纏向遺跡から出土した外来系土器についての報告
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/gairaidoki.htm

以下引用
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「3世紀を通じて搬入土器の量・範囲ともに他に例がなく出土土器全体の15%は
駿河・尾張・近江・北陸・山陰・吉備などで生産された搬入土器で占められ
製作地域は南関東から九州北部までの広域に拡がっており
西日本の中心的位置を占める遺跡であったことは否定できないし、
人々の交流センター的な役割を果たしていたことが窺える。
このことは当時の王権(首長連合、邪馬台国連合)の本拠地が、
この纒向地域にあったと考えられる」

 「搬入土器の出身地割合」は、図表で示され、北から順に、関東系5%、
東海系49%、近江系5%、北陸・山陰系17%、河内系10%、紀伊系1%、吉備系7%、
播磨系3%、西部瀬戸内海系3%、とされる。
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引用終

この邪馬台国の本拠ともみられるべき文明の集積地纏向遺跡から
出土した大量の土器から東海地方の文明の度合いの高さがうかがい知れる。
これは現在愛知県を豊かにしているものつくり文化のルーツであったと言える。
纏向遺跡から出土した土器は3世紀中ごろかそれ以前のものと考えられるが、
この時代に愛知県で焼き物が作れる窯群は、一宮と東山にしかなく三河には皆無。

三河とは本来、矢作川、豊川、男川に挟まれた地域を指す言葉であるが、
これらの地域では時代が下ってもなお焼き物すら焼かれることがなかった。
現在愛知県を豊かにしているものつくり文化が皆無であることがはっきり分かる。

三河の文化レベルなんてガチで千七百年前からこんなものだ
背伸びするなよ文化不毛の矢作猿がw