「天皇政府が釣魚諸島を奪い取る絶好の機会としたのは、ほかでもない、政府と大本営が伊藤首相の戦略に従い、台湾占領
の方針を決定したのと同時であった。一八八五年には、政府は、釣魚諸島に公然と国標をたてたならば、清国の『疑惑ヲ招キ』
紛争となることをおそれたのだが、いま日本が釣魚諸島に標杭をたてても、清国には文句をつけてくる力などはない。たとえ
抗議してきても一蹴するまでのことである。政府はすでに台湾占領作戦を決定し、講和のさいには必ずここを清国から割き取
ることにしている。この鼻息荒い政府が、台湾と沖縄県との間にある釣魚島のような小さな無人島は、軍事占領するまでもな
い、だまって、ここは沖縄県管轄であると、標杭の一本もたてればすむことである、と考えたとしてもふしぎではない。」

別に抗議したくないわけがない、抗議する力がありません。