)が「高須家の子孫を含め、墓を訪れる人はめったにいない。墓の存在を知ってもらう意義は大きい」と現状を話した。

 同会の津山邦寧さん(26)は参列者を墓地に案内。「墓には(高須が)書や絵に精通した文化人だったことが刻まれている。弾圧者として語られることが多いが、異なる一面を伝えている」と紹介した。

 参加した加古川市の会社員の男性(52)は「墓は高須らが生きた証。書籍で読む以上に、存在を感じることができた」と話していた。(小林良多)

神戸新聞NEXT 2017/12/12 05:30
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