堤恭太2021年11月24日 9時00分

 解決の糸口がつかめない北朝鮮による日本人拉致問題。群馬県前橋市出身の井上克美(かつよし)さん(71)は、1971年の暮れに埼玉県川口市で行方を断った。警察庁が拉致の可能性を排除できないとした特定失踪者の一人だ。前橋市に住む兄の一男さん(74)は「とにかく政府は行動を起こして欲しい」と訴える。克美さんが姿を消してから間もなく、半世紀が経とうとしている。

 2002年10月15日、東京・羽田空港。北朝鮮に拉致された5人が帰国してタラップを降りる。テレビには、拉致被害者帰国に尽力した当時の官房副長官・安倍晋三氏の姿もあった。一男さんは、その光景を覚えている。安倍氏は06〜07年と、12〜20年に政権を担った。「この人なら、解決してくれる」と思った。

 だが、期待が大きかっただけに、失望だけでなく怒りも大きくなった。「外国にお任せで結局、何も進展しなかった。克美も私たちも、このまま消えていくのを待つだけなのか」

 克美さんは、3人兄弟の次男。中学卒業後、職業訓練校を経て電気工事会社に勤務して川口市で暮らしていた。1971年12月29日。会社の忘年会を終え、すし店で友人と飲んだ後、帰宅途中に行方がわからなくなった。当時21歳で、仕事は順調。結婚したばかりで、もうすぐ子どもが生まれる幸せな時だった。

 身重の妻から同31日、克美さんの実家に電話があった。「克美さんは行っていますか」。正月に前橋に帰る予定だったからだ。父と母は翌日に川口市に向かった。だが、元日の街で捜す手立てはなかった。

 しばらくして、一男さんと母イトノさんは前橋市内で拉致被害者・横田めぐみさんの両親の講演を聴いた。「克美と同じだ」。2人は特定失踪者問題調査会と連絡をとった。その後は川口市に通い、解決を求める集会や署名運動に参加した。一男さんは、克美さんの妻と長男を前橋へ呼び寄せた。

 昨年8月6日、「もう一度会いたい」と願い続けたイトノさんは息を引き取った。96歳だった。一男さんは「母は『克美が帰ってきてもわかるように』と転居を拒み、築70年の家に住み続けて待っていた」と無念そうに話した。
     ===== 後略 =====
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