皇室祭祀について色々語るスレッド
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天皇陛下が執り行う宮中祭祀や宮家当主が執り行ってる祭祀について
色々語るスレッド。 そんなもんは
伝統でもなんでもないわけでw
生前譲位の儀式は
国家神道創作では終身天皇制創作で無いwww
だからと言って国家神道スタイルのテキトーなのを創作すんなよな!www
明治になる28年前に崩御の光格までは
真言密教、陰陽道の仏教式と神仏習合でやってきたのをそのままやらないと
血税で有職故実を復元する意味無し!www 吉田家と白川家を参与に迎え
平安時代以来の内待の祭祀を
継承してきているわけだが。
陰陽道と仏教は数ある宮中祭祀から
廃止しただけで、陰陽道と仏教
だけで祭祀してたわけじゃないしな。 秘伝ですが、宮中祭祀は
今は國學院or皇學館卒から
選抜された美女の4年奉公内掌典。古代から伝わる御鈴の祭祀です。 それがなあ、京都から内侍所が移御するまで江戸時代には毎年節分には京都の町衆は内侍所にお参り出来るばかりでなく
御鈴上げもしてもらえたのだよ。
節分になると御所近郊の町衆達は御所の格下の門を潜り、内侍所にお参りさせてもらい
そこで内侍所に仕える女官にお捻りをお供えに渡すと、引き換えとしてお下がりの煎り豆と御鈴上げを頂けたのだ。
一般の町衆が御所に入れるのは特例を別にしたらこの一日だけだったが、この日誰でもは内侍所に参詣出来た。
現在の賢所に一般人は参詣どころか近づく事すらないが、江戸時代は結構身近なお社だったんだ。
だから幕末の国学者や庶民出身の神道家も御鈴上げの事を知っていたし、もし節分に京都に在住してたら御鈴上げを直に見てたかもしれないのだ。
江戸時代の京都町衆にとって
天皇や御所は今以上に身近な
存在だったのだ。 ほとんど知られてないのも難だよね。
公開できる範囲で説明すればいいのにと思う。 内舎人、武者所、左衛門尉、斎宮頭、
すべて天皇に仕えた側近たちの
子孫 日本全国の
内藤、武藤、佐藤、斎藤
は自分たちのルーツを思いだし
皇室守護のために立ち上がろう! 比叡山延暦寺で1000日間の荒行を成し遂げた僧侶が京都御所で国と皇室の安泰を祈る儀式、「土足参内」が8年ぶりに行われました。
「土足参内」は平安時代に比叡山で修行をしていた僧侶がわらじを履いたまま京都御所に入り、天皇のきさきの病を治したという言い伝えにちなんで行われています。
ネットで天皇に呪いの言葉を
吐き続けている輩は比叡山大阿闍羅の
祈祷に歯向かっているという現実の
恐ろしさを認識すべきであろう。 荒行、祈祷は程度の低い仏教。
だから、法然、親鸞、道元は比叡山から出て行った。 立派なお経とお召し物はけっこうだが
死ねないから分からない見えないのだろうね・・ 今上を助けるには仮病を直すとかキリスト教のカルト精神を直すとか背乗りを正すとかだよ?
やる気あんの? やる気出たの? まもなく新天皇の即位の礼が行われますが、
真言宗にては「太元帥法」、天台宗にては「御衣加持御修法」
は行われますか?
また一般拝観は可能でしょうか? 新嘗祭の「夕(よい)の儀」が始まるのは
23日午後6時。
白の絹でできた伝統の
「御祭服(ごさいふく)」を身にまとった
陛下が、綾綺殿(りょうきでん)から
儀式が行われる神嘉殿に移られる。
御祭服は新嘗祭でのみ陛下が身につけら
れる装束。
その重さから、着替えられるのに
数十分かかるという。 たいまつの明かりのみが照らす中、
白い装束姿の陛下が神嘉殿までの
「御拝(ごはい)廊下」を進まれる様子
について、祭祀をつかさどる掌典職の
1人は「これから国のため、
国民のために祈るという決意や使命、
お気持ちが伝わってくる。
地方ご訪問などで国民と触れ合われる
ときとは、全く別のお姿」なのだと話す。 儀式中は側近らも神嘉殿に入ることは
認められず、陛下と神事を手助けする
2人の采女(うねめ)のみ。
そこで陛下は全国から献上されたり、
皇居で収穫したりした米と粟の新穀、
新米から作った酒などを神前に供えられる。 続いて神前に拝礼し「御告文(おつげぶみ)」
で一年の五穀豊穣(ほうじよう)と
国家、国民の幸福を祈られる。
さらに、供え物を神々とともに
食される「直会(なおらい)」に臨まれる。
最後に綾綺殿に控えていた皇太子さまが
神嘉殿で拝礼され、陛下と皇太子さまが一緒に神嘉殿を後にされる。 夕の儀が終了するのは午後8時。
同様の次第で午後11時から
24日午前1時まで
「暁(あかつき)の儀」が執り行われ
る。儀式は各2時間ずつ、計4時間に及ぶ。 陛下は重く、動きにくい装束で、
大半の所作を正座したまま行う。
このため新嘗祭が近づくと、
陛下は御所でくつろぐときも、
慣れるために正座のまま過ごされる
ことで知られる。
それ以外にも「過酷」と評される理由
の1つが気温だ。
この時期、儀式の時間帯には10度を
切るほど冷え込む年もあるが、
神嘉殿には暖房がない。
「寒さだけでも相当、体にこたえる。
今年84歳になられる陛下にとっては
なおさらだろう」(宮内庁関係者)。
以上産経ニュースより 神道の親玉を税金で養う必要なし。餌代は信者に請求しろ! 稲穂に精液をかけると朝鮮天皇霊が降りるって気持ち悪い
そんなの日本でやらないで欲しい 日本窒素肥料 北朝鮮興南工場製広島原爆
チッソ 熊本水銀攻撃
チッソ 311劣化ウラン攻撃
さて、デビル雅子の次なる攻撃は? 今ネットでは天皇皇室批判の大ブーム!それもそのはず。
あんな素朴衣装着ていい人パフォーマンスの奴が民間人弾圧と長年の韓国支援、国民経済叩き、朝鮮支配を企む巨悪だったなんて!
日本のエンペラーアキヒトは朝鮮人で北朝鮮支援 (パチンコなど)
国連安保理の北朝鮮経済制裁などエンペラーアキヒトは無視している。
なぜだとおもう?朝鮮民族は朝鮮統一が夢だから、エンペラーアキヒトが金窃盗して、韓国支援。
こいついらね 朝鮮天皇財閥を国有にしろ。消費税増税で天皇が儲かる。税率が多ければ多いほど儲かる。皇室親戚どもが犯罪者。
非正規雇用が増えると生活保護者が増えるけど、天皇と経団連が『戻し税や正社員以外の雇用』で儲かる。
だからこいつらは増税しろ増税しろと言っている。
神社本庁もエンペラーアキヒトの姉が国有地売却犯罪で儲けている。
日本の朝鮮人問題はエンペラーだった。
加計学園でも皇室から4人関係者。しかも半年以上まったく報道されていない独裁ぶり。
皇室法を変えさせたいから薬物中毒者の安倍をマスコミ使って支援している。しかも民主主義否定の不正選挙。選挙ソフトムサシで投票数入力。
こいつらを日本から追い出そう!選挙で朝鮮人を落とそう!
https://ameblo.jp/kousituakihotomitikotenn/imagelist.html
http://www.asyura.us/imgup/img10/4509.png
http://www.asyura.us/imgup/img10/4721.png
http://www.asyura.us/imgup/img10/4721.png
https://dotup.org/uploda/dotup.org1422325.png 神道の親玉だ?www
あれは室町時代からの伝統的な吉田神道の神職による神道じゃなくて
明治期創作のカルト、国家神道なんで
もつともらしくやってる宮中儀式なんてのも、カルト国家神道に改竄した出鱈目とインチキなんでw
特定の宗教に血税を使うなという意味以前の問題w
本来の大嘗祭は
藤原氏の二条家が仕切る「譲国の儀むとセツトで
「即位灌頂」という出家の儀式を行ったんだぞ。
真言密教のパスワードである「真言」を唱えた。
特に即位と関係のある「大元帥明王」、、、読み方、、、「たいげんみょうおう」、、、帝國陸海軍の゜大元帥」、、、、「だいげんすい」はここから来ている。
また大日如来や不動明王の真言も唱えた神仏習合式、真言密教式、仏教式こそ1,000年来の日本の伝統。 宮中じゃないが、神社の祭はなんなんだ
全身刺青の指定暴力団がやってるぞ
天皇は記者会見開いて関係を説明しろ
皇室は営業停止100年の処分が妥当だ
まぁ、天皇が日本人殺し専門家の朝鮮ヤクザのボスだから当然か 平成30年、1月17日午前5時46分、天皇皇后両陛下は皇居・御所にて
阪神淡路大震災の慰霊のため黙祷をささげられたとのこと。
天皇皇后両陛下は阪神淡路大震災の10年、20年の追悼式に御臨席されてこられたほか
毎年の発生日の時刻には黙祷をささげられておられるとのこと。 毎日、天皇批判の駄文を書いている連中は阪神淡路大震災の被災者の
ことなどまったく思い出しもしないだろう。
毎年、被災者に黙祷をささげてこられた天皇陛下とは人としてのレベルが
違いすぎる。 被災者を収容した
武道館に慰問にきた天皇陛下に
石原知事は天皇陛下が
心臓手術をする直前でもあり
被災地へは皇太子か秋篠宮に
行ってもらうよう勧めた。
帰り際、天皇陛下は
石原知事に歩みより
「石原さん、被災地へは
私が自分で行きます」
と告げた。
石原知事は感動のあまり
絶句したという。 このたび天皇陛下は通算11回目の沖縄訪問に向かわれます。
これは天皇陛下の強い希望によるものです。
天皇陛下は太平洋戦争で日本国内で唯一戦場となった人々の苦難と慰霊とに
戦後73年経った今でも続けておられ、退位前にどうしても再び
沖縄の慰問と慰霊に向かいたいというお気持ちが強くご高齢を押して
沖縄訪問となったのであります。
今、日本国内に天皇陛下以外で太平洋戦争、第二次世界大戦の犠牲となった沖縄の人を
慰霊するために沖縄を訪問する人が他にいますか?
日本国内で唯一戦場になった沖縄のことをそのことで気にかけている人がいますか?
天皇陛下は退位直前の今でも戦場になった沖縄のことを忘れてはいなかった
のですよ。
いまだにマルクス史観という妄想から抜け出せないような人たちが
軽々しく批判することができるお人ではありませんよ。 御巫八神、皇室を守り給へ幸へ給へ
神産日神かみむすびのかみ
高御産日神たかみむすびのかみ
玉積産日神たまつめむすびのかみ
生産日神いくむすびのかみ
足産日神たるむすびのかみ
大宮売神おおみやのめのかみ
御食津神みけつかみ
事代主神ことしろぬしのかみ
ちなみに当たり前だがこれらの神々は明治時代に創作されたわけではない
ので断っておこう よく明治維新で天皇が摩り替わったとかいうが、
だとしても第二次世界大戦後に昭和天皇個人以外は殺された可能性が高い。
天皇は残して利用するにしても、天皇個人だけ。
だから明治から朝鮮人に代わったというのは関係ない。そいつらが居たとしても、死んだ。
そして昭和天皇以外は養子の子供と、偽の家族。
だから今の皇族はなりすましの可能性が高い。その証拠に、国賊です。 >>130
バカバカしい
あんたみたいな低脳は誰にも相手にされないぞ
さっさと土に帰れ この鎌倉期の「四ケ度神事」は、二回は天皇自身が行幸して儀礼を整える
天皇親祭であり、仁寿殿におかれた観音像(醍醐天皇の個人的仏事として発足した)や
経典などは他の場所に移し、僧侶たちの供物は神饌に供してはならないなど、完全に仏事を
分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために夜の行幸が行われるなどの民への配慮が見られる。 宮中における神道の在り方を規定した有名なものに順徳天皇の「禁秘抄」がある。
ここには天皇の務めとして宮中作法は神事を優先すべきこと、朝夕の敬神の叡慮を怠らないこと、
神功と内侍所のことを後回しにしないように、万物はでき次第、台盤所の棚におき、女官を召して
奉れという神事優先の原則が述べられている。
文明8年(1476)年11月13日に室町殿内裏が焼失した時も、内侍所駕輿丁が後土御門天皇の輿を
舁き、小川御所から北小路殿に行幸した。この時、頭中将実隆が内侍所仮殿をいちはやく新設
修造し、異変があると内侍所御神楽を行って天照大神の祟りを鎮めることが国政運営の重大事
とさるという神事優先の原則が見られた(「親長卿記」文明八年十一月二十九日条) かまってちゃんの徘徊公務目障り。
平安調のコスプレでの祭祀なんて唯のオカルト儀式。 皇室関係の費用は、皇室費と宮内庁費、皇宮警察費などの合計で約 年270億らしい。
1日当たり約7400万円となる。
これは皇族、宮内庁、皇宮警察全員の費用ということになるが、平成天皇が1日生きる
ことで一日当たり7400万円かかっていることになる。 何もかもが嘘にまみれた朝鮮天カス
江戸時代まで天皇は仏教だった
明治に入れ替わった天皇から神道になった
神道とはユダヤ教を天皇用に変更したものだ 中国直輸入天蓋だってー w
てのー、ほんとにしてしまうスタイルだな w >>139
>江戸時代まで天皇は仏教だった
いつまで古臭い学説を振りかざしているのかな?
鎌倉期の「四ケ度神事」は、二回は天皇自身が行幸して儀礼を整える
天皇親祭であり、仁寿殿におかれた観音像(醍醐天皇の個人的仏事として発足した)や
経典などは他の場所に移し、僧侶たちの供物は神饌に供してはならないなど、完全に仏事を
分離・隔離した神事優先・仏事排除の純神道が行われていたのである。
また、民の負担を避けるために夜の行幸が行われるなどの民への配慮が見られる。
大化年代には蘇我石川麻呂が「神祇を祭鎮し、然る後に応に政事を議すべし」と孝徳天皇に奉答した
ことなど古代、中世に仏事を制限して神事を実行している神事優先の歴史的事実をはじめて
指摘したのは成蹊大学名誉教授だった小島鉦作であり、神仏習合論一辺倒の歴史学会に
一石を投じた >>140
現代の中国にも残っていない貴重な世界遺産級の儀式ですが? 即位の礼は平安時代以来、一般庶民も楽しみに見物してきた
我国伝統の国民的行事ですね。
左翼、薩長ネタという古臭い偏見に満ちた思想でやっかみを入れるのは
やめましょう。 >>143
残ってるよ。共産党が報道しないだけでローカルで残ってる 中国天蓋ははずい。
「日いずる国」 の気概はどうなったよ。
やっぱ、はずいがや。 >>145
それは興味深い。
どこのローカルかな? >>146
なんでも現代基準で考えてはいけませんな。
唐風は当時では国際的な権威を表すもの
だったわけですから。
当時の価値基準が今に伝わっている
ことにも価値があると言えましょう。 そんなもんありません。
昔こだわりおじん(時代錯誤)にはついて行けん。
146さんに禿同 各地でちょっとずつ分割して残ってるんだよ
どこにでもヲチはいるんだwwww世界各地の王家の行事なんかも記録してるし
朝鮮ウンコに毒されやすい日本仏教は神道のサポートをちゃんとできないから
皇室行事を完全保存して保管管理ができないと知れ渡ってるのもあって
道教回教を含む各地で、ちょっとずつ継承しあってる
日本側で勝手に変えてもすぐには指摘しないけどw 改ざんがあったことは記録してるみたいだよ
徳仁雅子の挙式の時のは、素人目に見てもだいぶチョン&煎餅臭かったよねえ 珍説 発見 !!
>>・・・現代基準で考えてはいけません
現代基準で考えてはいけないだってぇ・・・・www
昔の基準で考えるんだってぇ・・・・www
珍説 ハッケーン !! www 今の天皇制というのはおかしい
今の天皇制は伝統ではない
選挙にも出ないくせに政治をやっている。
責任を負うつもりもないから、政治をやっていないという事にしている。
実際には政治をやっているくせに政治をやっていないフリ。
政治家などを暗殺している。
とんでもない独裁者だ。
これは伝統ではなく、昭和になってからだろ!クズ皇族め!
天皇が警察OB団体の人間に指図して、警察国家みたいになっている。
警察OB団体の人間というのは、警察庁長官などと連絡をとる。
これが宮内庁や皇宮警察にいるのだろう。
そしてテレビでは天皇の息子や孫達などクソガキのすくすくと育つ成長を見せて、腕組みをしていい夫婦を演じ国民の統合の象徴だと?
これは昭和になってから思いついたんだろ?クズ!
いいかげんにしろ!クズ!
おまえら嫌われているのわかっているか?皇族ども!
こいつら朝鮮人。
日本人になりすましている。
平成になってから皇室に入ったのは全部朝鮮人。 また日清戦争の開戦の時も明治天皇は、伊勢神宮や孝明天皇陵への勅使派遣を拒否し、宮中三殿での奉告祭にも
出席しなかったといわれています。 これは全て、明治天皇にとって「祖先への報告」を意味することです。
つまり、明治天皇は「この戦争は不本意なものだから、堂々とご先祖様に報告する気になれない」
と思っていたことになります。勅使派遣は後に行っていますが、対外戦争に対する明治天皇の考えが伝わってきます。
その作られたイメージとは裏腹に明治天皇がすべての対外戦争を望まれず嫌っておられたことがあきらかです。 アンチ皇室の書き込みの言葉遣いの汚さが、かれらの人間性の
低さを明確に表しています。 皇太子同妃殿下は昨年、平成29年11月に宮城県名取市などの被災地をご訪問され
災害公営住宅の進捗状況などを視察慰問されました。このことをふまえ、今年の歌会始めに際して
東日本大震災の被災者の方の一人一人の幸せとさらなる復興を願われた歌を詠まれました。
復興の住宅に移りし人々の 語るを聞きつつ 幸せを祈れり
皇太子殿下 こんなところに住めとは言ってないし、何が良くてここに居て被災してまだ居座って
何考えてるんだろうと思って話を聞いてやったら、まあ〜語る語るw
彼らの言い分はこれっぽっちも共感できないけれど、この人らなりに幸せがあるならそーすれば? 今上天皇に広島長崎原爆の日参列を
最後の今年こそ
退位後に西日本に御用邸をもつことなく東京に留まり続けるというなら猶更最後の天皇である今年広島長崎原爆の日に参列するのが最低限ではないのだろうか 江戸時代前には天皇は極貧で葬式もできずに腐乱死体になってたのに
皇室祭祀なんかやってるわけないだろ
誰も天皇を知らず、誰も見に来ない儀式をやる意味がない
なにもかも明治に作られたイカサマだ
伊勢神宮への参拝も明治から
正月の初詣も明治から
くだらねー
寄生虫朝鮮神社カルト 原田さん本人かシンパの方でしょうか?
落ち着いてください。
伊勢神宮には西行法師も参拝してるし、
江戸時代から集団参拝してますよ。
初詣は治承5年に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したのが始まりです。
葬式ができなかったのは世が乱れた
戦国時代あたりで江戸時代ではありません。
皇室を大事にしなかったから
世が乱れた本となったのです。 >>150
ふーん、参考までに具体例を2,3、どうぞ >>158
>誰も見に来ない儀式をやる意味がない
骨の髄まで近代西洋思想とマルクス共産主義思想に染まってしまって
広遠なる東洋思想をまったく理解していない無知を吐露した書き込みですね。 >>160
そもそも日本国内に茶道、華道、弓道、乗馬、舞、謡い・・・
一つもやったことがないんですか? 全部、何かしらの皇室での祭祀の作法を参考にしているものですよ? そもそも天皇が伊勢神宮に行かなかったのは理由がある(自分で調べてね)
が歴代天皇は伊勢に行かなくても大嘗祭で天照大御神とご対面されているのである。
「まさしく天てるおほん神をおろし奉り天子みつから
神食をすすめ申さるる事」(一条兼良「代始和抄」)
だから大嘗祭は一世一代の重大行事なのです。
原田さん、明治時代に作った行事ではありませんよ(藁) 礼そのものが共通でしょ? 即位に関してだけずば抜けて作法が違うわけじゃない
学校の授業前の起立礼着席の流れだって儀式なんだから
婚礼の時に十二単を着て難波歩きしないで行進してたあの姿に違和感がなかったんなら
祭祀とかにそもそも興味がない人でしょうね
もしかして皇室祭祀を、右手が上で左手は下でこういう風にこうくるっと回してみたいな踊りのようなものだとイメージしてるんですか? 松本清張の『神々の乱心』を読んだ後、原タケシの解説本を読んだら、
雅子様は祭祀をさぼっているのに対して、
キコと娘2人は熱心にやっているとか余計な事が書かれていて、
折角の清張の小説の後味が損ねられ、不快でならなかった。
調べたら、原は団地暮しが長かったんだね。
それで、キコに親近感持ったのか。
皇室をネタに飯を食おうとする連中のほとんどは、ろくでなしだ。
やっと戸建てに住めてるようで、御用をやった甲斐がありましたね、原センセ。 >>165
すみませんが、話の脈絡がまったく合ってません。
>>150 にて中国における唐風の即位式の断片が各地に残っているという
ので、その具体例を2,3示してくださいということを問うた内容です。 さて、学研の赤本などで天皇は即位式で仏教的儀礼で即位したと勘違いしている
人も多いが、これも内容を精査してみれば間違いである。そもそも
この儀式の起源はじつは仏教ではなく、仏教成立以前の古代インドの国王の即位や立太子の
儀式に聖水を頭に濯いだことに由来するものです。ヒンドゥー教の代表的な文献に「ラーマーヤナ」が
あるが、この中にもラーマ王子が即位の際に灌頂を行う様子が描かれている。 九条家に伝わる文書(九条輔実書付「御即位神契的伝事」)には
「当家伝に云ふ、神代の昔天照太神と天児屋根命君臣の神契有りてより以降、其の二神の血脈の正統永く伝ふ、
其の神契の直授<神秘の面授口伝有り>古より今に至る、君臣合符の秘契は、代々直伝の口授にして、・・・」
と藤原摂関家に関わる縁起を伝えている。
「東寺御即位法次第」の内容は
「高御座において、王南方を向きこれを授く、この印明を以て、天照大神に示し給う也。
・・四海領掌の一印は、天照大神よりこれ在り、」
等の記述があり、必ずしも仏教にも基づく儀式であったとは言えないことがわかる。
むしろ、その印明を天照大神に示すのは、神道の儀式ではないかと考えられる。中世には僧侶が神道を担うケースは
珍しくないのであった。
つまり、天皇が「仏教儀式」で即位していたというのは大なる見当違い
だったわけである。 ↑
そのアマテラスが実在の糞袋としてだw
その時期に「神道」なんてモンがあったとすれば
それは「かんながらのみち」の源流の
世界史的には
トーテミズム、アニミズム、シャーマニズムの流れであり
「古神道」などという、復古神道の連中が幕末に「こうでなければならなかった」などと
創作したイカサマ、日本独自の神道なんかではないだろうwww だいたい
大嘗祭では鎌倉時代からは
二条家が仕切り
クライマックスには「即位灌頂」なる出家の儀式をしていたんだぞw だいたい
大嘗祭では鎌倉時代からは
二条家が仕切り
クライマックスには「即位灌頂」なる出家の儀式をしていたんだぞw 神武、安寧だのとかっちょいい漢風諡号を創作して
天武以前の39人にテキトーに
大王を「天皇」などと呼ぶことにしたのは淡海御船。
「欠史8代」とか9代と謂われるように1人平均125歳生きた割には何も事跡のない不自然な
連中は、創作の可能性が高いから
125×8=1,000年はサバ読みだろう。
天皇の諡号が天武、持統天皇夫婦から創始としても、せいぜい平安前期の村上天皇まで22人、23代約
330年程度。
村上の次の冷泉「院」から江戸時代後半の光格の前の後桃園「院」まで55人、約900年は
仏教式の上皇、法皇と同じ「院」が諡号なのである、、、(例外は安徳だけ)
建武の新政の後醍醐「院」も、延喜/天暦の治の醍醐、村上を理想としていたのに「天皇」諡号になったのは
1920年、大正9からにすぎず、まだ98年目だ。
明治期には後醍醐院天皇などと南北朝セイジュン論争期には呼んでいたw >>169
僧侶が神道を担う
んじゃなくて
神職役の僧侶=社僧がいた。
鎌倉の鶴岡八幡宮寺は明治16年まで、頼朝の創建以来、一貫して神主なんか居ない神宮寺。
家康に吉田神道の講義をした梵舜は、秀吉を祀った「豊国社」の別当寺の塔頭、「神龍院」の「社僧」。
「かんながらのみち」は確かに物部氏が司ったが、これが日本独自の「古神道」なのかよ?そんなもんは伝統的な神本仏迹説の吉田神道が唱えたことではなく、後期国学、水戸学のチンピラどもが復古神道創作で、言い出したこと。
日本史教科書に最初に登場するのは
天台宗の山王一実神道
真言宗の両部神道
鎌倉時代の元寇で、本地垂迹説に対する反本地垂迹説=神本仏迹説の伊勢神道=渡会神道が生まれ
室町時代の唯一神道=吉田神道に繋がったが゛、仏教から独立はできなく
「じんじゃ」なんて呼ぶのは明治期の近代社格制度、、、神宮→たいしゃ→じんじゃ→社の順に偉いとする、、、から。
江戸初期には身分制度肯定を前提とする儒教サイドからの垂加神道も生まれた。
幕末の復古神道と明治期の国家神道なんてのは、伝統的な「かんながらのみち」とは違うイカサマ。
八百万の神々の4割は、近代天皇制創作に都合悪いと判断し撲滅してしまった。
具体的に謂えば神田明神から主神の平将門を叩き出して、大国主に替えてしまったし
東京の小さなお伊勢さんを「天祖じんじゃ」なるものに統一して呼称したドサクサで
例えば、雑司が谷の法明寺の鬼子母神の娘さんたち、十羅刹女神を祭る大塚の十羅刹女神堂を、女神だからアマテラスでいいや、、、というインチキで天祖神社に替えてしまった。 >>167
それを日本語訳したもの一例として日本での江戸古流の習い事を教えてあげたのに
百度で「道教」でググレカス そうでなければ太極拳教室くらい行ってくれば? 立ち方お辞儀の仕方手の上げ下げまで
皇帝の前での作法を推してくれるわよ? どんだけ異邦人なの? 中国を朝日新聞でしか知らないの? 皇室祭祀ってかなり盛ってるよな
天皇は少なくとも戦国時代から何百年も極貧であり
天皇が死んでも葬式代が出せなくて腐乱死体で放置されているような状態で
誰にも相手にされないシャーマンが一人で祭祀をしてるとも思えないし
儀式が伝承されたのか怪しい
幕末の孝明天皇が祀ってある玉鉾神社を画像検索して見てみ
そこらの村にあるような小さな神社だ
対して明治神宮があんなに立派なのは人身売買と戦争で儲けたからであり
明治から急にリッチになっているわけだ
それで祭祀もリッチに大規模になったはずだ
そもそも江戸時代まで天皇は仏教だったのだから神道の祭祀は無いだろ 明治神宮なんてのは
井伊家下屋敷跡地に98年前にもつともらしく建設したもんにすぎないw
睦仁本人は秀吉のファンで
伏見桃山城の本丸をぶつ壊して
古墳を造成した。
本人が東京の守護神の「明治大帝」になるなんて、全く希望はしていないだろうにw
関東大震災の復興計画で、もっともらしく造成し、八王子に葬るようになったのは大正からにすぎないw
裕仁ラーの古墳を造成する時は文化財保護法違反して弥生時代の古墳を調査無しでぶっ壊して
造成したw 官庁が元号を使わなくなるくらいなんだから、ほんとに・・・終わるんだろうなあ
これからの祭祀は、宮内庁にFAX、海外王家にLINE、国民にインスタとかだろうか
歌舞伎役者の襲名披露のほうが格式が高いって言われるようになるだろうね 元号の問題以前に
一世一元と
代始め改元が滑稽だろw あのAssでさえ卒業できた
学習院大すら
退学させられたw
薄ラ馬鹿の
明仁
大正天皇でさえ学習院中等科に進学できる知能は無かったから
急遽、学習院初等科に「高等小学校」を作って卒業させた、、、今の義務教育の中2w
それなのに生物学者ヅラこく
裕仁ラーは小学校6年卒が最終学歴www
こういうチビの薄ら馬鹿がたまたま死んだ瞬間に時代が変わるって???w
馬鹿も休み休み言えよ、何が屁威勢時代だよ、笑話と何が違うのさ!w 天皇がやってる祭祀って何なの? 自分たちの祖先供養?国民は関係ないわけ 何れにしても
国家神道による祭祀なんてのは
近代天皇制創作に因るんだから
天皇に軍服を着せた大元帥、、、敗戦を契機に
文化的、伝統的に見直さなくては
続ける意味はないw
薄ら馬鹿なのに「聖人ヅラ」させられて、きゃつらもさぞ苦しいだろうにw >>171>>172
違います。ちゃんと調べましょう。 左翼系の方、あまりに穢れた書き込みで相手をするのが憚られます。
腐臭を放ってるのはあなたの思想と書き込みですよ。
あなたはまず言葉と心を正すべきですね。
宮中で行われてきたお祭りは古来より伝わるものです。
すでに述べたように大嘗祭ならず即位式までも神道的要素を
有するものでありました。
また内容の変遷はありますが、天皇による親祭、また各社寺への
勅使派遣などによる祈願も少なくとも平安の昔から行われてきております。
明治期には整備はありましたが、最近よく言われる創作などではありません。
太古より伝わる人類普遍の根源的な信仰が天武天皇により国家祭祀へと
昇華され、現存する世界でも稀有な宗教が日本神道なのです。
つまり、日本という国自体が神話のとおりに太古から伝わる原型的な国家
であるという証なのです。明治期に創作したものではありません。
そもそも日本に伝来した仏教そのものが、日本式仏教に変貌を遂げているわけで
これこそが日本神道の力です。日本式仏教=神道にほかなりません。
日本に伝わる仏教はブッダの唱えた仏教とはまるで違うものですよ。
しかし、そもそも左翼思想とは歴史への敬意もなく、また物質を超えた
崇高なるものを受け入れる余地もない思想なので、そのような人々に
神道どころか仏教でさえも理解できるとは思えませんが 明治にから増えたのはキリスト教系の儀式様式じゃね?
バチカンとも東方教会とも関係の無い海賊牧師の作法みたいだけどさ
祭壇の前でちょこまかやるってのが古式伝統のはずがないんだよ
昔は中継TVとかないんだから、伝統的であればあるほど
広い所で大声を張り上げて、大きな所作でわかりやすく動くものだよ
立会人や隣国からの外交員たちと臣下たちからよく見えるようにね
仏教だって、マイクが無いから僧侶が大合唱するわけだろ? 近世以前においても、「天皇即位式見物は奈良時代からあったという。式場は必ず太極殿に於てし、
皇族及朝廷の官人はいふまでもなく一般公衆もまた参列を許されぬ」(有職故実家・桜井秀(しげる)氏)
安徳天皇の即位式にも公衆が見学したことが記録からわかる(「玉葉」、「山槐記」)
後鳥羽天皇の即位式も見物人でいっぱいだとの記録がある(「民芸記」)
後醍醐天皇の即位式も庶民が多く見物した(「継塵記」)
注目すべきは江戸時代初期の後水尾天皇の即位式にはあの天下人となった徳川家康も頭を袈裟で包んで庶民に変装して
紫宸殿正面の階(きざはし)の下の地べたに座って見学したという(「義円准后日記」)。 このように江戸時代の天皇即位式には上は天下人・徳川家康から一般庶民までが幅広く見学した、まさに見せるための
儀式だったのである。またこれによって従来の左翼学者が唱えていた「江戸時代の一般庶民は天皇の存在すら知らなかった」
という偏見に満ちた妄説は戦後70年を経てようやく砕かれた。
そもそも江戸時代の庶民の代表的な食べ物である「寿司」職人が使う用語である「むらさき」や「あがり」などは
寿司職人が出入りしていた「花柳界」の業界用語であったのであり、さらに「むらさき」はその花柳界が「宮中」の用語を
真似て使っていたものである。また寿司の「司」も京都の上方の御所出入りの専門業者が名乗っていたものに
あやかって江戸の寿司屋が使いだしたものであった。まさに天皇、御所に対する憧れ文化と言ってもいいだろう。 また、幕末、江戸がまさに官軍に攻め込まれようとしている時に江戸の将軍から旗本までが頼ったのは江戸の町における
天皇である「上野の宮様」・輪王寺宮であったことはすでに別の回で述べさせていただいた。
今、流行りの左翼系歴史学者による反撃「明治維新という過ち」などに代表される明治時代に伝統がねつ造された論
では、この「江戸時代には庶民は天皇を知らなかった」を足掛かりに天皇という存在も明治に創作した近代のねつ造物
だという論を展開してきていたのだが、今回の最新の研究成果によりその前提が崩れたわけである。
日本こそは神代から続く君民一体の神国であるという認識が日本人の中に回復していくことを願います。 いろはにほへと・・から あいうえお・・変わってから天皇の語り方が
定まっていないような感じがします。
明治から今日までの天皇の語り方と、その歴史をみれば、天皇の語り方の
難しさを考えることができるのではないでしょうか。
同時に皇室の存続を考えることでもあるです。
関係者のお話を聞いていると、歴史的な重みのない、俗的で無責任で
適当な言論が多すぎるような気がしますが。
すべてに理由があるわけで・・皇室を取り巻く環境もそういった
ものが原因のように思えます。
今そこにある現実に対するものには、必ず原因があるのです。 中世以降、仏教は国家の保護の下、大きな権力をもっていたからでしょうな。
権力により、寺だけでは飽き足らず、神社や荘園にまで勢力を広げたのです。
これは侵略です。神仏習合などというのは仏教勢力による
侵略の結果に他ならない。
あの徳川家康も仏教勢力に命を奪われそうになったほどですからね。
なお、別当が置かれたからといって、
その神社が仏式であったということではない。
宮司は神式に則った祭祀を行い、別当は本地仏に対して仏式に
則った勤行を行っていた。
信徒は、神式での祭祀を行う一方で、仏式での勤行も行った。
神仏習合の時代には普通に見られた形態である。 (Wikipediaより) 日本から検索しても情報統制されてて日本人には情報が伝わらないかもよ
お里がお粗末なのはお互い様じゃね? >>184
w
具体的に、どこがどう違うのか指摘もできないくせに、何ほざいてるんだか?www 現在の宮中祭祀の多くは、明治政府が国策で創設したもの
[大祭]
元始祭・・・明治時代
昭和天皇祭(先帝祭)・・・明治時代
春季皇霊祭・・・明治時代 先祖供養から仏教色を取り除いたもの
春季神殿祭・・・明治時代
神武天皇祭・・・幕末(孝明天皇)
秋季皇霊祭・・・明治時代
秋季神殿祭・・・明治時代
神嘗祭・・・伊勢神宮の祭祀(皇室から幣帛使を派遣) 宮中祭祀になったのは明治時代
新嘗祭・・・飛鳥時代(皇極天皇)
[小祭]
歳旦祭・・・明治時代
孝明天皇例祭・・・例祭は明治時代に仏式から神式に移し変えられた先祖供養
祈年祭・・・飛鳥時代(天武天皇)
香淳皇后例祭
明治天皇例祭
賢所御神楽・・・平安中期
天長祭・・・明治時代(天長節は奈良時代 唐の玄宗皇帝の誕生日祝いに由来)
大正天皇例祭
江戸時代以前の天皇の祭祀は女官が代拝で行っていたのだから、もっと代拝を活用して、
四方拝、祈念祭、大祓、新嘗祭・大嘗祭、賢所御神楽などは宮中祭祀として継承し、
他のものは廃止して伝統的な形に戻すべき
例祭については、泉涌寺の歴代天皇の位牌を宮中に戻して仏式で行えばいい 博識に驚いた。
儀式は伝統に従って行われればよいが、「日出国」の天子の気概をしっかり維持して
それを現代の精神で実現してほしい。
古いだけで,ちんけなものを持ち出してそれを伝統と言わないで たもれ、と かしこみ 畏み まおすぅ。 (草) >>196
春秋皇霊祭は9世紀以前よりある「春秋月次祭」を継承したものです。
明治以降の創設ではありません。
神嘗祭における勅使(例幣使)派遣も古代より行われている行事です。
[大祭]
四方拝・・・平安時代初期
元始祭・・・明治時代
昭和天皇祭(先帝祭)・・・明治時代
春季皇霊祭・・・飛鳥時代
春季神殿祭・・・飛鳥時代
神武天皇祭・・・幕末(孝明天皇)
秋季皇霊祭・・・飛鳥時代
秋季神殿祭・・・飛鳥時代
神嘗祭・・・伊勢神宮の祭祀(皇室から幣帛使を派遣) 奈良時代
新嘗祭・・・飛鳥時代(皇極天皇) >>198
>春秋皇霊祭は9世紀以前よりある「春秋月次祭」を継承したものです。
>明治以降の創設ではありません。
月次祭は応仁の乱で廃絶し、その後宮中では復活していない
春秋皇霊祭は神式の先祖供養で、「お彼岸」の日に合わせてまとめたもの
国家安泰と天皇の福運を祈る月次祭は別の祭祀
>神嘗祭における勅使(例幣使)派遣も古代より行われている行事です。
「宮中祭祀」になったのは明治時代
伝統を尊重するなら、伊勢神宮の祭祀に幣帛使を派遣する形に戻すべき
それから四方拝は大祭小祭ではない一般の祭祀だよ
>春季神殿祭・・・飛鳥時代
もとは天皇の祭祀じゃなくて、伯家神道
明治になって神祇官の神殿に白川伯王家から移され、その後新たに作られた「神殿」に
八神と天神地祇が祀られた 今回の儀式がどうあるべきかを言ってほしい。
せっかくの知識も ただ 前はこうだっただけでは・・・。
それともその記録・記憶通りにやれといってるのだろうか?
まさか、何にも言えないでいる? まっとうな筋書きが自分では書けない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています