日本の航空史の本を少し読んだ

1925年頃お雇い外国人を招聘し設計してもらう(約10年間)
風たちぬに出ていた本庄さんや堀越さんらが卒業して補助でつく
(一学年9人だけ)
外国人が去り彼らが設計を担う
1930年代後半から技術封鎖始まる
1935年本庄さん96式陸上攻撃機で始めて世界水準
1940年堀越さんゼロ戦
1945年終戦

1人立ちして約10年の短い歴史
ほんの一瞬追いつきそうになったが技術封鎖で直ぐにおいてかれた感じなんだな