藤野道格は「たった一度だけ、本田宗一郎さんにお会いしたことがある」と言っている。
「たしか29歳のときだったと思う」と藤野は言っているから、1989年あたりの頃であろう。
本田宗一郎に29歳の藤野道格が会ったのは、本田技術研究所の基礎技術開発センターを視察したときであった。その思い出を藤野は、こう言っている。
「ホンダが飛行機を研究していることは、極秘事項でした。そもそも基礎技術開発センターの存在自体が、社内でも秘密になっていて、
従業員でも知っている人は少なかった。そういう基礎技術研究センターに本田宗一郎さんが来られた。そのときの上司は、
僕に、飛行機をやっていることは本田宗一郎さんには絶対に言ってはならない、と厳命しました」

 本田宗一郎が飛行機を作ることを夢みていたのを藤野道格は知っていた。だから、なぜ、本田宗一郎におしえてはならないのかが、よくわからなかった。
飛行機研究をやっていると知れば、とても喜ぶのではないかと思ったからだ。藤野は本田宗一郎の喜び顔が見たかったのである。
 ところが上司は、こう言ったという。
「もし、飛行機研究をやっていると知ったら、引退を撤回して研究所の現場に戻ってきてしまうかもしれない。あるいは、いろいろな意見を言ってくるだろう。
そうなったら研究所の仕事がめちゃくちゃになってしまう可能性がある。だから絶対に言ってはならない」
 本田宗一郎はそこまでエネルギッシュだった。そういう人物でなければ、たった一代で世界的企業を興すことはできない。
 藤野は上司の厳命を守った。その直後のエピソードは、藤野の人柄をよくあらわしている。本田宗一郎の視察がおわり、緊張していた藤野がトイレに入ると、
そこで本田宗一郎が用をたしていた。藤野はこう言っている。
「トイレに入ったらアロハシャツを着ている人がいた。すぐに宗一郎さんだとわかった。僕は、飛行機やっているんですよ、と言おうかなと思った。
でも、言えなかった。言ってはいけない。宗一郎さんとすれちがったとき、お前は暗い顔をしているけれど飛行機でもやっているのか、
と声をかけてくれるかなと期待しましたね。しかし何事もないように、すれちがっただけでした。あのとき、言ってしまえばよかったなと思うことが、いまでもあります。
宗一郎さんが、どんな顔をなさって、何をおっしゃるのか、それは聞きたかった。とても聞いてみたいことでした。しかしチャンスを逃してしまった。それがたった一度のチャンスだったのです」