>>718 続き

 娘や孫娘を思う、祖父としてのありふれた横顔。だが、近年の皇室との交流は

「秋篠宮ご一家の誕生日に宮邸を訪れたり、親族として参加すべき最低限の行事に出
席する程度」(前出・記者)。←←★★★

皇室とは一貫して距離を置いていた。←←★★★

「タイの村では、僕たちは夜になると蚊帳の下で、物理学や経済学、数学など、さま
ざまな事柄を語り合いました。しかし、皇室については一言も触れることがありませ
んでした」(前出・古澤氏)

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学習院大から一緒に帰ることもあったという

 紀子さま婚約スクープの当事者であり、川嶋氏とも親交があった元朝日新聞記者の
内藤修平氏が語る。

小室さんや佳代さんを「あちら」

「川嶋氏は紀子さま結婚の前日にも『僕は紀子さまとか妃殿下と呼びたくない』と言
って、奥さんから『ダメですよ。もう妃殿下なんだから』と返されていました。
川嶋氏は皇族であっても特別視するのではなく、あくまで人間として接したいと考え
ていたのかもしれません」←←★★★

 だが、紀子さまが06年に悠仁さまを出産され、秋篠宮家は「将来の天皇を擁する
ご一家」となった。そのことは、川嶋氏が望んだ「皇族としてではなく人間同士の交
流」を、より難しくしたのかもしれない。

“皇室への本音”を胸にしまい、旅立った川嶋氏。11月6日、川嶋氏の自宅マンション
では、家族葬が行われた。

 午後3時半ごろ、小室夫妻が警備車両に先導され、タクシーで到着。車を降りた眞
子さんは、ドアを開けてくれた運転手に挨拶する小室さんを待つことなく、←★★
足早に建物の陰へと消えていった。それから15分ほど後には、秋篠宮ご一家を乗せた
車も到着し、マンション内で小室夫妻や親族らと合流された。

「秋篠宮ご一家は1時間ほど滞在され、午後5時過ぎに川嶋邸を辞された。帰路の紀子
さまはうつむき加減で、車の窓ごしに見ても明らかに憔悴なさったご様子でした。
一方、それ以降も小室夫妻は滞在を続け、マンションを後にしたのは午後7時半のこ
とでした」(前出・記者)

続く

…………
一貫して皇室と距離置いてるふりするから綻びがw