信濃川西岸の戦況が芳しくないのを受けて督戦に訪れた際に
この方面の庄内藩兵を率いる石原多門から次のように語られている。
「当地へ出張以来会の将佐藤折之進等表裏の所業甚しく危険の場へは
必我庄兵を差向け、己は後へ廻りて分捕等を掠むる工夫を事とし
一向義を重んじ信を守るの志なき故、我士卒いづれも不平を抱き
元より越地出兵は会を援くる為なるに、会人の作業如斯にては
何ぞ尽力する栓あらんと云て、自然と勇戦の心なく
数十日空く日を送れるなりと云」
(甘糟備後継成遺文)

甘粕は庄内藩兵を指揮する石原より
「会津を助ける為に越後に出兵したきたのに
肝心の会津藩兵は激戦地に庄内藩兵を送り
自分達(会津藩兵)は安全な後方で
民衆からの略奪に狂奔しているので
庄内藩兵の士気が下がっている」と不満を述べられている。

ええええええええええええええええええええっ?( ; ゜Д゜)
明治政府との和平蹴って戦争ふっかけたのに
自分達は後方で味方の領地を荒らし回って戦わない?
これが会津武士道…(´д`|||)