>>332
公判中とはいえ、体重120kgというのは母親がだらしなく差し入れ
してたのだなと関らしいエピソードというか。
いくら関でも25年も収容されていれば、絶望感からこたえていた
ようにも思うが、遺族の話はなかったな。

アベックはくも膜下出血で生死をさまよってはじめて被害者の恐怖
が理解できたというが、それまではどう考えていたんだろう。
鈴木洋一も大病で実感したらしいが、人間、経験しないとなかなか
実感がわかないのは無理ないとも思うが、やはり近い経験でも
しないと何とも思ってない連中の集団なのかなとも思う。

アベックも事件から30年で近い将来仮釈放の審査を迎えるわけだが
どうなんだろう。
仮釈放とは違うが、古くは山本宏子の恩赦の審査の際に遺族の
大反対があってなかなか実現しなかったというが、仮釈放も遺族の
意見等が影響するが、被害男性の遺族が全く許していないとなると
駄目かもしれない。

そうなると、次の審査は10年後だから、60歳くらいになるわけ
だが、30年前となると、携帯もインターネットもごく一部の時代
で、かなり浦島なわけだが、10年後だといよいよ社会適応できるのか。
生死をさまよった経験もあって、30年も収容されていれば、
さすがに生命犯での再犯はないように思うのだが、結局、社会で
人間として何とかやっていけるのか否かと考えると、彼らは
はたして人間なのかという気もしてくる。

従来の仮釈放中の再犯は良くも悪くも収容期間が15年くらい
だったからのように思うが、現在の約30年の収容期間でも
再犯で死刑囚みたいなのは現れるのか。
15年程度は人間としての社会復帰が前提だったと思うが、
30年程度は人間としての活力を奪って害の程度を無力化するのが
目的ではないかと思うと、結局、更生を否定しているような。

アベックがどうなるのか知らないけど、30年で駄目で40年だと
更生できるとしたら、その差は一体何なのだろうな。
関にしてもアベックにしても事件そのものがほぼ人生と言うのも
何だかなあ。