wqqq51殿、多大なレス、お疲れさんです。

文語調の日本語文献を多く引用されていましたが、多々読み間違いがありましたよ。


>>105

別段誰が最初に尖閣を発見したかにはこだわってはいませんし、少なくとも中国が最初に文献に登場させたのは間違いないと
こちらも認めています。

ただ、おそらくあなたもご存じのように、無人島の領有権を取得する先占が成立する条件として、発見よりは国家による領有意思
の明確な表示と実効的占有が必要だということはクリッパートン島事件の判例から明らかです。

>「桴海図経」に当時釣魚島付近の中国
>「特に台湾、福建」漁民の状況を明確に記載されたことは明らかであります。
>絶え間なく以外何でもない。

清国による尖閣の実効支配は遅くとも1884年の時点で明確に絶えています。

あなたも>>95で述べているように、1884年に古賀辰四郎が尖閣に探検隊を派遣したり、人夫を雇ってアホウドリの羽毛採獲や
鰹節製造などの事業を始めている。

もし、この時に尖閣が清国の実効支配下であったなら、直ちに明代から続いていた(らしい)パトロール隊によって実力で強制退去
させるなり、日本政府に対して抗議をするなりしているはず。いや、実効支配しているというのであればそうしなければならない。

それができていなかったというのは、民間による利用はたとえあったとしても、国家としての領有意思を放棄していると国際法上は
見なされます。

しかも10年間も!

日本による尖閣の調査・領有がこっそり行われたと非難しておられますが、あなた自身が示した一次資料に、「近頃清国ノ新聞ニ
我政府ハ清国ニ属スル台湾地方ノ島嶼ヲ占拠セシ様ノ風評ヲ掲ゲ清政府ノ注意ヲ喚起セシテアリ」とあるように、清側の
新聞ですら国の調査あるいは古賀氏による開発に気づき、政府に警告を発しています。

しかし、清国政府は無視し続けたわけです。全然防衛していません。この事実を持って1895年当時清国が尖閣を「絶え間なく」
実効支配していたというのは全くの間違いだということがわかります。

1884年といえばまだ日清戦争も始まっていないし、台湾では清仏戦争でフランス軍を撃退し、日本などはおそらくほとんど恐れて
いない状況だったでしょう。とても、アヘン戦争での敗戦(50年も昔のことなのに……)によって「抗議したくないわけがない、
抗議する力がありません」という言い訳は通用しません。また、併合でもされない限り、軍事力の差があったとしても抗議することは
可能ですし、どの国も行っています。実際、今の中国も、軍事力では日本にかなわない、軍事力を増強しなければいけない〜等
といいながら日本による尖閣の領有に抗議している。

これらのことから、遅くとも1884年〜1895年の間に尖閣はどの国家による領有意思も示されず、国家の意思に基づく実効支配も
なされていない「無主の地」であったことがわかります。