>>98
BLOGを通訳してあげたのはやはり時間が稼ぎすぎでした。
ごBLOGの中に幾つの問題点があります。
まず回数、BLOGの論点は誰が利用回数が多い以上この島が誰のものだということですね。
でも国際法に認めた無人地への先占は最初誰が島を利用するということです

では、現存の資料を挙げましょう。
琉球国中山王察度により、中国・明の太祖から冊封を促す招諭を受け、さっそく一三七二年、中山王の察度が弟の泰期を使節
として遣わした。
これが進貢船の派遣第一号である

ご理解できますか、まず冊封船が琉球に来て、これから招諭を受け琉球側が船を派遣してこのルートが初めて利用しました。

最初にどの国が釣魚嶼を利用したことははっきりではありませんか

「捍海図経」について当方のミスです
この本の全名は鄭舜功が著書した「日本一鑑 桴海図経」です
日本の方面が「日本一鑑」を正式名として、中国の方面が「捍海図経」を記名しました。

だから明確の日本語名の検査が時間を稼ぎすぎると同時に通訳の水準、政治立場などによって誤解そして混雑される可能性
がありますので、反感を買うかもしれないが、少し中国語を勉強した方が真実を発見に役に立つと思います。

→「とても「絶え間なく」領土主権を持つ記録があるとは認められません。」に対し「桴海図経」に当時釣魚島付近の中国
「特に台湾、福建」漁民の状況を明確に記載されたことは明らかであります。
絶え間なく以外何でもない。

特に当時の中国漁民がすでに遠洋航海技術を持っています、以下の地図を見て当時唯一釣魚嶼を利用できる国が中国し
かありませんでした。
http://sound.jp/sodaigomi/ch/senkaku/senkaku-okinawa.gif

>>わざわざ明・清がパトロールをしていたとは考えられません。
清が海外通商を防ぐために遠洋パトロールを行ないました、特に日本、朝鮮、琉球などとの間の密輸を厳しく鎮圧していました。
いわゆる鎖国政策。
海上で密輸船そして倭寇が消滅されたでもまだ中国の海賊が存在した以上、パトロールにおこなっていました。
この権限が当時の広東総督に任せった。

だからその時島は航路標識、漁業と薬草の原産地として利用され、中国海岸の防衛範囲に含められました。