>>78
ドイツ諸侯が格下という考え方は、少なくとも東西フランク王国以来のライバルでありゲルマン諸家の末裔という
意識の薄れたフランスを除いては全くない。
特にイギリスは神聖ローマ皇帝の選帝権を持つドイツ諸侯(プロイセン王に加え、最末期にはバイエル
ンなど3人の王が含まれる)とイギリス王を同格としてとらえ、イギリス王の臣下であるイギリス貴族は
その格下として「貴賎結婚禁止」対象ととらえていたことは
>>70
の分類でも明らかだ。たった一人のイギリス貴族出身王妃であるエリザベス・ボース・ライアンの夫
ジョージ6世は結婚後に兄の出奔で急遽即位が決まった人だし。
もちろん、一部を除けば国際的には小国もいいところだが、現在もその生き残りともいえるルクセンブクル大公や
リヒテンシュタイン侯がれっきとした元首として遇されているのと同じ。
ダイアナ妃が輿入れできたのは、形式的には諸王諸侯の連邦であった(ただし既に独立性はほとんどなかったが)
ドイツ帝国崩壊後2世代が経過して、もうゲルマン諸侯という考え方が通用しなくなってきたためだろう。