◆昔は当たり前だったが最近は見ないもの・こと@◆ [無断転載禁止]©2ch.net
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◆昔は当たり前だったが最近は見ないもの・こと@◆ @ 60代板 >>648 それは間違いなく宇宙人の仕業です!ガラス棒の青春、、、 166名無しさん@お腹いっぱい。2021/03/09(火) 01:17:16.50ID:QRS07p6i>>167
>>165 寝惚けたことを言ってるね。 この世に生姜さえ有れば私は天下無敵。
あすもジンジャーティーでビンビンじゃわい。 リアカー
30年くらい前に焼き芋屋さんを見たのが最後
引いていたのはお爺さんだったのに結構なスピードが出ていて 買い求めるために追いつくのが大変だった >>656 今ではFFになっちまった!
FFになっちまつた悲しみはたとえばキツネの革ごろも >>657 >>659
そんな悲しみも 元祖FRネコ車がいまだ健在である事に思い至れば 小雪のかかってちぢこまる テレビのUFOや心霊番組!矢追淳一さんや稲川淳二さんは暇? 大槻教授と組んで霊能者を叩いてた松尾貴史(キッチュ)は、かつて宜保愛子さんのアドバイスに従い毎日蕎麦を食べてたが
偽物(?)だと分かると霊能者叩きの急先鋒になった
死後の世界を否定する人は、この手のタイプの人が多い気がする 「天中殺」で一斉を風靡した算命占星術の和泉宗章は
自分が算命占星術に基づいて行った野球の優勝占いが当たらなかった事から
この占いは間違っていたと占い師を引退し、占いの嘘を告発する側にまわったな 潔い人だなあ!敵に回すと恐いが味方にすると情けないとしか、、、(。-ω-) 手紙を入れる状差しが部屋に必ずあったな。
あと、箱入りの粉の石鹸(洗濯用)、クレンザーとか
角砂糖、薄めて使うシャンプーetc・・ 歯磨き粉も粉だった
一回ひっくり返すと縁のところに粉が乗るやつw ナウ ターイム エブリデーィ ザークト ライオン♪ >>668
今じゃ情報が溢れかえってるけど、ネットなどなかった子供の時は
TVで心霊写真なんかが出てくると怖くてたまらなかった。
あと、スプーン曲げ(念力?)も流行ったことがあったね。
ピンクレディの「透明人間」の歌詞にも出てくる。 舗装していない道路
1964年の東京オリンピック前に全国の道路という道路が舗装された。 1969年に都内23区から埼玉県東北部に引っ越してきたが
東京での通学路は全て舗装道路だった一方
引っ越し先では通学路で舗装されていたのはほんの数10mくらいしかなかった >>683
>全国の道路という道路が・・
そんなわけねーだろ
現在でも90%に満たないんだぞ >>681
心霊写真を純粋だった子供の頃はコラだとか思わないし
実際にこういうものが映るんだと信じていたよね。
怖いんだけど、薄目をあけて見てしまうというあの頃が懐かしい! こんなの嘘(作り物)に決まってんじゃねーか、
とバカにしてた奴は少なからずいた。俺もその一人 俺は純粋にUFOやarea-51の矢追純一さんやいけいけ川口探検隊を信じてた口だな
その後未知の世界の冒険家として大神ケンジさんも出て来たし霊能者のユリゲラーや宜保愛子さんには度肝を抜かれて今も放心状態だよ! >>689 専門用語で、、、ピュアらしい シミジミ ナイーブといったほうがいいかな。
この際、Naiveの意味を調べてみるといい そろばん塾
小2のとき入れられた
遊びたい盛りだったので
週4回の通塾に耐えられず
6級でバックレた >>693 なんで計算尺にしなかったの? 計算尺にしとけば資格として就職にも有利だったのに >>694
計算尺ってのがどういうものか判ってないw 昭和40年頃かなあ、親父がタイガー計算機ガチャガチャやってたなあ。 昭和30年代の終わり頃、親父の会社にレジスターと同サイズのトランジスタ電卓があった
聞くと値段が当時で数十万(今ならその10倍以上)、昭和50年代の大学生の頃に関数電卓が出て
対数計算、三角関数、指数関数などの計算が出来て値段が4〜5万だった、その頃の普通の電卓は
かなり小さくなったがA5サイズで厚みも結構ある電池式で電池の消耗が早かった、値段は数千円
なお、関数電卓は理系学生にとっては必携で、試験時も持ち込み可能だったが、お陰で以前はあまり
出題されなかった計算問題が前半に沢山出されて迷惑だったなぁ ポータブルラジオを兄が帰省した時に持って来た
スキを見て革のケースから出して裏蓋開けた(工具いらなかった?)
何と小さな真空管が入ってた 電池も田舎では入手困難品 っぽい
そっと閉じた。 関数電卓のグラフ機能使って、三角関数重ねたな。
三角波とか矩形波とか作って。
しょうもなw 保険のおばちゃんがバイオリズム表を配ってた、後にパソコンが普及してそれが可能になり、、、保険のおばちゃんの販促ツールがひとつ消えた (笑) 保険屋のババアらのデジタル化は早かったな。
随分前から専用のタブレットいじってた。
俺はみごとに枕営業にひっかかったクチだ。 保険屋の販促グッズといえば、腕時計につけるカレンダーが定番だったな
あれのおかげで毎月顔だす理由になる >>683
マラソンの折り返し地点(現在の東京スタジアム前)がある新甲州街道も
オリンピックに時期を合わせて整備されたらしい。
俺は幼くてあまり覚えがないが、父親が言ってた。
それまでは旧甲州街道を使っていたらしい。 716=683は、おのれの失言をなんとか取り直そうとしてるんじゃないかな >>492
部屋を真っ暗にしてから見ていたブラウン管テレビの電源を切った直後に
手のひらをブラウン管の表面に当てると、表面に手のひらの形がぼんやり
浮かび上がるのが面白かった。 そういやあ、部屋の電気消してTV見る家も多かったようだな
だから「目が悪くなるので部屋は明るく・・」なんて広報があった >>724 あったあった!今日から我が家もカラーテレビ 昭和30〜40年代のテレビには、画面のガラスに吸盤でくっつけるフレネルレンズがあった
これをテレビに付けると画面が2インチ程度大きく見える、このレンズは下敷きにもあって
面積が大きいので、晴れた日に太陽の下で新聞紙を焦点に併せると2〜3秒で火が付いた 昭和末期〜平成の時代に退職した老人たちにとって当たり前だった光景
(最近は見ない光景)
夢のような時代だった。この時期に退職(早期退職を含む)して、世界各地を豪遊に次ぐ豪遊で訪れ、老後という人生の集大成期を謳歌できた人たちは、最高に幸せな人たちだ。
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超えられない高い高い壁
退職時期により
迎える老後はまるで別世界
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令和の時代になってから退職した老人たちにとって当たり前となった光景
悪夢の時代が到来した。コロナ禍の渦中に退職となり、人生の集大成期に常にマスク着用を義務づけられ、隣国はおろか国内旅行ですらままならない悲惨な老後を迎えるしかなくなってしまった人たちは、極めて不運な人たちだ。 道端に落ちていたホイールキャップを飾ってた!(^ω^) うちらは空き瓶拾って酒屋さんへ持って行った、ビール瓶が一番高かったような覚えがあるが >>729
磁石を紐にくくりつけて歩くのはよく聞いたよ。 >>731
一升瓶が10円 四合瓶が5円だったかな
隣の貸本屋で1冊借りて飴玉の紐付きクジで幸せ時代だった 60年代末、近所の空き地が酒瓶の集荷所にされていて、いくらでも盗める状態だった。
でも、そこで盗む奴は俺の知る限りではなかったな。
道に落ちてるのは拾って店にもってったけど リヤカーにポン菓子製造機を積んで商いに来てたおっちゃんが居てた
家から最低精米1合分といくらか知らんけど(多分30〜50円程度)お金を渡すと
機械に入れた米が爆音とともにポン菓子に変化して出来上がる 出来上がったポン菓子の熱々のうちがなんとも美味しかった 地域差あるだろうが、西宮(兵庫県)ではS45年ですでにお袋の昔話だったな、ポン菓子つくり >>738
鋭い指摘に737退却
おっと、ワシ80過ぎとった、と 2つに割れた花火のからを拾って、玄関に飾っておくと魔除けになる
という事で、子供の頃朝花火が上がると、から取りに走った 祭りの昼ごろに花火が打ち上がって 落下傘 をめがけ突進した そういやあ、落下傘花火って昼間じゃないと意味ないな >>746
あ 落下傘とおっかさんだったのか…俺が死ぬ! 2年前までは至るところで見かけた上流老人たちがが、最近ではきれいさっぱり居なくなった。
上流老人たちは今、どこで何をやっているのでしょう?
上流老人
【解説】
昭和末期〜平成の時代(上流老人大量生産時代)にリタイアした老人。
上流老人大量生産時代は、夢のような時代だった。この時期に退職(早期退職を含む)して、世界各地を豪遊に次ぐ豪遊で訪れ、老後という人生の集大成期を謳歌できた人たちは、最高に幸せな上流老人だ。たったの1億円で、令和初期のコロナ禍にあっては10億円あっても経験できないような豪遊に次ぐ豪遊を謳歌できた幸せな老人だ。
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超えられない高い高い壁
退職時期により
迎える老後はまるで別世界
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中流老人
【解説】
令和中期(令和10年以降)にリタイアする老人。
令和中期(令和10年以降)ともなると、新型コロナウイルスが終息する。健康寿命が10年以上残されているため、遅ればせながら世界各地への長期豪遊が辛うじて可能となる。並の命運を持つ老人だ。
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超えられない高い高い壁
退職時期により
迎える老後はまるで別世界
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下流老人
【解説】
令和初期(下流老人大量生産時代)になってからリタイアした老人。
下流老人大量生産時代という悪夢の時代が到来した。コロナ禍の渦中に退職となり、人生の集大成期に常にマスク着用を義務づけられ、健康寿命の残余期間を考えると、隣国はおろか国内旅行ですらままならない悲惨な老後を迎えるしかなくなってしまった人たちは、極めて不運な下流老人だ。1億円あっても、コロナ禍前でいう100万円の豪遊でさえできなくなってしまった不運な老人だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています