【奄美・沖縄】琉球方言・琉球語4【宮古・八重山】
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奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島で話されている
琉球方言・琉球語について総合的に語るスレです。 >>124
イデオロギーで琉球に対してヤマトが酷いことをしたとしたい勢力がいますからね
あと、薩摩の人らも自分たちが対沖縄(琉球)に対してはヤマト扱いされているのには驚いているはずw 明治12年に、宮古島で「サンシー事件」と
言う事件があったのだが。
歴史の先生に背景を聞いてみると面白い。
殺された下地利社という人は、
県警に雇われた通訳だったらしい。
明治12年当時、薩摩の方言・
沖縄本島の方言・宮古島の方言は、
互いに全然通じなかったらしい。
日本語(標準語)が、普及するまで各地各地の
方言で共通性を持たなかったのが、
実際であるらしいのだ。 >>125
島津は鎌倉系か?種子、屋久もそうだよな。
朝廷の大和言葉人種じゃねぇだろw 沖縄は「チキアギ」と薩摩は「つけあげ」奄美は「ツキアゲ」。
ちょっとちょっと変わってるのがいい感じ。
即行動を起こさねば沖縄が中国の自治区になってしまう
左翼組織とマスゴミと政治屋に、大多数の県民が洗脳され私たちの沖縄が乗っ取られる寸前まで来てしまった(恐)
赤を強調した共産党デモを見て気付きませんか!?
このような、事態はマジに超ヤバ過ぎです
中国共産党在日コリアン朝鮮の工作員が沖縄はおろか本土、乗っ取りにも本腰を入れ、水面下で洗脳活動中です絶対に反日マスゴミの偏向報道に騙されてはなりません
チベットの悲劇は明日の沖縄http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1438.html
『オスプレイも基地も絶対絶対に必要です』無ければ速攻侵略され完全奴隷化されます中国にとって基地は侵略の邪魔だから偏向報道しや天皇、本土を揶揄し弱体化を企てる!
早く気づいて下さい。目を覚ましてください。
ウチナワから全国に周知し立ち上がろうウチナーもヤマトも我らの領土を日本人で団結して守るぞ
●至急検索YouTube
【沖縄左翼黒幕の正体】http://m.youtube.com/watch?v=N85HYX2aNd8&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DN85HYX2aNd8
真相真実
http://portable.blog.ocn.ne.jp/t/typecast/522841/246483/category ttp://www.amazon.co.jp/九州方言・南島方言の研究-上村-孝二/dp/4870235587/
この本読んだ人いる? 16年前の平成9年にインタビューした直木賞作家で在日韓国人2世でもあった故つかこうへい氏の言葉を思い出す。
当時も慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた。そんな中でつか氏は『娘に語る祖国 満州駅伝−従軍慰安婦編』という著書を書くため、
元日本軍兵士や慰安所関係者らへの取材を重ねたという。
「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。
将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。
不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」
つか氏はこう語った。作家の偏見を排した冷徹な目で少し調べると、マスコミ報道とは異なる実態が見えてきたというのである。
また、つか氏は自らの当初の「思惑」も「知識不足」も隠そうとしなかった。
「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。
僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」 ネトウヨとは・・・
人格に問題があるため社会に適応できない人種
そのため周囲に対して自分の存在を誇示するためのステータスが一切ない
唯一の拠り所が「自分は日本人」ということのみである為
ネット上で在日韓国人・朝鮮人を叩いてわずかな優越感を得ることでアイデンティティを保っている
また昨今では嫌韓流思考が顕著であり、またネトウヨ自身が社会と接する機会が少ないこともあり、
「韓流ブームは全て嘘」と本気で信じている。
その思考が右翼にも似ている為、ネトウヨと呼称される
@社会的地位:下層
A経済力:低収入、または無収入。
高い収入を得る人間に対しては、例え在日以外にも異様なまでの敵対心を持つ。例:公務員叩き。東電叩き。ステマ叩き。障害者叩き。
B対人関係:不得意。
匿名の掲示板以外では何も話すことは出来ない。その分ネットには莫大なエネルギーと時間を費やす。 ネトウヨとは・・・
在日本大韓民国民団(通称は民団)による命名、レッテル。
不法な在日韓国・朝鮮人の日本在留と活動の正確な実態が、日本人全体の共有情報となる事を恐れた民団が、
ネット上の対抗措置として考案、使用を始めた。またその経緯を民団新聞で公表している。
ネトウヨを使う民団や特定日本人とは・・・
民団のこの様な対抗措置に賛同する者たち、反日思考の保持者、左翼。
@社会的地位:上層であるとの特権意識を持つ。特に社会的弱者救済を標榜する反日・左翼は、上層を自称する在日批判を差別と決めつけ騒ぐ。
A経済力:高収入、または不労所得者を自称。
民団と在日よる、犯罪行為での高収入から目を逸らすため、在日以外にも敵がいると誘導する。例:不法行為に対する批判を差別と同一視させようとする。
B対人関係:不得意。
匿名の掲示板以外では、犯罪行為以外で相手を黙らせる手段を持たないので、面識の無い者の人物評価にはネトウヨしかない。
そのため、ネット上では誹謗中傷と罵倒に莫大なエネルギーと時間を費やす。全て膨大な証拠の暴露に対抗する哀しい措置である。
標語:日本人ならネトウヨを使用しない、民団の仲間と思われるから。 >>110
何故つけあげなのか不思議に思うが
どうせならヒラサカ考のがよっぽど学問的じゃね?
古くは坂道をヒラサカと呼んでいたものが
日本にはサカが残り琉球にはヒラが残った
薩摩はなんて呼称してたのだろう? どこかで見たけど上り坂がヒラで下り坂がサカらしいよ ttp://homepage3.nifty.com/onjyodoi/jiten/27hi.html
薩摩弁では傾斜面のことをヒラと言うらしい 黄泉比良坂(よもつひらさか)
サカは漢字そのままなのに、ヒラは当て字になっている
つまり、この頃にはもうヒラに坂のイメージを持ってない様な気がします
せいぜい坂には枕詞の様にヒラが付くもんだぐらいに
薩摩はその後の木花咲耶姫で関係しますが、この頃にはずっと現在日本語ぽくなっているんじゃないかと考えます 金比羅のピラ
アイヌ語のピラには関係なさそう
普通に仏教用語じゃないかな 宮比羅(くびら)は、水運の神で、天竺霊鷲山の鬼神で、薬師如来十二神将の筆頭である。金毘羅、金比羅、禁毘羅とも書く。梵語ではクンビーラ Kumbhīra。十二神将としては宮比羅大将、金毘羅童子ともいう。
仏教用語だな >>112>>118
薩摩方言と(お互いの上層に被さっている音韻や文法の「方言化」を除いて)
比較しても、共通する語彙が意外とあるし、
さらに上層の「方言化」の方向性にも一部共通する部分があるな。
>>142のリンク先のサイトから拾ってみたが
前者は、あこくろ(夕方)いお(魚)おてた(落ちた)かざ(におい)がま(洞穴)
くびっ(括る)けしんめ(裏返し)けね(家族)ごい(苦瓜)こがやき(卵焼き)
しこ(準備する)せわ(心配)てんど(太陽)どし(友達)
にか(新しい)ねぶいかぶっ(うとうとする)にせ(若者)
はい(野良)はえ(南風)ひら(斜面)みと(夫婦)むぞか(可愛い)
よか(〜より)よんごひんご(曲がりくねった)等々
これらの中には基礎的な語彙もあって、全てが借用だとは考えにくい。
後者は母音融合、オ段長音の合音がウ段化、撥音化、r音の脱落とか。
オ段短音もごく一部がウ段化して、「〜もの」が「〜むん」になるのなんかそのまんま沖縄と同じだ。 >>149の対応する首里那覇方言の語彙は
あこーくろー、いゆ、うてぃたん、かざ〜かじゃ、がま、
くんじゅん、けーしまー、ちねー、ごーやー、くーが(卵)、
しこーゆん、しわ、てぃーだ、どぅし、
みーさん、にーぶいかーぶい、にーせー、
はる(畑)、ふぇー、ふぃら、みーとぅ、んじょーさん、
ゆか〜やか、よーがーふぃーがー
ある時代に九州方言で起き始めた(が、不完全なまま止まってしまった)音韻変化を
南方に移って徹底的に完遂したのが琉球方言なんだろうな。
九州方言ではオ段長音の合音がウ段化するに留まったのに対して
琉球方言では長音のみならず短音もウ段に合流したのはその一例かと。 >>149-150
へえ、結構似てる単語があるのか。
島津が琉球語を取り入れて薩摩言葉を作ったとは考えられない? >>153
似てるもなにも沖縄言葉だろうが薩摩だろうが元々は大和言葉だし。 ここらへんのことは沖縄・鹿児島両県に関わる歴史学者も言語学者も隠蔽することで了解済みだから 都合が悪いと隠蔽ダーね、簡単な脳内証拠ありがとうw 薩摩言葉は日本語の中の1方言であり
琉球の言葉は日本語に対峙する言語だ
琉球の言葉が古代語の本流であり現代日本語はその派生語。 >>158
いろいろと突っ込みたいことはあるがまずその古代語とは何ぞや? >>160
じゃあ琉球の言葉は日本語に対峙するどころか純日本語じゃねーか。 >>161
語族とはひとつのグループではあるが同じ言語ではない
そこま現代日本語は古語から分岐して変化しているのです
日本語族という表現も間違いである
琉球日本語族と言うべきだろう。 訂正:そこま現代日本語は…×
そこまで現代日本語は…〇 祖語が分からないのだから日本語族だよ
日本語族日本語派と日本語族琉球語派 >>164
まさか琉球の言葉は古語のまま全く変化してないって思ってる?
確かに現代の日本語(標準語)は古語からかなり変化してるけど
琉球の言葉も古語からかなり変化してる。
ただ標準語とは変化の仕方が異なるだけで、むしろ標準語の方が古語の形に近い語彙や文法もある。
また本土各地の方言も琉球と同じくらい古語を保存してる。 >>168
どのくらい昔の古語?
例えばどの言葉?どの表現? >>158
大和言葉、朝廷の支配者言語が中枢に来るだろ。血統的に朝廷支配層と奄美以南の関係が謎だが九州南部から畿内移住したハヤト系が間に入るか? 隼人と薩摩・琉球の関係は気になるな
隼人が歴史の表舞台から姿を消してから
グスク文化=琉球の始まりまでやや時代があくが
その間にいったい何が起きたのか 隼人と薩摩・琉球の関係は気になるな
隼人が歴史の表舞台から姿を消してから
グスク文化=琉球の始まりまでやや時代があくが
その間にいったい何が起きたのか >>177
その朝鮮思考やめろよいい加減。
こっちはケツに火がつき始めてんだからよ。 薩摩と琉球は同根ぽいけど
神話や伝承見ると違うんだよなあ 同根というか本土西日本と共通するところはあるよ。
広東→台湾→沖縄→九州→近畿の人の移動があったとされる。
縄文晩期-弥生初期くらいの古い時代に。
その時点で琉球と本土は血的にかなり近い集団がいたはずだけど、
本土はそれ以後も人の流入と混血が進んで、琉球とは離れていった。 何でそう一方的な北上の流れと
日本本土とは離れて行ったと印象づけるかなw
北上とは逆の遺伝子的に集団の南下があったことは確実だし
沖縄も、絶えず北や南からの混血が進んでいるんだが アフォが民俗学とかやらんでも分子生物学の時代だそういう話は朝鮮と演ってろや。 北上した南下した
どちらも決定打にかけるんだよな〜(はなほじ
どちらにも説明できない点があるの
一方的なのは北上説派も南下説派も一緒 >>174
個人的には丁度奥州藤原氏が滅ぶあたりに舜天王統が始まったのが気になる。(奥州藤原氏滅亡が1189年、舜天即位が1187年)
眉唾だけどこんな話もあるし。
http://www.youtube.com/watch?v=BGwfk2KE3Qc 源氏話しは島津の俺も源氏系だから琉球どうののでっち上げだろw
それより鎌倉摂関家って北条得宗系に繋がる人種か?平家の残党狩りに横槍入れてる節が在るんだよな >>186
昔の琉球の髷
あの形て弥生時代の髪型、みずらの片側バージョンだけど
伝承では舜天から始まったとされる
源氏があの髪型してたんかね?w >>188
でもそれこそ伝承に従うなら、中山世鑑でもおもろさうしでも舜天=源為朝の子だって書いてるよね? >>188
舜天かどうか知らんが、王様がやってたのを皆が真似たかららしいぞ。 >>189
島津や徳川が源氏の血統的なあれだろ
信憑性なぞ無くても言ったもん勝ち
んなもん信じるアホウが今の世にいるかよw >>189
あと、おもろそうしの、てだ一郎子 てだ八郎子
の名前が、後世の史家に舜天、為朝と解釈されてるだけで
実際に誰を指しているかは謎だアホウ >>187
琉球源氏説は薩摩支配よりも前から存在していた
ttp://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/6432/1/oki36_yano.pdf すいません、質問いいですか?
・でぃーずぅ
・むるさでいーずぅ
これらはどういった意味でしょうか?
石垣島あたりの方言だと思うのですが… 「日本語族琉球語八重山方言」、じゃなくて、
「日本語族八重山語」とかになっているからな。
日本語と琉球諸語が離れているのは
「もともと南九州方言が日本本土方言と大きく違っていたから」
で説明できるが、
なぜ琉球諸語がこんなに互いに違っているのか誰も説明できない。 島の中にシマが在るからな俺の島じゃあ飲む水が違えば言葉は変わるっつうし本当同じ島の中でも違って来る謎なんだわ。 島々が離れていて古代には行き来が大変だったからだろ。 むしろ当時は船の方が行き来がし易かった
そりゃ中国から坊津ぐらいだとかなりしんどいが 琉球語が日本語と違うのは
元々琉球語と日本語が別言語だから
琉球語は薩摩の侵略で日本語と交わって形成された
つまり、薩摩侵略の前と後の時代では琉球語は全然違う言語
日本人が奄美以南に渡れる木造船を造れるようになったのは戦国時代末期
古代から東シナ海は、中国の船が交易などで行き交っていた 日本人が九州から沖縄に船で渡ることができたなら
沖縄まで渡航できた船とやらを復元して実証して見せて欲しいものである
朝鮮まで行くのに一ヶ月かかる遣唐使船が復元されたが
何故沖縄に来ないのか不思議である 戦前まで利用された沖縄のヤンバル船は中国のジャンク船の一種だが
ヤンバル船は世界一周できる木造船である
日本の和船は太平洋さえ渡る事のできない構造的に不安定な船である
日本が太平洋横断できる船を造れるようになったのは
西洋の技術を導入した明治以降である
韓国で沈没した船は日本で造られたが
韓国人が船の安定性を超えた加重貨物と操縦で沈んだ
船というのは安定性が悪いと簡単に転覆する >>202
むしろ薩摩の侵略以前の琉球語は中世本土語と現代沖縄語の中間な感じだがw
崇元寺下馬碑 嘉靖6(1527)年 「あんしもけすもくまにてむまからおれるへし」
今の沖縄語を形作ったのは薩摩侵略以降の音韻や文法の変化が大きい
>>203
薩摩軍は飛行機かUFOにでも乗って沖縄に攻めてきたのか?w 崇元寺下馬碑は表は漢文
後の時代になった平仮名で落書きされている
薩摩の琉球侵略は1609年
薩摩は秀吉の朝鮮出兵の際に、朝鮮から船大工を連れてくる
それにより、琉球まで渡れる船を造れるようになる 島津侵攻以前の『使琉球録』に倭人とのトラブルがでてくるじゃん
夷與倭爲鄰。
而民貧國、小有所不足、輒假貸於倭。
毎遇封使遠臨、在他國或至、或不至、倭無不至者。
名稱往賀、實則索逋於其國也。
所居舍舘、去天使舘不二里而近。
夷慮我衆之不善於倭、又慮倭衆之不利於我、毎爲危言以相恐、欲遷我衆於營中。
科使問余。
余曰「此非故事;但須嚴禁諸役勿擅與通、自可無虞。若無故而亟遷、是避倭也、豈有堂堂中國而避外夷乎」
科使如余言、不遷。
久之、颶風大作、我衆與倭各衛其舟、致有爭競。
倭傷首役一人、血流淋漓。
衆遂大怖、扶歸哀愬、状頗倉皇。
余驗其傷、乃刀背、非刀口、喜曰「此急而自救、非亂而相?也。宜收衆役入舘。徐勅彼之舘伴往諭、倭衆必不爲禍』。
科使然之。
少頃、王亦遣彼衆二千餘人馳來護舟、舟各獲完。
倭亦隨息。
蓋其時之天幸如此。 >>202の中では遣唐使の南島路から倭寇まで全部まるっと無かった事になってるのかな? >>209
朝鮮まで渡るのに一ヶ月もかかる遣唐使船が
何故、危険を押してまでわざわざ奄美まで遠回りして
東シナ海を横断する必要がある
あほらしい >>210
中国社会科学院の動きを見習えよw
アフォが迂闊に工作出来る場所じゃ無い。 久し振りに覗いてみたら、レベルが高くなっているね
>>150
那覇語と今の薩摩弁、日向弁は似ては聞こえないけれど、昔は同じだったと思う
種子島弁とか奄美語などを聞くと、本土から波状的に変化しているのが聞き取れるし おぉ!今日のケンミンショーは方言いっぱい紹介しとる! ケンミンSHOWは沖縄人を珍獣扱いしているので好きじゃない なんと薩摩の古老はウチナーグチがわかったらしい
http://ehasho.ti-da.net/e3129637.html
>かなり九州軸の本土文化の流入はある話なので共通項は沢山あるかと思います。ちなみに鹿児島県の山
>川での体験ですが、私と数人の仲間でウチナーグチを使い捲っていたら、前に座っていたお年寄りが聞い
>た意味を大概理解していて凄く的確に割り込まれて驚きました、かなり御高齢のお爺さんでしたが生粋の
>山川生まれの山川育ちで沖縄はおろか奄美にすら行った経験は無いそうですが、時折昔山川の港に現れ
>る奄美や沖縄からの漁船とかの主とは普通に会話出来たそうです。
>奄美の方も同様な経験談を語る方々は多数います。ただ共通しているのは「薩摩の人が方言会話を理解
>しているが、こちらは鹿児島の方言を理解出来ない」です。不思議な話ですよ。 山川近くの揖宿郡ではご飯を炊く(蒸かす)ことを
プーカス
と言っていた
琉球貿易とは別に日本古語が残っていたのではないかと思う 当時、薩摩風味の日本語と琉球語(沖縄弁)とどの程度の共通点があったのか
山川育ちのじいさんがどうやってウチナーグチ(もしくはそれに近い)を身に付けた興味があります ヨーハレイー 吹ちゅりよはいぬ風〜♪
大和山川がでぃ吹ちゅりよはいぬ風〜♪ >>217
南九州流れの沖縄語なれば、沖縄人が山川語が解って山川人が沖縄語をわからないのは理解できるが、その逆は信じ難いな
沖縄琉球語じゃなくて、うちなーヤマトぐちだったのではないの? 昆布を出汁でなく具材として食べるのは南九州と共通だな
流れはそれなりにあるよ 南九州との大きな相似点をひたすらスルーして、
中国大陸との偶然とも思える相似点は針小棒大に評価する >>222
薩摩のほうが発音の変化が激しいからじゃないかな。促音化とか短母音化とか。
あるいは単に早口だからとか?
沖縄本島は標準語と同じモーラ方言だけど薩摩はシラビーム方言ってのもあるか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています