アメリカは日本を見捨てる

 ここで『日本よ 国家たれ』が登場するのだ。清水は今度こそと猛烈に吠え出す。アメリカへの積年の不信感を噴出させる。清水が大きく取り上げるのは、 1979(昭和54)年9月1日、アメリカのキッシンジャー元国務長官が、ベルギーのプリュッセルで西欧の指導者に対して行った、いわゆる「キッシンジャー報告」である。
その中身は、元も子もない言い方をすれば、アメリカの現有通常戦力では、西欧にソ連の大規模侵攻があった場合、防ぎえない、というものだ。

清水はこれを評して言う。「アメリカにとってヨーロッパは先祖の土地であり、或る人は、アメリカとヨーロッパとの結合を『運命共同体』と呼んでいる。(中略)それに、大西洋は小さな海で、アメリカからの援助は甚だ容易なはずである」。嗚呼、それなのに「そのヨーロッパに向かって、キッシンジャーは、期待してくれるな、と言う」。
だったら日本はどうなるのか。「極東は、有色人種の住む土地であり、それは漠々たる太平洋によってアメリカから隔てられている。日米の結合は『利益共同体』に過ぎない」。

 ソ連と通常戦力で戦争をして勝ち目がなく、自国を滅ばす核戦争もしたくないアメリカが、いぎというとき日本を見捨てるだろうことは、火見るより明らかではあるまいか。そこで清水はかつての主張、すなわち日米安保条約の破棄を露骨に持ち出したりはしない。...

そして、アメリカに本気で日本を守らせるためには、日本の本気を見せつけなくてはならぬと述べる。そのための方途として最も強烈なのは、日本の核武装である。

「私たちの気持ちの何処かに、最初の被爆国であるという特権意識のようなものが潜んでいるのではないか。最初の被爆国である日本が核兵器を所有しなければ、有事の際、世界中の国々が日本に遠慮してくれるという滑稽な幻想を抱いているのではないか」。「日本のように、核兵器を所有せずに、ただ恐ろしさに怯えている国は、それを所有している国から見て、最も御し易い国であろう」。
更にこう畳みかける。「核兵器が重要であり、また私たちが最初の被爆国としての特権を有するのであれば、日本こそ真先に核兵器を製造し所有する特権を有しているのではないか」。
そのうえで「非核三原則」を唱えても、それは自らを弱者と言い立てているのに過ぎないと述べ、核保有国の傲慢さの証明に過ぎない核拡散防止条約への加入は自国を廃墟にするか否かを核保有国に全権委任しているようなものだとする。

弱者のプラグマティズム

... 清水が逝ったのは1988 (昭和63)年のことである。

 それから34年を経た。『日本よ国家たれ』の刊行からは42年。またも清水の滅亡への怖がり方とその反転としての激しい吠え方が、日本に憑依する季節が巡ってきたのかもしれない。アメリカが弱る度に清水は蘇る。

 清水は『日本よ 国家たれ』のあとがきにこう記した。「現在、私たちは、『古い戦後』が終り、『新しい戦後』が始まる転換点に立っている。古い戦後はアメリカの軍事的優勢を前提とし、その下で戦後思想に弁護されながら、私たちは、甘えたり、駄々をこねたりしてきた。
色々な面倒はあったにしろ、暢気な時代ではあった。これに反して『新しい戦後』は、 ソ連の軍事的優勢を特徴とする」。この「ソ連」を中国に置き換えればいい。暢気な時代はまたも終わった。...

(抜粋)