北海道共和町小沢で、国鉄の前身である北海道鉄道の線路(現JR函館線)開通をきっかけに考案された
「トンネル餅」が、誕生から1世紀を超える今も愛され続けている。
添加物を使わず賞味期限は当日限りで、訪れた人だけが味わえる素朴な和菓子。
店を取り巻く環境は大きく変わったが、関係者は「お客さんのため、少しでも長く作り続けたい」と意気込む。

白く柔らかい餅は、表面に線路をイメージした淡いピンクと緑の線が入る。
1904年、旧小沢村に鉄道の稲穂トンネルが開通し小沢駅も開業したことを受け、
地元の和菓子職人、西村久太郎氏が考案した。
太平洋戦争などで製造を一時停止したが、50年ごろに元国鉄職員の末次賢逸氏が復活させた。

現在は2代目の敏伯さん(2003年死去)の妻セツ子さん(83)と長男敏正さん(60)が毎日、
上新粉と砂糖を蒸した餅を手作業で切り、箱詰めする。
物産展出店や地方発送はしておらず、購入できるのは町内だけ。
トンネルとSLのレトロな絵が描かれた包装紙も昔のままだ。

小沢駅はかつて函館と小樽や札幌を結ぶ多くの列車が行き交い、岩内線も分岐して乗り換え客でにぎわった。
トンネル餅を作る末次商店は職人や駅ホームの売り子を雇い、1日数百箱を販売した。

しかし主要列車が太平洋側を走るようになり、沿線の鉱山や水産業も衰退。
85年には岩内線が廃止され、駅利用者の減少を受けて店を近くの国道5号沿いに移した。
更に道路整備が進み、車の通行量も減った。
地域の人口減少も著しく、周辺にある老舗の同業者はほとんど残っていない。

この店も、数十年使用している上新粉をこねる機械が壊れたら廃業する予定という。
それでもセツ子さんは「遠方から餅を買い求めに訪れる常連もいる。機械が動く限りは作り続けたい」と力を込めた。

写真:淡いピンクと緑の線が入っている「トンネル餅」
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以下ソース:毎日新聞 2017年9月12日 19時26分(最終更新 9月12日 19時33分)
http://mainichi.jp/articles/20170913/k00/00m/040/048000c