―「ロシアの声」サイトから見たとき、日本人はどんな存在ですか。他の国と比べると。
 「国別に見たとき、サイトへのアクセス数が最も多いのは母国ロシアです。その次、2位が、ついこの間まで
日本だったんです。これがつい数週間前、3位の中国に逆転されてしまいました。中国は報道の自由が制限
されていますから、私たちのサイトに出てくる政治・外交記事を通して現実を知りたい、というニーズが高まって
いるようです。英語圏からもアクセスはありますが、日本や中国ほどではありません」
― 今まで日本から一番アクセスのあった記事は何ですか。
 「昨年12月の、プーチン首相発言です。サハリンを経由して日本とロシアをトンネルで結ぶという構想に
ついての記事です。これは5万人が読んでくれました」
http://japanese.ruvr.ru/2012_03_16/68662046/

広島、長崎における米国の野蛮な原爆投下ではなく、ソ連の対日参戦こそが日本政府をして、
戦争継続の無意味さを悟らせ、降伏を受け入れる決断をさせた。それは日本民族を本土決戦から救い出した。
http://japanese.ruvr.ru/2012_02_20/66504824/

ソ連邦が解体して間もない1990年代、日本は世界第二の経済大国でありながら、
従軍慰安婦だとか南京大虐殺とかで、屈辱的な謝罪外交を強いられた。
保守政治家がそれらに対して少しでも異論を述べると、内外から袋叩きにされ、
発言撤回や辞任に追い込まれた。しかも謝罪しても謝罪しても次から次へと
「日本の戦争犯罪」が槍玉に挙げられ、ドイツは誠実に戦争責任を反省したが日本は
していないと罵声を浴びた。アイリス・チャン「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」は、
全米でベストセラーになった。中国の江沢民主席は真珠湾を訪れ、「アメリカと中国
はともに対日戦を戦った戦友だ」という声明を発した。また反共ナチスドイツ軍は優秀
だったと高く評価される一方、ソ連を攻撃しなかった旧日本軍の評価は著しく低かった。
けれどもそうした傾向は、アングロサクソンの一極支配が衰退し代わってロシアの国力
が大きく回復するにつれて薄れてきた。野田総理は「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」
と述べ、河村名古屋市長は「南京大虐殺なかった」発言を撤回しないとのことだ。
ロシアは表向き日本を引き合いに出していても、日本と戦った時期は非常に短く、例えば中露共同
でソ連の対日参戦を祝ったところで、それはむしろロシアに有利な「ヤルタ協定」を、ヨーロッパや
中国に承認を迫る方向となる。ちなみにロシアのエリツィン大統領は、シベリア抑留を謝罪している。


冷戦崩壊期以降、モンゴルにおいても、ノモンハン事件の隠されていた側面(「モンゴルは、日ソ両国
の犠牲になった」との解釈)に、光を当てようとする新たな動きが見られるようになった。ただ、
こうした「歴史見直し」の動きに対して、「強いロシア」を再び標榜するようになったロシアは、
神経をとがらせ、「正義の戦いに勝利した解放者=ソ連」という従来の歴史認識を堅持しようとしている。
2009年8月26日、ウランバートルで開かれた「ノモンハン事件70周年」の記念行事に出席したメドベ
ージェフ大統領は、「この勝利の本質を変えるような捏造は容認しない」とくぎをさした。
http://www.a-jrc.jp/docs/Nomonhan.pdf

ソ軍烈士記念塔
 訪れた約1週間前、2010年9月26日にロシアのメドベージェフ大統領がこの場所を訪れています。
そのときに供えられた花輪が残っています。この記念塔の後に旅順陣歿露兵弔魂碑でも花を供えた
ようです。上記の旅順陣歿露軍将卒之碑の写真では風で左側へ飛ばされていましたが、去るときに
中央に戻しておきました。
 世界の要人が訪れた直後へ来たことなんて日本でも数えるほどしかないので不思議な気持ちになります。
http://www.dllocal.com/enjoy/595.html

これらはいずれも反日声明ではなく、また史実を歪曲するものではない。ノモンハンの
戦いについては中盤まではともかく最終段階ではソ連軍の大攻勢で日本は敗退したし、
また独ソ不可侵条約の締結で平沼内閣は「複雑怪奇」という声明を発して退陣している。
それから日露戦争については日本軍の旅順攻撃は宣戦布告前で、かつ戦争が終わると
韓国に朝鮮総督府を置いて支配を強めるなど、対外拡張政策は満洲国のそれと全く同じ。
明治は良かったが昭和は悪かったなどという司馬遼太郎アメポチ史観はもう捨て去るべきだ。
なお韓国の朴正煕大統領は、日本支配下の韓国で生まれ、満州国軍軍官予科を首席卒業した。
戦前日本の領土拡張主義については正か否かではなく、主な史実をいくつか挙げて説明すべき。