高森明勅拓殖大学客員教授(平成17年6月8日)
「形式上明治初期まで存続しました養老令に女系の継承を認める規定があった。
これは継嗣令、皇兄弟子条。天皇の御兄弟、お子様は親王という称号が与えられるという規定がございまして、その際、女帝の子もやはり親王であるという本注が付いてあるわけでございます。
これによりまして、女帝と親王ないし王が結婚された場合、その親王ないし王の子どもであれば、その子は王でなければならないわけです。
ところが、女帝との間に生まれた場合は王とはしないで親王とするということでありますから、その女帝との血統によって、その子を位置づけているということでございます。「女帝の子」と。 」
所功京都産業大学教授(平成17年6月8日)
「8世紀初頭に完成した「大宝令」に「継嗣令」という篇目がございます。
これは「養老令」もほぼ同文だということが確認されております。それを見ますと、冒頭に「およそ皇兄弟と皇子、皆、親王と為す」とあり、そこにもともと注が付いておりまして、それに「女帝の子も亦同じ」とあります。
その後にまた本文がありまして、「以外は並びに諸王と為す」という条文がございます。
この本文と、それに付けられた原注から、私どもが考えられますことは、天皇たり得るのは、男性を通常の本則としながらも、非常の補則として「女帝」の存在を容認していたということであります。 」