>>842
自分が考えるに昭和初期には長州が強くなりすぎていて
抑えるために薩摩(良子)と結んだようにもみえる。
自分が良子ちゃんと結婚して長州をつぶし行ったとき
長州は当然なら秩父宮に手がのばしてくる。
それをつぶすために妻を会津にしたんだとおもう。

秩父が陸軍に行かされて長州にとり込まれかけていたことに対するストッパーだ。
そうやってすぐ下の弟をつぶした。
高松は薩摩優位の海軍にいった。これでバランスが取れる。
昭和天皇は秩父のことは恐れていたぽいけど
おバカな高松のことはなめていたように見える。
(実際カマだし、頭もカリスマも秩父よりは数段落ちる感じ)

そうやって昭和天皇は長州独り勝ち状態を取り壊していったんだとおもう。
でも自分の考えるところ今度は薩摩方に取り込まれていったのではないか、という気もする。
霞が関を取り込もうとしてあべこべに乗っ取られた今の天皇家のようかな関係。
(昭和初期の極右過激派=皇統派は薩摩系が多かったらしい)