>>286
大仙古墳だけでなく応神陵古墳も
大坂夏の陣で
真田が第二、三の「真田丸」に地表を砦として改造したと
最近の城郭考古学の千田さんが論文発表。

傑作なのは記紀神話から40代、41代目の「日本」の国号と「天皇」の諡号を開始した
天武、持統天皇夫婦の御陵。
これは実在のミカドで御陵であるのは仁徳だの応神なんていう奈良時代の淡海御船が創作した
漢風諡号と違い確か。

その持統天皇の墓は仏教式で火葬にした銀製の骨壷が墓泥棒に盗掘され、お骨は逃げる畦道に
棄てて、銀の骨壷だけが米国に現存。
土葬にした天武と持統天皇の石室の真上は、鎌倉時代〜江戸時代まで近所の百姓たちが畑に利用。
幕末に宇都宮藩が家老に命じて、この天武、持統天皇陵の調査をした。
その記録のスケッチには「百姓どもが肥料として石室の上から撒いた糞、小便」が石室内に沁みて
異臭のする水溜りになっていた、、、とキャプションが残されているw

つまり百姓どものたれた糞、小便の「トリクルダウン」にあの代で
「天皇」諡号の創始者夫婦はあずかっているというわけw

明治になって鳥居を建てて、植林して国民の立ち入りを禁止して神聖な場所らしく
装っても、実態はこんなもん(大笑い)