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桜花の発案者
大田正一
Wikiより


1944年5、6月頃菅原司令の推薦によって、大田は和田中将に桜花を提案した。

8月最終的に軍令部も承認して、航空本部は発案者大田の名前から「○大(マルダイ)部品」(○の中に「大」の字)と名付け、研究試作が開始された。
自ら乗っていくと言った大田が決定後、「また新しい発明を考えて持ってきます」とケロリと言ったりしたことから、伊東中佐は「あんな奴の提案を採用するのではなかった」と悔やんだという。

8月18日、茨城県の神ノ池基地において零式練習戦闘機に突然乗り込んで離陸、そのまま行方不明となった。基地の机に「東方洋上に去る」と遺書を残した。
大田は、新聞に桜花の発案者として華々しく取り上げられて以来、不遜な態度をとるようになっていた上、桜花搭乗員の人命を軽視する発言も行っていたため、報復を恐れていたという説もある。

その後、米国テレビ番組『History Undercover』において大田の戦後追跡が行われた。
取材によると、大田は基地から離れた金華山沖の洋上に着水し漁船に救助され生還。行方不明者として名乗り出ることもなく、戦後の混乱に乗じて別人を装っ た(ただし、生涯無戸籍のままであった)。
「青木薫」を名乗り各地を転々とした後、「横山道雄」と名乗って大阪市で家庭を持ち二人の子供を儲けたが、無戸籍のため職を転々とした。
家族には、自分の正体についてはほとんど語らなかった。
1994年12月7日、京都市左京区の日本バプテスト病院にて癌で死亡。