東京帝国大総長などを務めた旧会津藩出身の山川健次郎の日記が書かれた手帳が3日までに、発見された。
東京帝大総長を辞職後の1907(明治40)年から09年まで山川が使っていた手帳で、
姉の二葉に会いに行った様子などが記されている。
研究者は「山川の人間味が分かる貴重な資料」と評価している。

小宮京(ひとし)青山学院大准教授(39)、中沢俊輔秋田大講師(36)が昨年、山川の遺族宅で見つけた。
九州を視察した際の記述などを中心に約200ページに及ぶという。
日記の発見は、山川が再び東京帝大総長を務めた13〜20年の日記に次いで2例目。

日記によると、長崎県に住んでいた二葉を訪ねたのが09年2月。
二葉は息子の梶原景清(海軍軍医)と暮らしており、亡くなる9カ月前だった。
山川は「姉上は東京出発の折よりも顔色が良いように見える」と書いた。

07年1月に熊本県の学校を視察した際には、
新撰組三番隊組長で会津若松市に墓がある斎藤一の三男で当時、第五高(現熊本大)の生徒だった沼沢龍雄と偶然会っていた。
沼沢が教頭排斥運動に関わっていると知り「人道に外れた事をするな。侘び状を出すべき」と叱ったとある。

小宮准教授は
「山川の親族との付き合いや教育者としての側面が分かる。沼沢が会津出身者だったからこそ、叱責したのかもしれない」と話した。

写真:発見された山川の自筆手帳。姉の二葉を訪ねた記述がある
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以下ソース:福島民友新聞 2016年02月04日 10時31分
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20160204-047399.php