>>717 続き

「“タツ”と呼んでください」

 2人の年齢差は約30歳。しかし川嶋氏は、息子ほど年の離れた古澤氏にこう告げたと
いう。

「“川嶋先生”などと呼ばないでください。そう呼ばれては、自由な議論ができませ
ん。それは大変惜しいことです。“タツ”と呼んでください」←←★★★

 タイでも、周囲に常に「喉は渇いてないですか? お食事は足りていますか?」と
気を遣い、自分のことは後回し。農村での衛生指導では、トイレの建て替えのため、
率先して身体を動かすなど「まさに行動する知性」(古澤氏)だった。←←★★★

衣服や身につけるものには無頓着。川嶋氏はとにかくモノを大切にする人で、古澤氏
が学習院大学を訪問した際も、長年乗っている「極めて庶民的な」(同前)車を自ら
運転し、古澤氏を迎えに来てくれたという。

 住まいにもこだわりはなかった。紀子さまが育った3LDKの教員住宅に長く住み続け
終の棲家となった新宿区のマンションを購入したのは2000年、川嶋氏が60歳になる年
のことだ。

 どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた川嶋氏。一方で、娘や孫への愛情も垣間
見せていた。森ビル出身で、学習院大学経済学部の経験もある
礒井純充氏が語る。

「まだ眞子さんや佳子さまが幼いころ、川嶋先生の研究室には、お孫さんの描いた絵
が何枚も飾ってありました。絵には可愛らしい字で“まこ”“かこ”と書いてあって
中には髭をたくわえたお爺さんの絵もあったので『これが川嶋先生ですね』と言った
ら、笑っていました」

 資料が所狭しと並べられた研究室にはおよそ似つかわしくない、子どもらしい絵。
川嶋氏は、

「よく描いて、持ってきてくれるんです」←←★★★

 と目を細めたという。

 98年、川嶋氏がモデレーターを務める社会人向けの講座に、紀子さまがお忍びで訪
れられたこともあった。←←★★★
紀子さまの帰り際、川嶋氏はエレベーターホールまで見送りに来たが、紀子さまはエ
レベーターから顔を出して、いつまでも手を振り続けられた。

「そんな紀子さまに、川嶋先生も扉が閉まるまで手を振っていました。その光景は微
笑ましくもあり、少ししんみりするものでもありました」(前出・礒井氏)

続く
 
………
休学挟みながら7年もダラダラと大学院通ってたら、学校に通う名目で親に会いに行ってたわけねw
まこ、かこなんて名前入りの絵をわざわざ飾る爺