それにしても袴田の再審開始の判断はともかく原決定の
袴田の拘置の執行停止に関する判断も気になる。

無罪の蓋然性や自由刑などとの間に看過しがたい不均衡が生じる
から、「刑事訴訟法448条2項は、裁判所の裁量により、死刑のみ
ならず、死刑の執行のための拘置の執行をも停止することを許容
する趣旨と解すべき」というのだが、裁判所の裁量というのは
どこにも定められていないし、実際、いままでの死刑囚の再審無罪
に関しては再審開始が確定し、再審において無罪が言い渡された
後になって釈放されており、この条文を無視したような妙な判示が
維持されるのかも興味がある。

検察の抗告に関して大島裁判長は再審開始決定をした裁判所の
合理的な裁量に委ねられるとして退けたものの、この拡大解釈
を今度は支持するのか否かをはっきりさせなければならない。

原決定ではその理由として再審の審判で無罪になる相当程度の
蓋然性、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた
こと、5点の衣類が捜査機関によってねつ造された疑い、自白調書
のほとんどが任意性を否定されたこと、清水郵便局で発見された
紙幣入りの封筒もねつ造の疑いを払拭できないことなどや、逃走を
図るおそれは相当低いなどとするのだが、耐え難いが複数でて
きたり、情緒的に感じるのは自分だけだろうか。

結局、裁判官の世代が冤罪という長期の叫び声を聞いて育った
世代に移れば、先入観から何とかしなければと再審開始に動いて
きているように思われ、袴田事件やそれ以外の特別抗告中の3件の
再審開始の判断となっている再審請求事件はその現れのようにみえる。
いずれも証拠はつじつま合わせで、地裁の証拠認定が即時抗告審で
否定されるものの、再審開始自体は支持されているのなどをみると、
裁判官の思い入れが強すぎるようにみえ、やや危険に感じる。

いずれは林真須美も老婆となって同情される立場となって同じよう
な展開になっていくのかもと思うと、弁護団の長期に及ぶ大衆への
洗脳もまんざら無駄ではないのかと感心するやら呆れるやら何とも。