追悼・平尾昌晃さん 最晩年の仕事「看護学校校歌」への思い

更新 2017/8/3 07:00

在りし日の平尾さん。歌手として、作曲家として多くの人に親しまれた(c)朝日新聞社
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 歌手・作曲家の平尾昌晃さんが、7月21日、肺気腫のためこの世を去った。79歳だった。

「ロカビリー3人男」であり、「カナダからの手紙」の歌い手であり、「わたしの城下町」や「よこはま・たそがれ」の作曲家。そして、「紅白歌合戦」の「蛍の光」指揮者でもあった。平尾さんには、さまざまな顔があり、時代を超えて多くの人に親しまれた。

 実は、平尾さんは、校歌も複数作曲している。最後に作曲した校歌は、ある看護学校のものだった。

 4月に開校した「たまプラーザ看護学校」(横浜市)の校歌で、タイトルは、「あなたが笑顔でいられるように」。

「非常に軽快で歌いやすい、爽やかなメロディーです。看護師を目指す若者たちが困難に打ち勝ち社会貢献への勇気がわくような明るい曲です」

 と、看護学校の理事長、赤枝雄一氏が言う。

 理事長の弟で衆議院議員、医師の赤枝恒雄氏が平尾さんと交流があり、作曲をお願いしたところ、平尾さんは快諾したという。赤枝議員は、「平尾さんには看護師への強い感謝の思いがあったようです」と、作曲を引き受けた背景を推し量る。

 平尾さんは「霧の摩周湖」などで日本レコード大賞作曲賞を受賞した翌年の1968年、結核を患い長野県で約1年間の療養生活に入った。2012年4月の本誌記事では、平尾さんはその療養生活について触れ、その後の音楽人生に大きな影響を与えたと語っている。

「看護師さんがはげましてくれ、生きる力をもらったということをお話しされていました」(赤枝議員)

 開校の翌月に行われたパーティーに平尾さんは出席し、元気な様子だったという。作詞を担当した看護学校顧問の石附弘氏がお礼を言うと、平尾さんは爽やかな笑顔で、

「『君が詞を書いたの? 若い人たちに、がんばってと伝えてください』と言われました」(石附氏)

 訃報が届いたのはそのわずか2カ月後。赤枝理事長は、「学校で指導してもらいたかった」と残念がる。赤枝議員はこう悼んだ。

「最後に作られた校歌が看護学校というのは、不思議な縁を感じます。奉仕の心を持つ看護師という存在への平尾さんの思いを受け止めました」

※週刊朝日 2017年8月11日号
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