福岡県糸島市の三雲・井原(みくも・いわら)遺跡で、弥生時代(紀元前4世紀〜紀元後3世紀)
のものとみられる国内最古級のすずりの破片1個が出土した。
「魏志倭人伝は伊都国で文書が取り扱われていたと記しており、裏付けにつながる」として、
日本の文字文化が伊都国から始まった可能性を示す史料と位置付けている。
http://www.sankei.com/region/news/160302/rgn1603020009-n1.html
「論衡」に紀元前11世紀周朝二代目・成王の時、「倭人が暢草(大麻)を貢した」とある。
「貢」は国レヴェルの交渉があった時のみ適用。
志賀島の金印は、単于やテン王と同じムクの金印。類例はきわめて少ない。
委奴国王は東夷の宗主と位置づけられていた。
朝鮮半島含め、倭人以外の東夷で、数人が銀印を受けただけ。倭人は卑弥呼の時代だけで10人が
銀印を受けていた。格から言えば、半島諸国は倭国配下の諸侯国並みの扱い。