平成20年6月13日、鳩山邦夫法相は東京恵比寿のウェスティンホテルで開催された、
G4司法内務省会議から、ようやく霞ヶ関の法務省に戻った。19階にある大臣室
からの椅子に座ると、刑事局幹部が部屋に入ってきた。3通の死刑執行命令書が目
の前に差し出された。
「死刑執行の件は、裁判言い渡しの通り執行せよ」そう書かれた命令書の一通は
宮崎勤死刑囚(45)に対するものだった。「わかった。執行しよう。」 筆を取り、
命令書に自ら花押を記した。
6月初め、この大臣室で鳩山法相は死刑執行の対象となる3人について、刑事局
幹部から分厚い裁判記録を渡され、詳しい説明を受けていた。秋葉原無差別殺傷
事件が起きる直前のことだ。説明を聞く表情には緊張感がにじんでいた。
執行命令書にサインする日と、執行予定日も告げられた。
6月17日、鳩山法相は、よく眠れないまま朝を迎えた。夜中に目が覚め、
「執行まであと何時間だろうか・・・」と思うと、いつまでも寝つけなかった。
宮崎死刑囚の独房があった東京・小菅の東京拘置所A棟8階では、午前7時25分
から朝食がいつも通り配膳された。
宮崎死刑囚の斜め向かいの独房にいた、オウム真理教元幹部の新実智光被告(44)
(二審死刑、上告中)は朝食後しばらくして、宮崎死刑囚が刑場に連行されたこと
に気づいている。
「初めにおかしいと感じたのは、職員がいきなり宮崎氏の部屋の荷物を箱に詰め始め、
台車に乗せ始めたからです」と文通している作家の森達也氏への手紙に書いた。