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靖国?

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000161歳
垢版 |
2010/09/23(木) 05:57:26ID:ibLjUUjD0
わしは、靖国や行っても頭や下げんわ!手も合わさんわ!あんなもん木と瓦の造りもんでないか!墓やったら骨があるけど、あそこにはないじゃろ!

あのとき、日本が戦争せんかったら、今ごろ、日本は、もっとええ国になっとるわ!

日本は中国に悪いことした!おまえが中国人だったら日本が悪いと思うやろが!中国は国内で日本人に殺されたんぞ!

お前らはすぐに通州事件とかいうけど、そんなもん知らんわ!
0141名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/18(火) 00:57:38ID:JMwbt2aw0
wqqq51殿、多大なレス、お疲れさんです。

文語調の日本語文献を多く引用されていましたが、多々読み間違いがありましたよ。


>>105

別段誰が最初に尖閣を発見したかにはこだわってはいませんし、少なくとも中国が最初に文献に登場させたのは間違いないと
こちらも認めています。

ただ、おそらくあなたもご存じのように、無人島の領有権を取得する先占が成立する条件として、発見よりは国家による領有意思
の明確な表示と実効的占有が必要だということはクリッパートン島事件の判例から明らかです。

>「桴海図経」に当時釣魚島付近の中国
>「特に台湾、福建」漁民の状況を明確に記載されたことは明らかであります。
>絶え間なく以外何でもない。

清国による尖閣の実効支配は遅くとも1884年の時点で明確に絶えています。

あなたも>>95で述べているように、1884年に古賀辰四郎が尖閣に探検隊を派遣したり、人夫を雇ってアホウドリの羽毛採獲や
鰹節製造などの事業を始めている。

もし、この時に尖閣が清国の実効支配下であったなら、直ちに明代から続いていた(らしい)パトロール隊によって実力で強制退去
させるなり、日本政府に対して抗議をするなりしているはず。いや、実効支配しているというのであればそうしなければならない。

それができていなかったというのは、民間による利用はたとえあったとしても、国家としての領有意思を放棄していると国際法上は
見なされます。

しかも10年間も!

日本による尖閣の調査・領有がこっそり行われたと非難しておられますが、あなた自身が示した一次資料に、「近頃清国ノ新聞ニ
我政府ハ清国ニ属スル台湾地方ノ島嶼ヲ占拠セシ様ノ風評ヲ掲ゲ清政府ノ注意ヲ喚起セシテアリ」とあるように、清側の
新聞ですら国の調査あるいは古賀氏による開発に気づき、政府に警告を発しています。

しかし、清国政府は無視し続けたわけです。全然防衛していません。この事実を持って1895年当時清国が尖閣を「絶え間なく」
実効支配していたというのは全くの間違いだということがわかります。

1884年といえばまだ日清戦争も始まっていないし、台湾では清仏戦争でフランス軍を撃退し、日本などはおそらくほとんど恐れて
いない状況だったでしょう。とても、アヘン戦争での敗戦(50年も昔のことなのに……)によって「抗議したくないわけがない、
抗議する力がありません」という言い訳は通用しません。また、併合でもされない限り、軍事力の差があったとしても抗議することは
可能ですし、どの国も行っています。実際、今の中国も、軍事力では日本にかなわない、軍事力を増強しなければいけない〜等
といいながら日本による尖閣の領有に抗議している。

これらのことから、遅くとも1884年〜1895年の間に尖閣はどの国家による領有意思も示されず、国家の意思に基づく実効支配も
なされていない「無主の地」であったことがわかります。


0142名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/18(火) 01:28:37ID:JMwbt2aw0

>>106

>まず当時の日本政府はすでにこの島が清の領という報告をうけました。

きちんと引用された文章を読んで下さい。

沖縄県令西村氏は、「疑ナキ能ハズ」つまり「疑わしい」という表現に留めています。「清の領土かもしれない」という
訳にすべきです。

なので、あえて古賀氏らに政府による開発許可を出さず、様子を見たものと思われます。もし清国から抗議を受けたら、
「いや、我々は許可を与えてないし、民間人が勝手にやったことですよ。」と言い逃れして清国との戦争を避けたいと
考えていたのでしょう。

で、実際には清からは一切抗議も実力排除も無かったので、尖閣が無主の地であったことがハッキリしたのでした。
たしかにこそこそとしていましたが、無用の争いを避けるという意味では賢明だったと思います。



>>107

>次、当時の日本政府すでに島の近くに清国の漁民が存在したことが知っていました。

あなたが引用した文章で述べられている「近来ニ至リ該島へ向ケ漁業等ヲ試ムル者」とは、先述した古賀氏ら日本人
を指します。清国人ではありません。詳しくは、

http://senkakujapan.nobody.jp/page058.html

の「五 漁業の取締りを理由とする所轄決定の上申」を参照して下さい。

明治20年代(1890年ごろ)には古賀氏だけではなく、伊澤氏や野田氏ほか他府県人だけでも20人近く尖閣諸島で漁業を
中心とする様々なビジネスを始めていたようです。他府県人であった彼等を管理したり税金を納めさせるために所轄を
明確にする必要があったわけです。


これらのことを総合すると、あなたが引用した資料からは、決して日本が尖閣を武力で侵略したわけではないこと、清国政府が
尖閣に対する領有意思を全く示していなかったことが明らかになりました。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/18(火) 01:46:52ID:JMwbt2aw0
>>110

>天皇政府が釣魚諸島を奪い取る絶好の機会としたのは、ほかでもない、政府と大本営が伊藤首相の戦略に従い、台湾占領
>の方針を決定したのと同時であった

井上清『「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明』からの引用ですね。同論文には引用された部分を根拠に「釣魚諸島は、台湾
のように講和条約によって公然と清国から強奪したものではないが、戦勝に乗じて、いかなる条約にも交渉にもよらず、窃かに
清国から盗み取ることにしたものである」とも断定していますね。

しかし、この見解は素人の私から見ても明らかに一次資料の誤読、または意図的なミスリーディングによるものです。

井上氏は『伊藤博文伝』を引用して,こう述べています。

「北京進撃は壮快であるが、言うべくして行なうべからず、また現在の占領地にとどまって何もしないのも、いたずらに士気を損う
だげの愚策である。いま日本のとるべき道は、必要最小限の部隊を占領地にとどめておき、他の主力部隊をもって、一方では海軍
と協力して、渤海湾口を要する威海衛を攻略して、北洋艦隊を全滅させ、他日の天津・北京への進撃路を確保し、他方では台湾に
軍を出してこれを占領することである。台湾を占領しても、イギリスその他諸外国の干渉は決しておこらない。最近わが国内では、
講和のさいには必ず台湾を割譲させよという声が大いに高まっているが、そうするためには、あらかじめここを軍事占領しておく
ほうがよい(春畝公追頌会編『伊藤博文傳』下)。」

上記引用5行目「ここを軍事占領しておく」の「ここ」を、井上氏は尖閣のことと強引に解釈して話を進めていますが、原文で「ここ」
が何を指しているかは不誠実にも明らかにしていません。

しかし、これは日清戦争の日本軍の進路を見れば明確にわかるように澎湖列島を指します。台湾割譲を認めさせるためには、
台湾より日本側の尖閣をとるよりも、台湾と中国本土の間に位置する澎湖列島を占領した方がはるかに説得力を持ちます。

また、軍艦が入れる港もない尖閣よりも、当時から海上交通の要衝で馬公湾のような天然の良港を持つ澎湖列島の方がはるかに
軍事上有益です。

実際日本は日清戦争終了直前に澎湖列島を占領しています。

井上氏が事実をねじ曲げてでも尖閣の取得を日清戦争と関係づけたい意図が明確に見えてきます。ハッキリ言って研究者
として最低の所業です。


0144名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2011/01/18(火) 02:20:37ID:JMwbt2aw0

>>132

すでに>>80等で述べているように、「サンフランシスコ講和条約を認めない」ことと、「尖閣(釣魚台)を中国領だと主張する」こととは全く別です。

また、「中国人民は台湾およびすべての中国の領土を回復する決意である」という声明を発したとのことだが、「すべての中国の領土」が
いつからいつの時点の中国領なのか?日清戦争前までなのか?それとも中国の歴史上の最大版図を指すのか?抽象的すぎてさっぱり
わかりません。よって、「尖閣(釣魚台)を中国領だと主張する」ことにはなりません。

ちなみに、>>141などで明らかにしたように、1884年までに尖閣は清国政府の怠慢によって無主の地となり、中国領から外れています。

また、1953年の人民日報で尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記した記事を載せ、石油が発見されるまではそれを
訂正する記事も載せなかったことから、尖閣が「すべての中国の領土」に含まれないことは明らかです。
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