日本人は根が真面目だから」「日本人はもともと勤勉だから」――。

 残業、長時間労働についての議論をしているとしばしば耳にするのが、こうした日本人元来の特質と今の日本人の仕事の仕方を結びつける意見です。「勤勉さ、愚直さといった日本の強みを活かし……」などとポジティブな形で言及される場合もあります。果たして、こうした話は事実なのでしょうか。

 結論を先に言うと、この「勤勉」が「仕事」を意味していても、「勉学」を意味していても、日本人元来の特質とは言えません。

「日本人勤勉説」のまやかし
昔はむしろ怠惰と見られていた
 そもそも、日本人はずっと勤勉に仕事をしていたのでしょうか。たとえば100年前、明治期の時間感覚を例示するものとしてまず紹介したいのが、1901年(明治34年)に唄われたという下の歌の内容です。

 交渉は 日がな一日 ゆっくりあわてず
 「すぐに」が一週間のことをさす
 独特の のんびり、のん気な日本流
 時計の動きは てんでんばらばら
 報時の響はそろわない

 詠み人は明らかになっていませんが、タイトルもズバリ、「大ざっぱな時間の国」とされています。多くの社会史家が指摘するように、この他にも、明治期、多くの外国人が日本を訪れ、日本人の「怠惰さ」についての印象を言葉として残していきました(橋本毅彦・栗山茂久『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』、西本郁子『時間意識の近代 ―「時は金なり」の社会史』など)。

“日本の労働者は、ほとんどいたるところで、動作がのろくだらだらしている”(1897)

“日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ”(1857〜9)

“この国では物事がすぐには運んでゆかないのである。一時間そこいらは問題にならない。”(1891)

“辞書で「すぐに」という意味の「タダイマ」は、今からクリスマスまでの間の時間を意味することもある。”(1891)

現在、日本人が途上国を旅行したときに現地で感じるような言葉が並んでいます。こうした「時間感覚の違い」や「怠惰さ」を、明治期の訪日外国人は日本に対して感じていたようです。少なくともこの時代まで、欧米水準の「勤勉さ」は日本に広く根付いてはいなかったと推察されます。

日本の社会人は断トツで「勉強」していない
なぜ「勤勉イメージ」が定着したのか?
 また、「勉学」の面ではどうでしょうか。日本の大学(高等教育)進学率は確かに戦後ほぼ一貫して伸びてきましたが、国際的に見ると目立って高いものではないのが現状です。また、高等教育への進学率と「勤勉」のイメージがすぐに結びつくものでもないでしょう。

 では、学校教育を終えた後、社会人としての勉学はどうでしょうか。データを確認すると浮かび上がってくるのは、社会人になってからの日本人の「勉強のしなさ」です。職場外の学習についての調査を見ると、アメリカ・フランス・韓国と比べても最も「ほとんどやっていない」という割合が高く、夫で78.9%、妻で67.7%にもなります(2006年 連合総研「生活時間の国際比較-日・米・仏・韓のカップル調査」)。

 平成28年の社会生活基本調査においても、働いている人の「学習・自己啓発」の時間は平均で1日わずか6分程度です。昨今、生涯学習やリカレント教育の必要性がしきりに叫ばれる背景には、社会人になったあとの日本人の圧倒的な「勉強のしなさ」があります。
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 明治期に怠惰で、現在も社会人になってから勉強していない日本人――。ところがその一方で、1970年代から2000年代にかけて行われた日本人についてのイメージ調査の結果(図1参照)を見ると、日本の青年層から見た日本人のセルフイメージは、40年もの間「勤勉」が1位の座を守っています(内閣府・世界青年意識調査:18-24歳 5ヵ国1000人対象)。
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 他国民からのイメージ(図2)も、「勤勉」は上位に入り続けています。この数十年間ものあいだ、確かに日本人の勤勉イメージは国内外に共有されているとい言えそうです。
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以下ソース
2018.7.9
https://diamond.jp/articles/-/174256