『本日の水木サン』より
「戦争中の話だが、敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。
ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。
ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。
日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。
これを一人の女性で処理するのだ。
とてもこの世のこととは思えなかった。
兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。
兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。と」
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「ねえちゃん あと70人くらいだ がまんしてけれ」
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慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃
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●水木しげるの戦争体験
ニューブリテン島での戦争体験がその後の水木作品に影響を与えた。
ニューブリテン島ズンゲンの戦いにおいて、優れた装備と圧倒的な物量の連合軍の前に、所属する支隊の成瀬懿民少佐は玉砕の命令を出すが、
児玉中隊長の機転で遊撃戦(ゲリラ戦)に転じ、そのおかげで生命を拾うこととなる。
しかし、支隊本部の総員玉砕報告に反して生存者が出たことから、児玉は責任を取って自決した。
また島の住民にも襲われそうになった。バイエンに配属され、決死隊として夜間の見張りをしていたとき、敵の飛行機から機銃掃射された。
さらに逃げていた所を原住民ゲリラに発見され、あわてて海にとびこんで逃げた。
水木は銃剣とふんどし一丁でジャングルを数日間逃げ惑い、落ち武者狩りをやりすごしつつ、奇跡的に生還した。