会津地方では1868(明治元)年旧暦9月22日の会津藩降伏後、藩士らの遺体は新政府に埋葬を禁じられ、
半年もの間、鳥獣に食い荒らされる状況に置かれたと伝えられてきた。市民が長州藩(山口県)に今も複雑な感情を抱く一因と言われる。
しかし昨年、降伏直後に埋葬されたことを示す史料「戦死屍取仕末(せんしかばねとりしまつ)金銭入用帳」が見つかった。

 解読したのは会津若松市史研究会副会長の野口信一さん(69)。藩士子孫が若松城天守閣郷土博物館に寄贈した史料に含まれていた。

 入用帳によると、新政府は降伏10日後の10月2日、埋葬を命令。会津藩士4人が中心となり567人を64カ所に埋葬した。
作業に延べ384人を動員し、74両(約450万円)の経費を要したとある。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公山本八重の父で、大砲隊を指揮した山本権八とみられる遺体の記述もある。

 新政府は69年旧暦2月、新たに発見された遺体も含めて1281人を阿弥陀寺に改葬するよう通達している。
「これが『遺体を半年も放置した』と誤って伝わったのではないか」と野口さん。新政府が当初、改葬先に罪人塚を指定し、
藩士が撤回を求めて抗議したことも埋葬許可の嘆願と誤解されたとみる。

 昭和40年代以降、敗れた側の歴史研究が進み、会津藩の悲劇や正当性を描いた小説やエッセーが発表される中、
埋葬禁止説が定着していったと考えられるという。

 市民には「にわかに信じられない」との声もある。野口さんは「明確な記録がある以上、認識を改めるべきだ。
正しく過去を学び、未来に生かしてほしい」と話す。


<奥羽の義 戊辰150年>(27)降伏直後に埋葬 記録発見 11/18(日) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181118-00000018-khks-soci