>>30の続きです。

令義解の法定解釈は、平安時代において、
規則「女帝子亦同」は「嫁四世以上所生」に基づく、その根拠は、王娶親王条が「五世王不得娶親王」と為していることである。

というのが平安時代、の公式見解であったことを意味します。
義解の法定解釈は注釈書の法形式ですから。
つまり律令制定当時の飛鳥奈良時代に、王娶親王条はその目的で(あるいは、それを目的の一つとして)制定されたということが平安時代の公式見解ということになります。

> そちらは、「女帝の子も亦同じ」という規定が設けられたのは、女帝の子に「四世以上に嫁して生まれた子」という制限
> があり、父方の出自を受け継いでいたからだ―という風に解釈したけれど、

曲解です。
「女帝子亦同」という規則は、(女帝の子が、女帝が)四世王以上に嫁し生んだ子であることに基づきます。義解によれば「謂據嫁四世以上所生。」です。

>それは逆に言うと

逆に言うと、基づくところの前提が充たされていなければ集解が導き出したように「嫁五世王及凡人。所生之子為凡人哉」と言うことになります。

>「女帝の子は四世以上に嫁して生まれた子のみ同じ」という規定にしておけば、
>婚姻規制は必要はなかったことになるでしょ。
> どうしてそう書かずに、わざわざ規制を設けたの?

それは立法技術の問題です。王娶親王条は制定当初から「謂據嫁四世以上所生。」の根拠とする目的で制定されたというのが平安時代の公式見解です。但し、これは制定の唯一の目的であったとする見解ではありません。
立法技術は漢文の修辞の影響下にあり条文が簡潔であることを尊びます。一つの条文で複数の効果を期待することが禁忌であったとも考えられません。

> 男系原理を明文化しておけば、この婚姻規制は必要なかったのに。

立法技術上、簡潔を重んじる漢文修辞を採用すれば、当然の法理の記述は省略されます。唐令を下敷きにして意識されているのですから尚更です。
唐令で当然の法理とされているものと異なる法理を採用するのであれば、明記されていなければおかしいです。

> 律令制定前から皇親女子と氏族男子は婚姻を避ける傾向があったので、継嗣令第四条の婚姻規制はおそらく
> 古代の慣習法を成文化したもの。

ならば「傾向」に留まらず、一つの例外も無く歴代天皇が全て人皇初代神武天皇の男系子孫であることを慣習法として認識していたと考えるべきです。