もともと旧宮家は天皇家の直系に皇位継承者がいなくなったとき、代わりに皇位継承者を出して
男系の皇統を維持するために、いわば万一に備えた安全装置あるいは「血のスペア」として、
南北朝時代から1947年まで約500年にわたり天皇家の直系と併存してきた傍系の皇族。
徳川家における御三家みたいなもの。

かつては世襲親王家と呼ばれ、最大で4つ(伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮)あったが、
3つはすでに断絶してしまい、今残っているのは最も古い伏見宮の系統だけだ。
実際に過去に2回、当時の天皇の直系に皇位継承者がいなくなってしまい、傍系皇族である世襲親王家から
天皇が即位した例がある(第102代後花園天皇:伏見宮家出身、第119代光格天皇:閑院宮家出身)。

明治維新までは、基本的に世襲親王家の当主は天皇の猶子(養子)となって親王宣下を受け、
「〇〇親王」という地位と名前を与えられ、直系の皇族に準ずる扱いを受けてきた。
さらに、もし世襲親王家に後継ぎの男子がいなかった場合には、天皇か上皇の皇子が養子となって
世襲親王家を継承することになっており、皇統の直系に万一のことがあったときのための
男系の予備系統を絶やさずに維持しておく努力が払われてきた。

もちろん悠仁親王が結婚して、男子が生まれ、そのまま皇位が継承されていくのが一番理想的だが、
悠仁親王に男子の後継ぎが生まれなかったことを想定した場合、いざというときのスペアとして、
1947年まで皇室内部で維持されてきた旧宮家(元世襲親王家)という安全装置を利用しない手はない。
旧宮家の男系男子を、男子の後継ぎがおらず断絶が確定的な既存の宮家(常陸宮、三笠宮、高円宮)に
養子に迎えるといった方法で、皇室全体で男性皇族の数を増やす方策を考えるべきだろう。