義務教育で標準語の授業もある方がいいpart22
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巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
ケツの穴からドババババババババッバwwwwwwwwwwwwWWWW
wwwwwwwwwwww
WWWwwwwwwwwwww??? ? ? ? ? ? ? ????? ????????wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
なお、まにあわんもよう 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の
無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのようなマヌケなことを言う輩>>1は戦前脳のバカ老害か、向学心のない無知バカと認めるしかないのでは? https://www.google.c...try-11836518966.html
>(略)ヒョウジュンゴは、政府主導のものでしたので、全国民にそれを推薦・強要しました。その押しつけは、これまで日本で使われていた方言を排斥しようという動きにまで発展してしまったのです。いわば強制的に決められたのが「ヒョウジュンゴ」なのです。
>「ヒョウジュンゴ」という呼び方は、第二次世界大戦時まで使われていましたが、戦後になって廃止されました。その代りとなったのが「共通語」という考え方です。
>「共通語」には、自然発生的に全国に広まり、使われるようになった言葉であるといった意味が含まれています。けれども、「共通語」のもとは、明治以降強制的に行われてきた「ヒョウジュンゴ」です。
>ただ、戦後から今現在まで、日本では法律などで「このような日本語を使うこと」といった決まりはありません。
>今でも「ヒョウジュンゴ」と「方言」を対比させて言う人がいますが、それは誤りです。
>今は、日本のどこに行っても通じる「共通語」があり、それ以外に、地域の中で使われている「方言」が、この日本にあるのです。 そろそろバカ老害>>1は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのようなマヌケなことを言う輩>>1は戦前脳のバカ老害か、向学心のない無知バカと認めるしかないのでは? 巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
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なお、まにあわんもよう 上記を見ても事態は深刻な模様
早急に標準語の授業を施さないといけない >>10は脳年齢95歳、精神年齢5歳のボケジジイ
「方言人」とか「訛り人」とか「訛り語」とか「部落語」とかいうのは何?
おまえの造語?
もし方言学の世界で常識的な用語ならどういう論文に出てくるのか教えてくれw
おまえが書いた論文でもいいよ?
言語学者なら論文を書くよな?出してみろよ。
名前教えて?サイニーで検索するから。
早く答えろバカアルツ老害。ボケすぎて日本語わからんのか? 巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
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なお、まにあわんもよう 欧米人は白人、日本人は黄色人種
こういった事実からも目をそらす輩同様に
自分は方言人ではないと言い張る輩がいて困る >>24 = >>1は「方言人」などという意味不明な単語を創作して話者を貶めるような表現を用いているが、凡そ日本には口語において方言を使用しない地域など存在しない。
一部の愚かな人間は関東では方言は使っていないなどと勘違いしているが、そいつらは文語では
「してしまっているのではないか」となるところを口語では「しちゃってるんじゃね」とするなど、常に見事なほど方言丸出しである。
自分が方言を使っていることを理解していない愚かな人間は滅んだほうが良い。
わかったか自称言語学者のバカ素人 静岡県賀茂郡東伊豆町 温泉付き1円
販売価格 各1円(A・B )
土地面積 A 222u(67.15坪)
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備考
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標準語が通じず救助の人の言葉が判らない・・・なんて事は無いだろうか そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは? >>28
これはマズいね
こういう事が無いよう標準語で統一しなければならない
方言には課税しなければならない 中黒をリーダーの代用にするのは誤り。
義務教育を受け直した方が良い。 当たり前のことが出来ない人もいることを忘れてはいけない ヒョウジュンゴは放送禁止用語としてメディアに流してはいけん 教育を受けていない証なのか言語機能に障害があるのか、
訛り人はどうにかしないと景観を損なう なお自分の関東方言や文法的誤りには自覚がない模様
25 名無す 2019/09/25(水) 00:36:50.76 ID:tIypW9Om
この世に人種差別はないというような空論を展開
現に実在してるものは認めるべき
そうしないと某国からしてきされてるように捏造書き換え云々が現実味を帯びてくる
26 名無す 2019/09/25(水) 01:17:46.88 ID:q/h0uAzY
>> 25
「べき」で文を終えるのは伝統的な日本語としては破格。
穢らしい関東の人間は何も思わないのかもしれないが、平常の人間は違和感を抱く。
言語感覚が壊滅的な事を示す好例と言えよう。
27 名無す 2019/09/26(木) 10:56:38.97 ID:gPijY5Im
>> 25
関東弁丸出し。
「してる」ではなく、共通語では「している」。
「してきされてる」ではなく、共通語では「指摘されている」。
東夷は無知の自覚がないから困る。 大阪府民「実在しとる」(自分が方言を話していることを自覚しつつ、かつその方言に誇りを持っている)
山口県民「実在しちょる」(自分が方言を話していることを自覚しつつ、かつその方言に誇りを持っている)
高知県民「実在しちゅう」(自分が方言を話していることを自覚しつつ、かつその方言に誇りを持っている)
最低限の知性のある関東民「実在してる」(自分が方言を話していることを自覚している)
知性のない関東民「実在してる」(自分は「標準語」を話しているという妄想を肥大化させ、独り善がりの愚かな優越感に浸る) 地方の子供には授業を1コマ増やしてあげるべき
産まれた場所でハンディキャップを背負い続けるのは不憫 バカアルツ老害のタワゴト
「 標準語圏」などないぞ東夷方言土人 標準語圏から外れた非標準語エリアからも教室に通えるようにしてあげたい 災害時に方言しか分からないようだと悲惨なので標準語を施すべき 共通語
明治の悪習に洗脳された老害はヒョウジュンゴと言ってしまう 巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
ケツの穴からドババババババババッバwwwwwwwwwwwwWWWW
wwwwwwwwwwww
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なお、まにあわんもよう 方言人は書類は標準語で記入するのだろうかpart4
27 :名無す[]:2019/10/03(木) 10:29:43.18 ID:TEMh1SA5
>このスレは興味深いねぇw
>訛り人が書類とか書いてる瞬間に気持ちを聞きたい
「標準語」などと言う単語を使う輩は知能が低い
29 :名無す[]:2019/10/03(木) 10:30:51.92 ID:TEMh1SA5
>2ちゃんの生きる価値のない汚物とは
>食べ物板の元都民で、高校野球板のPLおやじで、ラグ板のほもちょうで、なんJ板のウンコブルドーザーで、
>プロ野球板の嫌われ者トラキチで、捏造ノーベル賞コピペが大好物のZAQ大阪蟯虫で、トンキン連呼のメール欄ジジイで、
>1947年生まれの71歳で、2chの初期から生息しており、24時間365日ネットに貼りついている孤独な引き篭もり老人で、
>複数IDを用いた自作自演を特徴とする東大阪在住の在日二世で、かつ変態ガチホモ(PL清原の尻の形が好み)であり、
>必死チェッカー全板1位の記録を持つ悲しきモンスターである・・・・
↑
大阪コピペ馬鹿はヒョウジュンゴ馬鹿老害>>1だったか
生きる価値がないどころか社会迷惑の害悪ジジイ
今すぐ死ね 24名無す2019/10/16(水) 05:52:14.96ID:Sy/W0mQH
PL親父=自称広島クソヤロウ
ところで広島ってなにがあるの?木?
>広島の歴史ってほとんど東国武士による浸食の歴史だよな。
広島なんて関東、中部、東海の植民地だよ
あの土地は戦国時代に毛利が現れるまで歴史的に何の存在感もなかったが
その毛利も息子の小早川も神奈川の相模武士出身だからな
それで一番多いのは小規模ながら屈強さなら誰にも負けない埼玉の武蔵七党系武士団
厳島社家を筆頭に古代以来の広島人は本来負け犬なのさ
東国武士は安芸一国をほぼ植民地化したからよ
>広島にはロクな歴史がない
毛利親子のみの一発屋
人物の輩出数で愛媛に完敗
名より命が惜しいのがヘタレの広島人
山口の大内氏は九州まで席巻していたが、ポっと出の
毛利氏は大内氏のマネして九州まで版図を広げようとしたが、
痛い目に遭って中国で引き籠りになってしまった。
>安芸に人物なし
東条五郎 ザコ
佐伯景弘 ゴミ
沼田次郎 クズ
毛利輝元 ロリ
>おかやまvsひろしま
輩出した政治家、学者、芸術家、宗教家の数も質も段違い
広島が多いのは河原乞食の末裔の芸能人とか在日稼業のスポーツ選手くらい
昔から岡山人や山口人が広島を下に見て馬鹿にする理由の一つ 大阪コピペ馬鹿=広島コンプレックスのヒョウジュンゴ馬鹿老害 大日本帝国が中心たるお言葉は標準語だこの野郎 そんな事も知らんのか貴様ら 日本国たるお国の言葉は標準語だ 標準語があって初めてそのバリエーションでありオリジナル言語のアレも存在できる
基本となる標準語がなければアレは通じない 広島弁や猛虎弁しか喋れないと就職で不利だからね
標準語を施してあげてるべき ちゃんと標準語の授業を行わないと
自分の名前も 山田太郎やで とか書きそうだよねぇ >>68
広島コンプレックスのヒョウジュンゴ馬鹿老害のタワゴト いやいや、岡山ですら広島コンプなんかありませんからwww
ところで広島ってなにがあるの?木?骨組み?
>源平1 広島武士、平治の乱で瞬殺される
>源平2 広島武士、伊予の盟友を裏切り土下座降伏
>源平3 広島武士、変わり身の早さを嫌われ社職追放
>南北朝 北関東の小豪族「山名時氏」に北近畿〜北中国一帯を占拠される
>室町 平賀ら広島武士、九州勢に蹴散らされる
>戦国1 鳥なき陸の中国で無人の荒野を行くが如く領土拡大
>戦国2 東九州の大友にぼこられ涙目敗走
>戦国3 天下分け目の関ヶ原で引きこもり領土削減
>戦国4 毛利家、暗黒の地広島から脱出 岡山は中国地方の埼玉
埼玉千葉神奈川茨城が東京に憧れるように
岡山山口鳥取島根は広島に憧れる
お前は広島コンプレックスの東夷老害
現代日本にヒョウジュンゴはありません 共通語です
共通語と東夷方言は違います
お前がリアルで話すのは下卑た東夷方言
わかったか馬鹿東夷老害
死ねw 広島とか猛虎の人には重点的に標準語を施してあげないと
上記のような異様な老人になってしまう ヒョウジュンゴなどとほざく輩の精神年齢がジジイ ノーモア長崎ワンモア広島という流れを断つためにも
標準語を施してあげなければならない グローバルな観点からも英語は必須だけどその前に国の恥部を正さないといけない >>80
「方言地方」って何?
馬鹿の造語は相変わらず意味不明 関西弁>標準語>>>>>広島弁(笑)
広島ガイジは自分が関西弁だと思ってる哀れな精神異常者 バカのマヌケ発言。
広島方言は中国方言で関西弁ではありません
もっと勉強しなさいバカ。 関東弁=東北弁=東夷の方言=土人の方言=田舎の方言 >>84
いやいや、岡山ですら広島コンプなんかありませんからwww
ところで広島ってなにがあるの?木?
安芸広島の勇士
___ 知らんのう
‖奈良 | ∨
‖以前 ∧_∧ ミ ⌒ 彡
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ 居らんのう
‖ | ∨
‖平安 ∧_∧ ミ ⌒ 彡
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ 聞かんのう
‖ | ∨
‖鎌倉 ∧_∧ ミ ⌒ 彡
‖ \ ( ・∀・)<`∀●>
|| ̄ ̄⊂ ) ( と)
凵 し`J U U
___ 真っ暗よのう
‖ | ∨
‖室町 ∧_∧ ミ ⌒ 彡
‖ \ ( ・∀・) <●●>
|| ̄ ̄⊂ ) (づ と)
凵 し`J U U >>89
はい全くお返事にすらなっとらんと
広島方言は中国方言
お前の関東弁は下卑た東夷土人方言
わかったかバーカ そういえばSiriも猛虎は困るって言っていたねぇw >>95
そういやさあ、シリも猛虎ってやつ?は困るって言ってたらしいじゃん? 881 :方言板利用者:2015/08/31(月) 13:58:03.19
>>880
スレの趣旨に関係あるからお願いしているんですが
もう一度繰り返します。
この者は西日本人に対して常に差別・蔑視を多く含む暴言を吐いております。
レス番号も何も、
全 て の レ ス が そ う で す。
ですから、この者の全てのレスが削除の対象となるはずです。
方言板利用者としては、見ていて非常に不快です。
スレや板の趣旨に全く関係の無い、且つ非常に失礼な内容の投稿ですので、この者のレス、及び(できれば)この者の立てたスレを削除して頂きたい。
2chのマナー違反で、迷惑行為ですので、即刻削除をお願い致します
892 :方言板利用者:2015/08/31(月) 14:41:04.17
は〜そうですかそりゃあどうも
ところであなた、どちらのご出身?
まさか関東東北のかた? PL親父=自称広島クソヤロウ
ところで広島ってなにがあるの?木?
>広島の歴史ってほとんど東国武士による浸食の歴史だよな。
広島なんて関東、中部、東海の植民地だよ
あの土地は戦国時代に毛利が現れるまで歴史的に何の存在感もなかったが
その毛利も息子の小早川も神奈川の相模武士出身だからな
それで一番多いのは小規模ながら屈強さなら誰にも負けない埼玉の武蔵七党系武士団
厳島社家を筆頭に古代以来の広島人は本来負け犬なのさ
東国武士は安芸一国をほぼ植民地化したからよ
>広島にはロクな歴史がない
毛利親子のみの一発屋
人物の輩出数で愛媛に完敗
名より命が惜しいのがヘタレの広島人
山口の大内氏は九州まで席巻していたが、ポっと出の
毛利氏は大内氏のマネして九州まで版図を広げようとしたが、
痛い目に遭って中国で引き籠りになってしまった。
>安芸に人物なし
東条五郎 ザコ
佐伯景弘 ゴミ
沼田次郎 クズ
毛利輝元 ロリ
>おかやまvsひろしま
輩出した政治家、学者、芸術家、宗教家の数も質も段違い
広島が多いのは河原乞食の末裔の芸能人とか在日稼業のスポーツ選手くらい
昔から岡山人や山口人が広島を下に見て馬鹿にする理由の一つ 【1. 広島人の本質】
確かに農地がタダでもらえると聞いたら北海道、ハワイ、南米まで一族をゾロゾロ引き連れて行くような卑しさが広島人の本質を物語っている
全国的に見ても異常に多い精神障害者年金受給者、原爆利権、生活保護受給者、死人が相次ぐ同和利権絡みの事件の数々、同じく死人が相次ぐ教育関係と韓国土下座旅行
大昔から能無ししかいなかった為に岡山山口からバカにされ人的支配を受け続け、出て来るのは河原乞食稼業の芸能人か在日稼業のスポーツ選手だけ
いわゆる偉人と呼ばれる人物は過去1000年さかのぼっても1人も輩出できていない稀に見る無能県広島
広島人と半島人に昔から共通する 恨み 妬み 僻み の文化と人間性
おまけに広島市街地を流れる川は日本一の大腸菌汚染川で食中毒発生率は日本一高い。
広島人はゴキブリか何かの生まれ変わりか? wwwwwwww広島の企業もずーーーーーっと岡山に転出超過wwwwwwww岡山は広島みたいな臭いだけのド田舎に全く興味はないというのにwwww
毎年のように広島の企業がド田舎広島を捨て岡山に本社を移転しまくってます
■転入超過数 <都道府県別本店移転の増減ランキング> 2018/4/2
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/s180401_27.pdf
1 埼玉 861社
2 神奈川 659 社
3 千葉 433社
10 宮城 69社
13 岡山 30社
21 鳥取 1社
35 島根 -14社
36 山口 -17社
43 広島 -74社 wwwwwwwクソ笑ったwwwwwwwwwどんだけ衰退すれば気が済むんだよwwwwwwwwwwwww
■広島県から転出した地元本社企業の移転先
転出本社数 転入超過数
1 東京都 54社 -15社
2 岡山県 37社 -18社 wwwwwwwww完全に岡山の植民地wwwwwwww
3 山口県 23社 0社
4 大阪府 20社 -10社
5 兵庫県 10社 -3社
wwwwwwww西日本一の衰退県広島、地元企業が潰れまくりwwwwwwww
2018年度上半期(2018 年 4 月 1 日~9 月 30 日) 1000万円以上の大型倒産件数
岡山県 26件
広島県 83件 wwwww
約 3.19倍 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2018年度上半期(2018 年 4 月 1 日~9 月 30 日) 県内企業の負債総額
岡山県 32億円
広島県 208億円 wwww 中国四国九州負債総額ワースト wwww しかも2017年下半期から二連覇 wwww
約 6.5倍 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
https://www.tdb.co.jp/tosan/syukei/pdf/18dokami.pdf https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/accuse/1443588426/l50
ID:JeQGQ3kY
ID:s6vaK9h5
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ヒ| / |ノ
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ヽ ` ,.| ZAQ | |
`− ´ | 自称広島 | _| くっそー福岡堅樹やらせろー! >>97-101
広島コンプレックスのヒョウジュンゴバカ老害のタワゴト どうも広島は大変そうなので標準語を早急に施すべき
急がないと取り返しがつかないことになる 広島をはじめ西日本方言は正統な日本語
下卑た東夷地域こそ共通語教育を施すべし 広島弁、岡山弁なんて関西弁に浸食されつつある弱小方言だろ >>108
無知丸出しw
関西弁の元は瀬戸内方言。
関西弁独自は甲種アクセントだけw 関西>岡山>>>>>>>原爆弁、猛虎弁
って事かな 東夷方言丸出しで「標準語w」などとほざく土人は滑稽でしかない あてつけもわからないおじいw
第一、共通語なんて一度も言っていないわ! 肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 岡山の奴隷である広島を救ってあげるべき
そのためにもまずは標準語の授業を週5で施すべき
その次は京都の下位互換である猛虎、大阪兵庫あたり ワンモア地方、猛虎地方の方は待っていてください
急ぎますので! >>118
「今だに」と「未だ」の使い分けはわかったかバカジジイ? 教師は全員標準語エリアの人間が務めるべき
これは基本中の基本 反論してこんところを見ると、使い分けはお勉強したようだねぇw 標準語エリアからだと左遷と感じたり、
現地の人を見下してしまうリスクも忘れてはいけない 本当は論破されたことが理解できなかったけれど
負けを認めたふりをしてタワゴトを述べつづけているのか まずは授業で標準語を教え、その後上位言語として新標準語を覚えていくのが良い 意味不明なバカのタワゴト。
ヒョウジュンゴは現代日本には存在しないので、新ヒョウジュンゴなどという日本語も当然存在しない。
国語が苦手なおまえは中学校からやり直せ。
それで「今だに」と「未だ」の使い分けは理解できたのか?
「はい」か「いいえ」で答えろアホ
おまえの好きな二択問題だよ いろいろな授業を標準語で行っているはずだから自然と身に着くはずなんだけどね
遺伝子が拒否してしまうのかもしれないw 方針として身の丈というのが存在している事が明らかになった
しかしアフリカや部落方言地域を望んで生まれてくる人がいるだろうか
下賤の者と切り捨てずに助けてあげなければならない アホか
子を産むのは親の身勝手
おまえの豚親も発情して交尾しておまえを生んだのよ
バカは遺伝する 方言と共通語
現代なら小学校の国語で習うけれど
老害>>1は義務教育すら受けられなかったのかな? 政府公認の身の丈地域の人が可哀そう
あの方言たちはショックだろうねぇ 今だにヒョウジュンゴなどと言うようでは
「今だに」と「未だ」の使い分けを知らんのも無理ないか
非常識で迷惑な老害>>1はいじめられながら孤独死確定 51名無す2018/12/28(金) 23:31:49.13ID:Mi4C+msz
・兵庫医科大学名誉教授の欠田早苗氏(解剖学)
頭型の分布は朝鮮半島から渡ってきた人たちのルートを示していると考えるわけです。
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
で、この(過)短頭の人たちは百済、対馬、瀬戸内沿岸とつながっています。
なんだ、PLおやじスレにいろいろデータや資料あるんじゃんw
私が調べるまでも無かった >>137
「今だに」と「未だ」の使い分けはわかったのか?
ワンパタ苗字の朝鮮蝦夷
おまえの苗字は? いろいろあるねぇ
13名無す2016/09/05(月) 06:05:41.27ID:7pTTHrDC
>>1
ほら現実見ようね朝鮮系大阪人さん
▼武田鉄矢(福岡市博多区出身の俳優)
『大阪は他人に頼ってきたから主体性が無い』
▼ローラ(JR九州公式フォトグラファー)
『アニョハセヨは関西弁』
▼くまモン(熊本県営業部長)
『粉モンって、こんなモンかー』
▼埴原和郎(福岡県北九州市出身の人類学者)
『近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近く、日本人の平均から外れている』
▼中橋孝博(九州大学大学院教授)
『関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い』
▼向江さん(鹿児島歩兵第145連隊)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼古瀬さん(久留米第18師団)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけど、その場でびんたですよ、「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』 >【1. 広島人の本質】
確かに農地がタダでもらえると聞いたら北海道、ハワイ、南米まで一族をゾロゾロ引き連れて行くような卑しさが広島人の本質を物語っている
全国的に見ても異常に多い精神障害者年金受給者、原爆利権、生活保護受給者、死人が相次ぐ同和利権絡みの事件の数々、同じく死人が相次ぐ教育関係と韓国土下座旅行
大昔から能無ししかいなかった為に岡山山口からバカにされ人的支配を受け続け、出て来るのは河原乞食稼業の芸能人か在日稼業のスポーツ選手だけ
いわゆる偉人と呼ばれる人物は過去1000年さかのぼっても1人も輩出できていない稀に見る無能県広島
広島人と半島人に昔から共通する 恨み 妬み 僻み の文化と人間性
おまけに広島市街地を流れる川は日本一の大腸菌汚染川で食中毒発生率は日本一高い。
広島人はゴキブリか何かの生まれ変わりか?
↑本当かな?事実ならこれもちゃんと授業で教えないと! 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人) :|ヽ、 |ヽ: うがっ……これは捏造……これ…捏造……
:/ ヽ─┴ ヽ:
:/( ) ( )\: ノ\ ノ\
:/ !|l ⌒(__人__)⌒ \: ノ ヽ──丿 ヽ
:< ヽ |r┬-l` /u >: / \
:\ |r l -/ /: / u i 都合の悪い物は全て捏造認定か、さすがだな…
:ノ u `ー'∪ \: | |
丶 ノ
頭長幅指数分布図(大阪大)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4c/bb642b62a3fe5cb15046e1100aba3093.jpg
中頭 日本人
短頭 韓国人、畿内人
↓
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
で、この(過)短頭の人たちは百済、対馬、瀬戸内沿岸とつながっています。
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授) 【なぜ関東人はどこに行っても関東弁を直さないのか】
http://anago.2ch.net.../dialect/1296822748/
671 :名無す:2014/02/22(土) 10:36:12.32 ID:VAlT5vn7
こう言っては何だけど、関東の方言と言うのは汚い言葉としてしか残らなかったのに対して
他の地方の言葉は敬語も含めて方言として残ったためある意味方言を使うことに誇りがあるのではないかと思う、
関東の人間がきれいな言葉にするには標●語にするしかなかった、つまり方言が劣った言葉であるという意識があるので標●語標●語うるさいのは仕方が無いのではないかと。
だから、むしろ関東人に対しては方言は劣った言葉ではないことを教えてほしいな。
673 :名無す:2014/02/22(土) 14:20:17.29 ID:Fzy0ghkJ
関東言葉を聞いてると、明らかに日本語全体の中心からはほど遠いお粗末な言語だもんな。
あれでは標●語とかに頼るしかないんだろうな。
しかし結局のところ標●語などという人工語などではどれほど努力しても各国方言の優秀には及ばないわけだが。
675 :名無す:2014/02/22(土) 22:34:02.29 ID:Fzy0ghkJ
関東人が偏屈なのもあの言葉からきてるんではないかな。しかたないあの言葉ではそうもなるだろうね。精神を劣化されて、かわいそうに。
682 :名無す:2014/03/05(水) 12:42:15.31 ID:I1w3vEbk
東京出身者が地方(西日本)に住むようになり、「かたす」と言ったところ、一瞬ポカーンとされたそうだ。
それ以来「片づける」と言うようになったって。「かたす」が標●語だと思い込んでいたようで憐れ。
まさに、井の中の蛙大海を知らず。
792 :名無す:2014/05/20(火) 12:29:12.65 ID:5dkRVmof
関東の人って地方を差別するところが韓国人みたい
韓国人はすぐに優劣つけたがるし差別大好きだし
800 :名無す:2014/05/20(火) 22:20:04.21 ID:VTXOGRsF
関東弁は人前に出ないでほしいですね。
823 :名無す:2014/05/25(日) 04:30:50.01 ID:c9vnx+Vy
関東人は、日本に出てきても関東弁を喋るのは別にいいけど
関東に来た日本人に対して標●語()と称して関東弁を強要するのは止めろ気色悪い
826 :名無す:2014/05/25(日) 18:05:08.30 ID:4j79IFrz
朝鮮語そっくりなのは関東弁だけどね
828 :名無す:2014/05/25(日) 21:49:59.15 ID:4j79IFrz
教養つけなさい関東ベエw
855 :名無す:2014/05/31(土) 04:52:29.36 ID:kE67hH7J
稚拙なことば関東弁
978 :名無す:2014/07/18(金) 00:01:24.38 ID:nJISMfYD
東京人は言語的にトップレベルのパープーなのに分かったようなくちをきく。
おまえたちのようなもんが言葉語るなよと。
982 :名無す:2014/07/20(日) 21:02:09.37 ID:+YnZU3RF
まぁ関東自体がバカだからな 626名無す2019/11/30(土) 14:50:44.96ID:AG4ObpKj
▽大阪=ヤクザ
関西に暴力団が10人おったらそのうち9人はマイノリティ(『グリコ・森永事件 最重要参考人M』宮崎学・大谷昭宏)
約65万人といわれる在日朝鮮人のうち約50%が兵庫・大阪・京都に集中していることと山口組の発展は決して無関係ではなく、
山口組は部落差別や在日朝鮮人差別の問題をなしにしては語れない(『文藝春秋』昭和59年11月号)
▽大阪=部落
部落民の分布は、穢多の水上と称せられる近畿地方を中心として最も多い。大阪西浜は、全国の中心をなすほどの大部落である。
(『被差別部落一千年史』高橋貞樹・大分県出身)
被差別部落の人口数からいうと、近畿が半数の50%を占め、九州、中国、四国がそれぞれ12%前後、関東、中部となると5%前後となっています。
(『被差別部落の歴史』原田伴彦・佐賀県出身)
▽大阪=在日
いま在日韓国・朝鮮人は67万人だが、うち半数が関西に住む。大阪府下は18万人で実に全国の3割に近い
(大谷晃一・帝塚山学院大学学長)
関西の3府県で韓国・朝鮮籍の永住者が全国の約5割を占める。
(仲尾宏・京都造形芸術大学客員教授)
一つ上のスレにこんな資料が貼って有ったけど
やはりやっぱりなんだねぇw ▼慶長見聞集(神奈川県・17世紀)
『武将天下を争ひ関東と関西の合戦聞き伝ひていく度そや。一度も西国衆利を得す。是関東の侍文武弓馬に達しこころ猛きか故也』
▼武田信玄(戦国最強の将、16世紀)
『関西人は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯もする』
▼近藤勇(武州多摩出身の剣豪)
『京都周辺の剣術は弱すぎる。兵は東国に限り候』
▼湯川秀樹(京都大学名誉教授、東京生まれ)
『日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いんです。わたしたちの住んでいる京都周辺の兵隊が一番弱いんですね(笑)』
▼谷崎潤一郎(東京都出身の文豪)
『大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便(糞)をさせる人種である』
▼橋下徹(大阪市長・東京都出身)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・山梨県出身)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼薩摩兵(西南戦争の頃、19世紀)
『またも負けたか八連隊(=大阪兵)、それでは勲章くれんたい(=京都兵)』
▼ひろゆき(2ちゃんねる創設者、21世紀)
『東日本叩きの書き込みなんてほとんどPL親父さんからですよ?IPアドレス調べたらすぐわかるでしょ』
いろんな資料からも標準語の授業の必要性を強く感じる 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
蝦夷は化外の民と教え込むしかない >>150
こういう事実があるんだねぇ
やっぱり標準語は大事 【なぜ関東人はどこに行っても関東弁を直さないのか】
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/dialect/1296822748/
1 :名無す:2011/02/04(金) 21:32:28 ID:C+bXUAfw
正直、迷惑です。
13 :名無す:2011/02/10(木) 16:37:51 ID:VH97ptxm
関東弁って標●語やないよ。関東でしか使てない表現がたくさんある。
16 :名無す:2011/02/11(金) 18:17:34 ID:fyrgHrTD
東京弁を勝手に標●語と捏造する関東人
どっかの蛮国みたいだ
17 :名無す:2011/02/11(金) 20:03:36 ID:cgm+1Ic3
標●語は関東の標準ってことなんだよ!
誰も日本の標準っていってねーだろ!!
23 :名無す:2011/02/17(木) 14:55:14 ID:E8309bZT
関東弁が恥ずべき方言であることは間違いない。
24 :名無す:2011/02/22(火) 22:41:14.82 ID:ieCM4CKH
下品だからな。
34 :名無す:2011/03/08(火) 19:58:26.56 ID:LF8jDyfM
アナウンサーのような共通語を喋りましょう。はい終わり。
35 :名無す:2011/03/08(火) 20:43:19.41 ID:090g50FC
関東弁は多方言と比べると発音規則や文法規則が単純だから、関東弁話者が
他方言をマスターするのはかなり難しい。だから直さないのではなく直せないが正しい。
45 :名無す:2011/03/19(土) 23:41:18.66 ID:9uxEP/3I
関東圏で水道水から放射能検出されてもう関東終わったらしい
マジで遷都あるかも
65 :名無す:2011/04/12(火) 04:06:15.60 ID:ZnwcmeBo
でも関東の人も共通語を使ってほしいね。
「ちげー」とか凄い野蛮で怖いし、
「んない」とかもちゃんと「らない」って書いて書いてもらいたい。
自分もうっかり「すげぇ」とか言ってしまわないように気をつけたい。
109 :名無す:2011/04/24(日) 18:50:58.15 ID:iaNEWGBq
東日本にゃもともとたおやかな女ことばが存在しないので
女みたいという表現は的外れだあね
西日本なら四国や中国やもちろん九州でも、どんな僻地に行っても
やわらかくて上品な言い回しがあるけどね
114 :名無す:2011/04/26(火) 03:20:59.43 ID:k/9irsXT
そもそも山の手言葉っつーのは西日本の影響を多く受けた言葉だかんな。
117 :名無す:2011/04/26(火) 20:06:37.47 ID:rEakQ1Rc
関東人ってほんと最低なんだな…残念です…
136 :名無す:2011/05/15(日) 23:23:20.03 ID:JI02bJ8J
195 :名無す:2011/07/10(日) 14:08:53.02 ID:17qu4X0q
関東人は矛盾を抱えた生き物。だから、どこに行っても関東弁を直さない。
関東地方民は標準コンプレックスが今も強い。
205 :名無す:2011/07/14(木) 18:55:28.65 ID:jLmSfaG7
関東弁は農民語。 【なぜ関東人はどこに行っても関東弁を直さないのか】
http://anago.2ch.net.../dialect/1296822748/
209 :名無す:2011/07/15(金) 16:27:45.37 ID:MSIxmvuM
〜だべ はわざと言っている感じがする。農民のオレかっこいい〜みたいな
210 :名無す:2011/07/15(金) 23:22:18.16 ID:V2Cp/cLG
>209
う〜ん、それは東京の下町から武蔵野地域だと当たっているかもしれない。
というか首都圏方言が主流になっている地域では大体そうだと思う。
かっこいい〜までは行かないけど、なんかわざと野暮さや粗野さを出して気取っている感じ‥。「〜じゃね?」とか「カレシ〜」とかもね。
214 :名無す:2011/07/18(月) 13:40:54.10 ID:Ps3Z0cMX
首都圏方言とは、関東弁のこと。下らない言い換えにすぎない。底辺労働者を
フリーターと言い換えるのと同じぐらい笑える。
218 :名無す:2011/07/21(木) 11:51:46.26 ID:mv37VF9x
>214
何度も言われているけど、首都圏方言と従来の関東方言は違う。
君は学問板なら少しは勉強してから書き込んべよ。
219 :名無す:2011/07/21(木) 19:57:05.50 ID:9GFwSfVy
別に区別する必要ないじゃん。関西弁も新旧区別してないし。
従来の関東方言は旧関東弁でいいだろ。
首都っていれたいだけ
228 :名無す:2011/07/23(土) 23:41:33.34 ID:XScEKI1f
首都圏方言という造語に、東夷の必死さを感じる。
229 :名無す:2011/07/24(日) 01:23:08.15 ID:+DhsWlme
東京圏でいいのにね。やっと手にした首都(自称)だから首都圏という造語を使いたがるわけだ。
361 :名無す:2012/02/04(土) 20:29:19.76 ID:x2HOXCN6
荒いよな。言動も、性格も、関東は・・・
375 :名無す:2012/03/19(月) 00:40:44.45 ID:+7P1aTEB
関東人最低!
385 :名無す:2012/04/06(金) 01:13:12.16 ID:eyD4rWC8
関西弁や他の方言を使うと「ネットで方言キメェ」とか言って批判するくせに、自分はネットで関東弁使いまくってそれを標●語と捏造してる関東人は最低だ。
関東弁ってぶっきらぼうでかなり汚くて人を不快にさせるね。
395 :名無す:2012/04/10(火) 19:40:07.25 ID:0AWKIgNF
カッペて何? 田舎弁は分からんわぁ。
411 :名無す:2012/06/18(月) 12:55:07.18 ID:0RwTL6zF
関東人が病気なのは
自分らは関西人と違って標●語(笑)喋ってると本気で信じてるところ
421 :名無す:2012/07/01(日) 15:47:52.95 ID:fcQh+mvK
関東弁と自覚して使ってるんなら大歓迎だよ。
目的は標●語と思い込んで(もしくは言い張って)首都圏方言で平気で書き込みながら他の方言を馬鹿にしている奴らの自覚を促すこと。
431 :名無す:2012/07/11(水) 20:51:24.69 ID:r1Sizt3d
関東人が常に天皇陛下ばりの美しい標●語喋ってるならこんなスレは成立してないわな
自分たちは関西人と違って標●語喋ってるつもりになってるようだがな
432 :名無す:2012/07/11(水) 22:58:13.92 ID:EXa710lS
そうだよね。
標●語なんて関西の人のほうが上手いし綺麗でしょ。
437 :名無す:2012/07/12(木) 01:41:08.43 ID:18fuf1gz
関西と思われる方言=大阪、と捉える関東人多過ぎるぞ。
しかもいきなり「大阪ですか?」っておまえ。「三重です」と言ったら、「三重ってそんな方言なんですか?」ってキミ馬鹿なの?
方言のことが話題になってて三重ですって言ってるんだからつまりはそんな方言なんでしょうがって。
まぁこんなことが多くていつも(略)「(東京の)あなたの喋りも周辺の千葉埼玉神奈川なんかとそう違いませんやろ?」と相手に言っとくよ。
439 :名無す:2012/07/12(木) 10:32:08.45 ID:18fuf1gz
やはり、関東人は馬鹿なのではないか。
441 :名無す:2012/07/13(金) 01:26:48.36 ID:Bu99VKPx
ほんと関東人は無知ってことだよな。 【なぜ関東人はどこに行っても関東弁を直さないのか】
http://anago.2ch.net.../dialect/1296822748/
671 :名無す:2014/02/22(土) 10:36:12.32 ID:VAlT5vn7
こう言っては何だけど、関東の方言と言うのは汚い言葉としてしか残らなかったのに対して
他の地方の言葉は敬語も含めて方言として残ったためある意味方言を使うことに誇りがあるのではないかと思う、
関東の人間がきれいな言葉にするには標●語にするしかなかった、つまり方言が劣った言葉であるという意識があるので標●語標●語うるさいのは仕方が無いのではないかと。
だから、むしろ関東人に対しては方言は劣った言葉ではないことを教えてほしいな。
673 :名無す:2014/02/22(土) 14:20:17.29 ID:Fzy0ghkJ
関東言葉を聞いてると、明らかに日本語全体の中心からはほど遠いお粗末な言語だもんな。
あれでは標●語とかに頼るしかないんだろうな。
しかし結局のところ標●語などという人工語などではどれほど努力しても各国方言の優秀には及ばないわけだが。
675 :名無す:2014/02/22(土) 22:34:02.29 ID:Fzy0ghkJ
関東人が偏屈なのもあの言葉からきてるんではないかな。しかたないあの言葉ではそうもなるだろうね。精神を劣化されて、かわいそうに。
682 :名無す:2014/03/05(水) 12:42:15.31 ID:I1w3vEbk
東京出身者が地方(西日本)に住むようになり、「かたす」と言ったところ、一瞬ポカーンとされたそうだ。
それ以来「片づける」と言うようになったって。「かたす」が標●語だと思い込んでいたようで憐れ。
まさに、井の中の蛙大海を知らず。
792 :名無す:2014/05/20(火) 12:29:12.65 ID:5dkRVmof
関東の人って地方を差別するところが韓国人みたい
韓国人はすぐに優劣つけたがるし差別大好きだし
800 :名無す:2014/05/20(火) 22:20:04.21 ID:VTXOGRsF
関東弁は人前に出ないでほしいですね。
823 :名無す:2014/05/25(日) 04:30:50.01 ID:c9vnx+Vy
関東人は、日本に出てきても関東弁を喋るのは別にいいけど
関東に来た日本人に対して標●語()と称して関東弁を強要するのは止めろ気色悪い
826 :名無す:2014/05/25(日) 18:05:08.30 ID:4j79IFrz
朝鮮語そっくりなのは関東弁だけどね
828 :名無す:2014/05/25(日) 21:49:59.15 ID:4j79IFrz
教養つけなさい関東ベエw
855 :名無す:2014/05/31(土) 04:52:29.36 ID:kE67hH7J
稚拙なことば関東弁
978 :名無す:2014/07/18(金) 00:01:24.38 ID:nJISMfYD
東京人は言語的にトップレベルのパープーなのに分かったようなくちをきく。
おまえたちのようなもんが言葉語るなよと。
982 :名無す:2014/07/20(日) 21:02:09.37 ID:+YnZU3RF
まぁ関東自体がバカだからな ▼谷崎潤一郎(東京都出身の文豪)
『大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便(糞)をさせる人種である』
↑これ本当なのかな :|ヽ、 |ヽ: うがっ……これは捏造……これ…捏造……
:/ ヽ─┴ ヽ:
:/( ) ( )\: ノ\ ノ\
:/ !|l ⌒(__人__)⌒ \: ノ ヽ──丿 ヽ
:< ヽ |r┬-l` /u >: / \
:\ |r l -/ /: / u i 都合の悪い物は全て捏造認定か、さすがだな…
:ノ u `ー'∪ \: | |
丶 ノ
頭長幅指数分布図(大阪大)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4c/bb642b62a3fe5cb15046e1100aba3093.jpg
中頭 日本人
短頭 韓国人、畿内人
↓
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
で、この(過)短頭の人たちは百済、対馬、瀬戸内沿岸とつながっています。
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授) 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
なるほど、これでは東夷が西日本に憧れるのもわかる。 ▼甲陽軍鑑(山梨県・17世紀)
『関西侍どもはあまりにも弱すぎる。そこいらの町人レベル』
▼慶長見聞集(神奈川県・17世紀)
『武将天下を争ひ関東と関西の合戦聞き伝ひていく度そや。一度も西国衆利を得す。是関東の侍文武弓馬に達しこころ猛きか故也』
▼雑兵物語(東京都・17世紀)
『関西侍は馬にも乗れねえ屁っぴりだんべい』
▼近藤勇(武州多摩出身の剣豪)
『京都周辺の剣術は弱すぎる。兵は東国に限り候』
▼湯川秀樹(京都大学名誉教授、東京生まれ)
『日本では関西が弱くてね。東から北へ行くほど強いんです。わたしたちの住んでいる京都周辺の兵隊が一番弱いんですね(笑)』
▼谷崎潤一郎(東京都出身の文豪)
『大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便(糞)をさせる人種である』
▼橋下徹(大阪市長・東京都出身)
『大阪の人たちは韓国人と非常によく似ている』
▼池田次郎(京都大学名誉教授・山梨県出身)
『畿内人は韓国朝鮮人と同じグループに属し、日本人から最も離れている』
▼神聖望(埼玉県出身・投資家)
『インチ近パイアのせいで進学先や就職先に影響でるなんてたまったもんじゃないな』
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| / へ へ ヽ |
(|─[ ‐ ]ー[ ‐ ]─|ノ 東大阪なら教会や公園で旬の料理を無料で振る舞ってるのにな
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | 金を払って不味い料理食べる飯能って何の罰ゲームだよ
| _,ィェエヲ` |
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./ ヽl!| !
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( 丶- 、 しE |そ
`ー、_ノ l、E ノ <
レY^V^ヽl 東大阪って旬の料理を公園でふるまってもらえるの
すごいね PLおやじ1989年42歳、堺の食肉解体処理場で足を失くす
↑まじか?大変だねぇ 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 標準語なんて普通は授業で教えてもらわなくても身に着くのに
部落の方は特殊言語なんだよね
なんで日本人であることの証、標準語を拒否するのかな 拒否じゃなくて覚えられないんじゃないのかな
>実際、関西人が標準語話すのって
他地方人が標準語話すより難しい気がしてならない。
開き直りごめんw
こう言ってる人もいるくらいだし >>169
どこから引用したのか不明
はいバーカ
現代日本にヒョウジュンゴはありません 共通語です
はいバーカ 関西の人が実際に標準語が難しいと嘆いているのだから
義務教育で学ばせてあげるべき https://www.google.c...try-11836518966.html
>(略)ヒョウジュンゴは、政府主導のものでしたので、全国民にそれを推薦・強要しました。その押しつけは、これまで日本で使われていた方言を排斥しようという動きにまで発展してしまったのです。いわば強制的に決められたのが「ヒョウジュンゴ」なのです。
>「ヒョウジュンゴ」という呼び方は、第二次世界大戦時まで使われていましたが、戦後になって廃止されました。その代りとなったのが「共通語」という考え方です。
>「共通語」には、自然発生的に全国に広まり、使われるようになった言葉であるといった意味が含まれています。けれども、「共通語」のもとは、明治以降強制的に行われてきた「ヒョウジュンゴ」です。
>ただ、戦後から今現在まで、日本では法律などで「このような日本語を使うこと」といった決まりはありません。
>今でも「ヒョウジュンゴ」と「方言」を対比させて言う人がいますが、それは誤りです。
>今は、日本のどこに行っても通じる「共通語」があり、それ以外に、地域の中で使われている「方言」が、この日本にあるのです。 そろそろ老害>>1は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「標準語」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいて標準語を定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 現代日本に標★語はないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だに「ヒョウジュンゴは存在する!」などとマヌケなことを言い張る輩>>1は戦前脳のバカ老害か、向学心のない無知バカと認めるしかないのでは? 関西の人の嘆きに国も応えるべき
標準語を喋りたいのに喋れない彼らの苦しみを和らげてあげるべきw 現代日本にヒョウジュンゴはありません 共通語です
現代日本でヒョウジュンゴなどとほざく輩は時代遅れの老害か、義務教育すら受けられなかった底辺無知土人
共通語も覚えられんアルツハイマー土人ジジイは黙っとけよw 5chやようつべで共通語という常識を刷り込むしかない
東夷ジジイに 伝統工芸スレとかで方言札関連のスレなんかも必要なんじゃないの
もっといろんな板で標準語関係のスレもね
みんな忙しくなるなぁw >>179
巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
ケツの穴からドババババババババッバwwwwwwwwwwwwWWWW
wwwwwwwwwwww
WWWwwwwwwwwwww??? ? ? ? ? ? ? ????? ????????wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
なお、まにあわんもよう 標準語を話せないとどれだけ肩身の狭い思いをするか、
就職で不利になるかをしっかり教えるべき 訛り人の血は一代で終わらせるべき
あ!だから方言は毎年どんどん死んでいるのかな 方言達がどんどん死んでいるのはそういう理由だったんだね・・・・
犯罪者から犯罪者が生まれるとは限らない
方言者か方言者の子供も標準語を学んでいけばいいだけのに 標準語=現代存在せず
「標準語」という単語を使う輩=馬鹿 現代日本でヒョウジュンゴなどとほざく輩は時代遅れの老害か、義務教育すら受けられなかった底辺無知土人w 首都圏人、日本人は標準語
関西人や広島人は猛虎弁、なんj語
身分制度が目に見える現代社会を変えていこう! 猛虎やなんjは道路の看板にも「ンゴ」とか「じゃけんのう」とか書いてあるらしいね
岡山の下位互換ンゴww
原爆やめてクレメンスwww 義務教育で猛虎原爆弁を教えるのもいい
半笑いで接しましょう 「今だに」と「未だ」の使い分けくらい高校生でもわかるのに…
東夷地方の教員が低レベルすぎて教わらなかったのかな?w 義務教育で教えないと僻地の子供は標準語を学ぶ機会がないからね
TVも方言放送以外は見てはいけないと言われているらしいし・・・
その割に文字では「じゃけん」とか書かないんだよね
やっぱり恥ずかしいんだろうねぇw 全く恥ずかしくはないねぇ
共通語ではないという認識があるから普段は書かんだけであって
一方東夷は公共の場でも「んじゃねーよ」「じゃね?」と下卑た関東弁丸出しw
低い知性も品性も丸出しwwww
知性が低いから「今だに」と「未だ」の使い分けもわからんのよねぇ…w 子供たちを方言から救ってあげないと恥ずかしい老人になってしまう
ウェブ系では顔を赤くしながら標準語で書く事になるw >>201
現代日本にヒョウジュンゴはありません
共通語
いい加減覚えろアルツハイマー蝦夷老害! きちんと共通語を教えてあげないと東夷の子供たちが恥をかく 方言人よりも、ちゃんと標準語で会話ができる外国人の方が日本人らしい感じがする 「方言人」などという日本語はないし、
「標準語」も現代日本にはない
何度注意されたら覚えるのやらこのボケ土人ジジイは 創造してごらん?
授業でンゴとかじゃけんのうと言ってたら狂気を感じるでしょう
ンゴではなく、標準語を使い標準語を教えてあげるべき
教師も一緒に学ぶべき 低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
↓
1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 ワイらも標準語の授業を受ける権利があるじゃけんのう! 汚染されていない子供たちは救ってあげてもいいでしょう 方言エリアの学校は人権面で一度国連の査察を受けるべき きちんと標準語を教えるべきじゃね?w
マナーみたいなものさ 低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
↓
1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 日本の美しい言葉が関西便によって失われようとしている!!
最近は小さい子供まで汚く臭い関西弁を話すようになってしまった。
大阪を日本から排除する以外、もはや止めようがない No!!大阪No!!大阪人No!!関西No!!関西人
を2chの合い言葉にしよう。そして大阪を排除しよう。
今こそ一致団結するときだ。
日本国の為になることを2chで積極的に行うべき。
それが愛国心というものだ。 大阪共和国に入国するときはポケットに少量の小銭だけにして
貴重品などは身に付けて逝かないようにしてください。また、
安っぽく下品で派手な服を着るなど地元民と同じような服装を1着もっていくと重宝します。
あと日本語が通じるからといって、けして油断しないでください。
彼らは標準語を話す人を見つけるとカモだと思って狙ってきます。
本当に気をつけてください。平和な日本ではなく、そこはもう異国なのですから。 >>1332 名無し名人 sage 2019/12/18(水) 12:49:54.82 ID:LqujP5Gu
昼食
井山 天麩羅そば
許 野菜たっぷりキーマカレー 82 ベッキーは携帯に友達から電話がかかってきたら「はーい、べき山でーす」と言って出てたな 現代日本でヒョウジュンゴなどとほざく輩は明治脳の老害か、義務教育すら受けられなかった底辺無知土人w
なお>>228-233は百万回教わっても忘れてしまうアルツハイマージジイ−w 日本の公用語である標準語の授業を受ける権利を施してあげたい 日本の公用語は日本語
何度教えられたら覚えるバカジジイ >>244-245
何度教えられても共通語を覚えられん認知症老害土人w 義務教育課程で標準語の授業が必要
標準語は日本の宝 >>249-250
バカアルツ土人ジジイのタワゴトw 啓蒙動画をようつべにアップしました
「現代日本に「標準語」はないと認めるしかないのでは?」で検索してください
バカアルツ土人老害はこれを見て勉強しなさいw 今だにヒョウジュンゴなどとほざく輩には老害の雰囲気を感じる 義務教育課程でちゃんとした日本人、標準語人に育ててあげるのも私たち教育者の責務 低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
↓
1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 自分の生まれ育った土地の言葉を話せない方が恥ずかしいけどな 3600年前の関東を歌うドラマだ
(日本人は昔中国大陸にいた)
www.youtube.com/watch?v=VIkQSuZbbt0 かささ巨人小笠原、うんこをする
1 :風吹けば名無し:2011/01/16(日) 23:56:29.40 ID:mP+MZG1G
うんごぶりぶりんこ!!!!ドビュビュビュビュドバババババブッ!!!
ドリュルリュルウリュリィブブブブブブッッ!!!!あへあへうんこまん!!!ぶりっちょ!!!
ケツの穴からドババババババババッバwwwwwwwwwwwwWWWW
wwwwwwwwwwww
WWWwwwwwwwwwww??? ? ? ? ? ? ? ????? ????????wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
なお、まにあわんもよう 関東無政府主義国へようこそ
ttp://x0000.net/topic.aspx?id=3629-0 >>263-281
国語が苦手で大恥をかいた無知ボケ蝦夷老害のタワゴトw
低学力バカ蝦夷ジジイ>>1の恥ずかしい間違いw
↓
1.> 未だに恥をかき散らしまき散らす
2.喋べる()
3.祖父の地()
4.>創造()してごらん
明治時代で思考が止まっていて基礎的な国語力すらないくせに、教育者を気取るとはちゃんちゃらおかしい。 我々教育に携わる者は標準語を施すことを忘れてはならない 教育者きどりの低学力バカ土人老害のタワゴト!www 社貴人になってから方言札を掛けられることのないよう、
しっかり教えを施したい 出たwwww日本語下手な蝦夷老害の造語「社貴人」wwwwww あの時標準語さえ・・・
という事が無いよう、しっかり学ばせていきたい 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だに「ヒョウジュンゴは存在する!」などとマヌケなことを言い張る輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本のことを二本と言っている方言ってどこにあるでしょうか? 【告知】大阪で1番恥さらしな男!!これまで誰も語らなかった覚醒剤中毒者の泥沼の世界!!真実のみを赤裸々に語り究極のゴキブリ男が書いたノンフィクション自叙伝
【ゴミと呼ばれて刑務所の中の落ちこぼれ】
中学2年生の時に覚醒剤を覚え17歳から45歳まで獄中生活を体験したが、ある女性との出逢いで生き方を180度変えて見事に更正を果たした奇跡の一冊!! 啓蒙動画
現代日本に「標●語」はないと認めるしかないのでは?
https://www.youtube.com/watch?v=mJKMFKtdJE4
視聴回数500回突破! ≪東大阪の荒らしと自称広島人の荒らし同一人物説1≫
金曜日の広島世界ーも埋め立ての日
http://hissi.org/read.php/dialect/20171006/
順位 ID レス数 スレッド数 使用した名前一覧
1 MGNQ9CSe 326 5 名無す, ↑
2 KGjpQpDW 52 6 ↑, 名無す
2 77/KTifp 52 6 名無す
吉田松陰「柔弱日本の柔弱中国」
日本は昔より柔弱国なり。大は兵戦少く、小は殺伐少きを以て知るべし。
殊に中国最も柔弱と称す。
(『吉田松陰書簡集』)
「柔弱日本の柔弱中国(山陽、山陰)」
山陰山陽はダメダメ・・・
____.ミ ⌒ 彡
〜/ ▼▲<;`Д´>
.| ▲▼▲ |
.|_|_| ̄ ̄|_|_|. 隣のキチガイ国家(韓国)に嫌われる日本
隣のキチガイ田舎(広島)に嫌われる岡山
世界中からマジで嫌われる韓国
全国からマジで嫌われる広島
広島は中四国だけじゃなく日本全体から圧倒的に嫌われすぎwww
https://j-town.net/tokyo/research/results/299293.html?p=all
東西の大都市が大半を占める中、意外にも票を集めたのが広島だ。岡山、島根、山口、愛媛など周辺地域に苦手と認識されている。東京・大阪の場合は、比較的離れた地域から苦手と思われている傾向が出たが、それとは正反対の結果だ。
wwwwwwwwwwマジかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwこれって広島だけガチで嫌われてるって話じゃんwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwクソワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いやー新年早々衝撃ネタをありがとうなwwwwwwwww笑い死にそうwwwwwどんだけ嫌われてんだよ広島wwwwww
もし生まれ変わったら、どの都道府県に生まれたい?
https://j-town.net/images/2019/town/town20191223182012.jpg
投票総数=6399
1位東京都785
2位北海道613
3位神奈川県536
4位沖縄県397
5位福岡県391
6位京都府381
7位大阪府303
8位岡山県289
9位静岡県198
10位愛知県185 >>296-298
広島コンプレックスのバカ東夷老害wwww 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 現代日本に標準語はありません。
共通語です。
啓蒙動画
現代日本に「標準語」はないと認めるしかないのでは?
https://www.youtube.com/watch?v=mJKMFKtdJE4 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 現代日本に標準語はありません。
共通語です。
わかったかあずおじ! 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 東夷ジジイは知能の低い老害と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… あずおじは国語が苦手なバカと認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 あずおじは国語が苦手なバカ老害と認めるしかないのでは? そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… あずおじは国語が苦手なバカ老害と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」bヘないと認めるbオかないのでは=H
令和の瑞「にそのような試梠纈xれの誤解bヘ捨てるしかなb「のでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
同調圧力のもとに話者の恣意で強制するなら、
言語差別主義のそしりを免れ得ないのではなかろうか。 82名無しさん@お腹いっぱい。2019/10/14(月) 13:15:27.84ID:/KHUIu9C
>[副]今になってもまだ。今もなお。「未だに雨が降っている」「未だに忘れられない」
>[補説]「今だに」と書くのは誤り。
↑
国語が苦手な底辺東夷老害の馬鹿発言wwww
「未」は否定詞なので否定文にしか使えません
肯定文では「今だに」
肯定文における「今だに」を「未だに」と書くなんて…
一種類の辞書の誤りを鵜呑みにして
リアルで書類に書いて恥をかいていそうw
高校生以上の国語の知識があれば判断できるのにw
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような虚言を吐く輩はこの程度の学力なんだよねぇ… 日本は邪馬台国から安土桃山時代(江戸時代の前)まで関西・西日本が全ての中心で
関東から東は『蝦夷(えみし)』と呼ばれ、蝦夷の人間は知能水準が低く酷く劣った生活を送っていた。
知能水準の高い関西・西日本では食生活は農耕が中心だったが、蝦夷では鳥獣類を捕まえて食べる
原始時代と大差の無い生活を送っている者が多かった。
建物も関西では木造・瓦葺は珍しく無かったが、関東(蝦夷)では、ほぼ皆無で藁葺の家ばかりだった。
武蔵国(今の埼玉・東京=当時の中心は埼玉)の高麗郡等は日本最大の朝鮮移民の大部落で
東京、埼玉の人間は古来よりDNAレベルで朝鮮人と結び付きが非常に深い。(東京・埼玉人の先祖は朝鮮人)
これなら東夷ジジイが西日本に嫉妬するのは当然 現代日本にヒョウジュンゴはないといい加減認めるしかないのでは?
wiki「ヒョウジュンゴ」
http://ja.wikipedia....99%E6%BA%96%E8%AA%9E
>日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基にヒョウジュンゴを整備しようという試みが推進された。
>太平洋戦争以後は国家的営為としてのヒョウジュンゴ政策は行われなくなり、各地の方言を見直す動きが現れたり、国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした。
>そのような中、「共通語」という用語が登場し、NHKなど一部では「ヒョウジュンゴ」が「共通語」に言い換えられるようになった。
>国語学の世界では、現在の日本にはヒョウジュンゴを定義・規定する政府機関や団体が存在しないため、公式にはヒョウジュンゴは存在しない。
wiki「共通語」
http://ja.wikipedia....B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
>共通語(きょうつうご)とは、ある地域や集団間で共通に用いられる言語をいう。
>国立国語研究所は、全国共通に理解しあえる「全国共通語」であると評価し、「共通語」と呼ぶことにした。
>すぐに「共通語」と言う呼称が浸透することはなかったが、最近はこの「共通語」が一般にも使われつつある。
>その理由について、国立国語研究所の言語調査を主導した柴田武は、「ヒョウジュンゴという用語に伴う『統制』という付随的意味がきらわれたためだと思われる」と述べている。
これが現代では一般常識にもかかわらず、
平成も終わったというのに、
今だにヒョウジュンゴが存在するかのような発言をする輩は戦前脳の老害か、無知と認めるしかないのでは? 「ヒョウジュンゴ」は我が国は制定されていませんので、
「ヒョウジュンゴ」という言語が日本に存在するかのような言説を述べる方は、
残念ながら言語差別主義者ではないのかという疑いをさしはさませないわけにはいかないと思います。
過去の教育の中での「ヒョウジュンゴ」政策を総括した上で
今の文部科学省の国語教育政策は成り立っています。
国語研究所では「共通語」と言いますし、
NHKは「放送用語」という言葉を使うようです。
国語関係者や放送関係者以外の方の
「ヒョウジュンゴ」発言は首都圏表現話者の無自覚な言語差別意識を反映する現象も含んでいて、
「訛ってるよ」と同等の問題発言の可能性があります。
アナウンサーが話す言葉も、放送主体では「放送用語」と慎重な物言いをしているわけですので、注意が必要だと思います。 そろそろ老害は、現代日本に「ヒョウジュンゴ」はないと認めるしかないのでは?
令和の世にそのような時代遅れの誤解は捨てるしかないのでは?
(1)ヒョウジュンゴが存在する論者の言う「ヒョウジュンゴ」の形態は、自明ではない。
一義的に定義できない。
なぜなら首都とされる東京都の方言は複数存在して互いに矛盾し、世代や時代によっても変動するからである。
(2)何らかの公的機関による調査研究に基づいた不断の動態定義がないと多くの話者にうけいれられるヒョウジュンゴの内実は定められない。
現実には、国民の総意に基づいてヒョウジュンゴを定義する法令も、ヒョウジュンゴを定義すべく権威付けられた機関もない。
現代の日本には理念的にも実態的にも「ヒョウジュンゴ」は存在しないのである。
(3)個人が、会話をする機会のある集団内での経験に基づいて、
恣意的に自分の信じる語彙・文法・アクセントを「ヒョウジュンゴ」と思い込んで、
そこから外れる語法・発音を「訛ってるよ」と蔑み排斥する行為は、
残念ながら東京地方では散見される。
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