臣籍降下後皇籍復帰の例

和気王(755年降下・759年復帰)
天武天皇曾孫。御原王子。和気王は755年に岡真人の姓を賜って降下するが、
759年に淳仁天皇の甥として皇籍に復帰する。
後に765年に謀反の疑いで殺害される。
和気王の子達(大伴王・長岡王・名草王・山階王・采女王ら)は父の謀反に
連坐して臣籍降下を命じられるが、771年に皇籍に復帰する。
山辺真人笠(764年降下・774年復帰)
天武天皇子孫。笠王。764年に三長真人を賜姓、771年に山辺真人を賜姓、
774年に皇籍復帰。
厨真人厨女(769年降下・773年復帰)
聖武天皇皇女。不破内親王。称徳天皇に対する呪詛事件に関わったとされて
降下させられるが、3年後復帰し、内親王となる。
源朝臣是忠
光孝天皇子。同母弟の定省が宇多天皇として即位したことに伴い、皇籍に復帰。
源朝臣是貞
光孝天皇子。同母弟の定省が宇多天皇として即位したことに伴い、皇籍に復帰。
源朝臣定省(884年降下・887年復帰)
光孝天皇子。 源姓を賜って臣籍降下後に皇族復帰し、践祚する(宇多天皇)。
宇多天皇即位後、源是忠ら同腹の兄弟達も皇籍に復帰している。
源朝臣維城(887年皇籍へ)
当時臣籍にあった源朝臣定省(後の宇多天皇)の子。父の皇籍復帰に伴い、
自身も皇族となり、後に践祚する(醍醐天皇)。
源朝臣斉中(887年皇籍へ)
臣籍にあった源朝臣定省の子。定省の皇籍復帰に伴い皇籍へ移る。
源朝臣斉世(887年皇籍へ)
臣籍にあった源朝臣定省の子。定省の皇籍復帰に伴い皇籍へ移る。
源朝臣兼明(932年降下・977年復帰)
醍醐天皇皇子。源姓を賜って臣籍降下し後に左大臣となる。ところが、
977年勅命によって突如皇籍に復帰させられて中務卿に遷った。
これは、皇族は大臣とならない当時の慣例に目を付けて、
左大臣の地位を狙った藤原氏の陰謀と言われている。
源朝臣盛明
醍醐天皇子。
源朝臣昭平(961年降下・977年復帰)
村上天皇子。源朝臣兼明と同時に皇籍に復帰した。
村上天皇の皇子の中で唯一の臣籍であった状態の解消を図る措置とされる。
源朝臣惟康(1270年降下・1287年復帰)
後嵯峨天皇孫で、宗尊親王の嫡男。当初は親王宣下を受けず惟康王、
征夷大将軍就任後に臣籍に降下し源朝臣の氏姓を賜り、
後に皇籍に復帰し親王宣下を受ける。後に征夷大将軍を廃されて京都へ送られる。
源朝臣久良(1330年復帰)
後深草天皇孫。
源朝臣忠房(1319年移行)
順徳天皇曾孫。臣籍として生まれたが、後宇多上皇の猶子となり、皇籍復帰する。
藤原朝臣家教(1872年降下・1888年復帰・1888年再降下)
伏見宮邦家親王子。1872年に臣籍降下して藤原氏渋谷家を相続する。
1888年に皇籍復帰し、同年再度臣籍降下し、新たに清棲の家名を賜る。
清棲伯爵家は真田幸民伯爵第3子の幸保が承継する。