文藝春秋 2022年5月特別号
<緊急特集> ウクライナ戦争と核
米国の「核の傘」は幻想だ
日本核武装のすすめ エマニュエル・トッド
https://bunshun.jp/articles/-/53362
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エマニュエル・トッド 日本核武装のすすめ 米国の「核の傘」は幻想だ
https://bungeishunju.com/n/n3c95f27c81ce

しかしそれ以上に、予測不能で大きなリスクとなり得るのが米国の行動です。プーチンを中心とするロシアと対照的に、中枢がないからです。...

「ロシアの体制転換」など、無責任で予測不能な失言を繰り返すパイデン大統領は何を考えているのかよく分かりません。トランプにしても、大統領の地位にあったにもかかわらず、 思うような対露友好外交を展開できませんでした。米国では誰が権力を握っているのか分からないのです。

思想的にも、 ミアシャイマーのような冷静な現実主義者がいる一方で、米国には国務次官のビクトリア・ヌーランドのような、 反トランプで、断固たるロシア嫌いのネオコンもいて、破減的な対外強硬策を後押ししています。...

アフガニスタン、 イラク、シリア、 ウクライナと、 米国は常に戦争や軍事介入を繰り返してきました。 戦争はもはや米国の文化やビジネスの一部になっています。こうなってしまったのは、戦争で間違いを起こしても、世界一の軍事大国である米国自身は侵攻されるリスクがないからです。だから間違いを繰り返すのです。

日本は核を持つべきだ

米国の行動の“危うさ”は、日本にとって最大のリスクで、不必要な戦争に巻き込まれる恐れがあります(実際、ウクライナ危機では、日本の国益に反する対露制裁に巻き込まれています)。当面、日本の安全保障に日米同盟は不可欠だとしても、米国に頼りきってよいのか。米国の行動はどこまで信頼できるのか。こうした疑いを拭えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます。

日本の核保有は、私が以前から提案してきたことで、今回の危機で考えを改めたわけではありませんが、現在その必要性は、さらに高まっているように見えます。...

「老人支配国家 日本の危機」(文春新書)で詳述しましたが、核の保有は、私の母国フランスもそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでのカの誇示でもありません。むしろパワーゲームの埒外にみすからを置くことを可能にするものです。

「同盟」から抜け出し、真の「自律」を得るための手段なのです。過去の歴史に範をとれば、日本の核保有は、鎖国によって「孤立・自律状態」にあった江戸時代に回帰するようなものです。その後の日本が攻撃的になったのは「孤立・自律状態」から抜け出し、欧米諸国を模倣して同盟関係や植民地獲得競争に参加したからです。

つまり核を持つことは、国家として自律することです。核を持たないことは、他国の思惑やその時々の状況という偶然に身を任せることです。米国の行動が″危うさ″ を抱えている以上、 日本が核を持っことで、米国に対して自律することは、世界にとっても望ましいはずです。

ウクライナ危機は、歴史的意味をもっています。第二次大戦後、今回のような「通常戦」は小国が行なうものでしたが、 ロシアのような大国が「通常戦」を行なったからです。 つまり、本来「通常戦」に歯止めをかける「核」であるはずなのに、 むしろ「核」を保有することで「通常戦」が可能になる、という新たな事態が生じたのです。

これを受けて、中国が同じような行動に出ないとも限りません。 これが現在の日本を取り巻く状況です。

いま日本では「核シェアリング」が議論されていると聞いています。しかし、「核共有」という概念は完全にナンセンスです。「核の傘」も幻想です。使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的に他国のためには使えないからです。中国や北朝鮮に米国本土を核攻撃できる能力があれば、米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ません。自国で核を保有するのか、しないのか。それ以外に選択肢はないのです。

ヒロシマとナガサキは、世界で米国だけが核保有国であった時期に起きた悲劇です。核の不均衡は、それ自体が不安定要因となります。中国に加えて北朝鮮も実質的に核保有国になるなかで、日本の核保有は、むしろ地域の安定化につながるでしょう。...