「日本に移住するべきじゃなかったかも」。アラフィフの中国人が、そんな後悔を口にするようになっている。彼らは1989年の天安門事件で中国を見限り、政治的にも経済的にも先進国だった日本に移り住んだ。だがその後、日本経済は沈滞。一方、中国は世界2位の経済大国となった。彼らの「後悔」に対して、日本人はどんな言葉をかけられるのだろうか――。



天安門世代の中国人があこがれた往年の日本
呂秀妍も例外ではない。中国国内で大学を卒業して大学講師になった(当時の中国で大卒はすぐに講師になれた)彼女は、故郷の黒龍江省で後の天安門事件(1989年6月4日、学生運動のデモ隊を人民解放軍が武力鎮圧した事件)につながるデモを目の当たりにしている。

このとき、当時27歳だった彼女は、学生を取り締まる立場だったが、「心情的には学生の主張に反対していなかった」「むしろ、彼らは正しい」と考えていたと話す。

やがて、せんだって日本に留学していた夫を追いかけて1991年に来日、そのまま日本で暮らした。言論の自由が保証された日本で、呂秀妍は中国の民主化問題に関係するパンフレットをむさぼるように読み、冒頭のように「日本はすばらしい民主主義国家で、中国はダメな独裁国家」と信じるようになった。

当時の彼女が日本を称賛したのもムリはない。1991年当時、中国の名目GDPが4156億ドルだったのに対して、日本の名目GDPは3兆5844億ドル。日本は中国の8.6倍の経済大国だった。国際社会における存在感も圧倒的で、世界から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として日本の台頭がやや恐れを込めて見られていた時代である。

同じアジア人の国家なのに、なぜ日本はこんなに強くて豊かでクールで、中国は貧しくてダサいままなのか? 当時の中国人の若者はそう考えた。彼らの多くが出した答えは、「日本の政治が民主主義体制だから」というものだった。

考えが変わりはじめたのは2000年代になってから
国民が自由に政府を批判できて、政策を監督できる社会。言論の自由が保証され、おかしいことを自由に指摘できる社会。それゆえに、中国は「ダメな独裁国家」であり、日本は立派なのだというわけだ。

「考えが変わりはじめたのは、2000年代になってからです。中国は独裁的だけれど、ちゃんと発展するようになった。国民の生活がそこそこ自由で、(政治面以外では)権利も保証されるなら、別に体制が独裁的でもいいのかもしれない。いっぽうで、日本の社会の問題も見えてくるようになりました」

これは彼女のみならず、日本と接点を持った天安門世代の中国人に共通する考えである。やがて、そんな考えはゼロ年代後半から決定的になっていく。

まず、中国は2008年の北京五輪と2010年の上海万博に成功した。そして世界金融危機を生き残り、一時は「チャイナ・モデル」として欧州からも称賛を受けた(実情は相当ムリしていたようだが)。極めつけに、中国のGDPはいまや日本を数倍も上回って堂々たる世界2位となり、都市部の中産階層は海外で「爆買い」をおこなえるほど豊かになった――。

中国人であることを誇れる時代が来てしまった
海外の情勢を知るようなエリート層の中国人にとって、天安門事件が起きた1989年からの十数年間、遅れた貧しい祖国は「恥ずかしい存在」だった。だが、そんな時代は過ぎ去り、中国はちっとも恥ずかしい国ではなくなった。政治を民主化しなくても、全世界に向けて自分が中国人であることを誇れる時代が来てしまったのだ。

いっぽう、かつて自由の新天地に見えた日本は、中国とのGDPが逆転した2010年ごろから、ゆるやかだが不可逆的な衰退が確実視されるようになった。しかも「民主的」に選ばれたはずの政府は、少子高齢化や労働問題のような誰の目にも明らかな問題点の解決にすら手をこまねき、むしろ自国の停滞を座視しているかにすら見える。
http://president.jp/articles/-/25286