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【大型受注】ホンダジェット、過去最大の16機受注 仏運航会社から
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0001へっぽこ立て子@エリオット ★
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2018/02/08(木) 20:02:15.76ID:CAP_USER
 【シンガポール=谷繭子】ホンダは仏プライベートジェット運航会社のウィジェットから、小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」を16機受注した。航空ショーが開催中のシンガポールで8日、発表した。ホンダジェットの1回の受注として最大となる。受注額は明らかにしていないが、カタログ価格で約8000万ドル(87億円)相当。
https://www.nikkei.com/content/pic/20180208/96958A9F889DE0E4E4E5E6E3E2E2E2EAE2E0E0E2E3EA8A93E2E2E2E2-DSXMZO2667408008022018XA0001-PB1-4.jpg
ホンダジェット=ホンダ提供

https://www.nikkei.com/content/pic/20180208/96958A9F889DE0E4E4E5E6E3E2E2E2EAE2E0E0E2E3EA8A93E2E2E2E2-DSXMZO2667442008022018XA0001-PB1-2.jpg
16機の受注は過去最大(右はホンダエアクラフトカンパニーの藤野道格社長)

 ウィジェットは使用機材を現行の米セスナ製から今後18カ月で、ホンダジェットに完全に切り替える。ホンダの航空機事業を手がける子会社、ホンダエアクラフトカンパニーの藤野道格社長は記者会見で「航空に新しい価値を作り出すという目標に向けた、大きなステップだ」と語った。

 ホンダジェットは乗員を含めて7人乗りの小型機。2015年に販売を開始し、73機を顧客に引き渡し済みだ。受注機体数は「100機以上」としか公表していない。これまでは北米が中心だったが、欧州やアジアでも販売を強化している。17年以降、タイや中国にもディーラーを設けた。

 ウィジェットは欧州で「エアタクシー」と呼ばれる不定期航空サービスを手掛けている。座席数、騒音の低さ、燃費の良さなどが切り替えの理由だという。

Honda | エアタクシーサービス提供会社のWijet社とHondaJet販売に向けた基本合意書を締結
http://www.honda.co.jp/news/2018/c180208b.html
http://www.honda.co.jp/content/site/www/news/pc/2018/c180208b/_jcr_content/mainclm/newsimage_ba8c/image.img.jpg/1518079225796.jpg

2018/2/8 14:30
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26674100Y8A200C1XA0000/
0102名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:15:37.68ID:KNe6ga5s
>>93
おまえ絶対わざとだろ
0103名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:15:43.11ID:iULNixV9
ホンダ、Honda Jet用エンジン「HF120」試験設備など公開
埼玉県和光市にある本田技術研究所内航空機エンジンR&Dセンターにて
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/682015.html
0104名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:15:54.74ID:y3QDT/P+
よくMRJとホンダジェット比較してMRJ批判する奴がいるが、
ホンダジェットはめっちゃ難航してるんだよな

違うのは受注タイミング

ホンダジェットはほぼ完成してから受注、MRJはまだまだ未完成の段階で受注したのの違い
0106名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:18:18.60ID:GdQPRIhM
MRJはなんの新味もなく輸入エンジンだが
なぜか出来上がらない
0107名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:18:49.23ID:TP8Blg31
>>92
ホリエモンがプライベートジェット機を買ったら調布にしか置くところがなくて、
六本木から調布に行くのが大変で結局手放したとかで。

日本の場合は、羽田にプライベートジェット機を置けないから無理
0108名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:22:30.69ID:GdQPRIhM
ゼロ戦買った人も苦労してたなw
0110名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:27:56.41ID:13BLaMXB
>>3
ウィスキー吹いたw
0112名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:35:12.08ID:TnMnELQA
>>98
まーた凝りもせず やじゃわ さんをCMに起用したみたいですよ
0113名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:36:12.85ID:Qx5X/z1v
>>107
調布は滑走路が800mしかないので小型のビジネスジェットでも無理だ。
関西圏ならどこかに置けるかもしれない。
0115 【東電 81.8 %】 (地震なし)
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2018/02/08(木) 22:39:20.96ID:GcGUmEZB
>>9
 彡⌒ ヾ
 ( ^ω^)心配するな

 彡⌒ ヾ
 ( ^ω^)トヨタは空飛ぶ自動車を五輪までに出すと豪語したからな
0116名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:39:45.36ID:UVmTGjRS
>>7
三菱も最初はホンダジェットと同じくらいのサイズから始めてるよ
お前が知らないだけ
0117名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:41:20.80ID:d9AUflAS
>>39
取りあえずやってるフリして定年を待つ感じだろうな。
0118名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:42:33.84ID:UVmTGjRS
>>109
飛行艇や水上機ってさ
飛行機の操縦ライセンスだけじゃなくて
船の免許も要るんだぜ?
空を飛んでる間は飛行機の、着水したら船の免許でって事になってるから
両方のライセンスを持ってる操縦士を雇わなきゃいけないんだぜ?
0119名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:49:01.26ID:biW7pC/v
>>107
それ嘘だよ!
0121名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:50:46.73ID:wWu5n1SK
エンジンはf−1のソフトを使ってシミュレーションして燃費を上げたらしい。ただ
アメの国内で作るにはGEの傘の下でつくるのが都合いいのでこうなったのだろう。
デザイン上は翼の上にエンジンを載せるというのはいまだかってない事だから
当初は嘲笑されたが、実際燃費がいいのでもう笑うものはいなくなった。
まあ三菱は国内で作らざるを得ない企業だからしょうがないと思う。
0122名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 22:53:13.02ID:0cC5N1oz
三菱のターボプロップMU-2は七百機以上売った世界的名機だったし、
ビジネスジェットのMU-300は今もピーチクラフト機として七百機以上売られてる大ベストセラー
MU-300の時もFAAの認承がグダグダに遅れたのとオイルショックで赤字となり、
製造権ピーチに売っちゃったんだけど、その後バカ売れというタイミングと経営判断の悪さ
0126名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:21:58.21ID:CHmxiIL3
米州の市場は半端ないから自動車超えて欲しいわ
0128名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:24:08.61ID:TP8Blg31
日本では使いみちがないなあw
0129名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:25:58.16ID:bHxBPOHi
いっそMRJもホンダが開発するとか。。。
0130名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:27:50.82ID:bHxBPOHi
なぜホンダは成功し、三菱のMRJは糞みたいな事ばかりするのか?

三菱(金持ちのコネ社員ばかり)

ホンダ(技術者が多い)

この差だろうね。
0131名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:29:02.72ID:39aN61yK
7人乗りのクッソショボい飛行機がちょっと売れて喜ぶジャップ惨めすぎんよwwww
0132名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:32:14.86ID:Ue0yH7ci
次は垂直離着陸ドローンジェットだな
0133名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:35:53.15ID:eNJKKNfN
>>131

ロケット次々成功させるからと言って日本を妬くのはおよしよ
  水車も作れぬ韓国人
0135名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:40:47.07ID:AgyWJj4U
>>19
おっ!?CVCCか?
0136名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:42:04.12ID:tpPpA7es
>>43
ちょっとデザインが・・だっただけなのにな
少し固めの足回りでアコードとの差別化を図ったんだがな
あの当時は柔らかいのが好かれたんだな
0138名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:45:41.43ID:f+XTGklY
F-35B戦闘機欲しい
0139名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:46:47.80ID:f+XTGklY
何人乗れるのかな
0140名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:47:53.44ID:tpPpA7es
>>131
ええんか?お前が帰ると壮絶差別とノロウイルスが
出迎えるパンデミックコリアインピョンチョンでは
オリンピック始まるそうだが?
防風ネットは日本製じゃねえか
ウンコ食ってる暇あったら水車の一つも作ってみろや
糞食い韓国人
0141名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:51:37.21ID:/0oZpf0H
>>125
本田は早く開発するためノウハウあるGEと組んだのに、米国型式証明とるのに難航してこれでも遅れたんよ
三菱はノウハウがなくサイズもデカいわけで、本田以上に型式証明取得が難航しそうなのが見えている
0142名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:53:24.81ID:xRV5E2xo
 


今日も三菱系の偽装ニュースが出てたな。
昔から「組織の三菱」とは言われてたけど
組織を守るために偽装しても、結局組織崩壊を先送りしただけ。

この辺叩きなおしてからMRJ再出発した方がいい気がして来る。


 
 
0143名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:53:39.69ID:azzyRBYX
ヘリの傑作機と同じで、偶然みたいなものも絡んでくるわけだが
他の会社の小型旅客機の設計方針などから違いを出すために
ホンダが取った設計方針が完成度の高いものになったいうことなんだろうね
フランスのシカム社のユンボみたいなもので
上手くいく機械っていうのは出てくるものだからね
0144名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:55:46.83ID:A6hThprF
最初エンジン配置がすごい違和感あったけど見慣れると実にいい
エンジン吊り下げ、後部配置につぐ衝撃だな
かと言ってこれに追従するメーカーは無いと思う
このサイズでこの配置なんだろうな
0145名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:56:03.88ID:g7tBgJln
鳴り物入りの官製プロジェクトより気ままにやった方がいい結果を出す
税金泥棒と夢じゃモチベが違うからな
さすがdrive your dream
0147名刺は切らしておりまして
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2018/02/08(木) 23:59:40.40ID:oX2KP3A0
いいものは売れるってはっきりしたな。
0148名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:02:01.34ID:SiqzdGjp
A10の後継機もこの方式でいいな
0149名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:02:37.89ID:7s7XRwME
>>133
今、ホンダの内部にスパイを送り込んで探ってるニダ。
再来年くらいにはウリジナル・ヒュンダイジェットの販売開始ニダ!ホンダより二割安く売って見せるニダ!
0153名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:05:51.98ID:/NmQh+6i
ホンダの欠陥車なんか乗ってたらバカかDQNだと思われるから乗れない。
0154名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:06:26.17ID:rm9LTcnk
2005年ぐらいから形は出来上がって空を飛んでたのにそこから10年だもんな
飛行機の道のりは長いわ。
人生掛ける人がいないと達成しない。
0155名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:09:30.85ID:Txl2hL0N
>>131

飛行機も作れないテョンにいわれたくない
0156名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:10:02.56ID:uLzMeEXO
>>152
無知
0157名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:11:03.75ID:9jFv+hkr
以前、ニュー速のスレで見たけど
オプションがアホみたいに高額なんだな。
トイレのドアが4万ドルとか、音声高度警報装置が10万ドルとか。

車のぼったくり価格の純正カーナビ商法よりも
さらに上を行く凄まじさ。
0158名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:13:32.30ID:bLiRXmYF
エンジンを主翼の上にのせるのは日本で実験機をずっと飛ばしてたよね。
0159名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:14:48.43ID:YCtvFpAO
 


ホンダの社長が国内移動するのに使うべきだな。
いい宣伝になる。

昔、米国ビッグ3が危なくなった時、社長がプライベートジェットで米国会に普請しに出向き、
議長から、
「この中でプライベートジェットではなくファーストクラスに格下げするつもりのある方は?」
「居ない?」
「議事録にそのように記録して下さい」
となった。

そう簡単には傾かんと思うが、ホンダなら自社製品だから何も言われまい。


 
0160名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:15:02.40ID:rm9LTcnk
>>157
5億円のものにオプションが1000万か
自動車の本体価格とそのオプションに置き換えれば分かること
文系はこれだからブツクサ
0162名刺は切らしておりまして
垢版 |
2018/02/09(金) 00:31:20.62ID:n8DDd2Yi
口先番長の三菱とはえらい違いだな
0163名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:35:16.83ID:YCtvFpAO
 


>>161

チョイ無理臭いな、ヘリなら美容整形外科の経営者が操縦していた例はあるが。


 
0164名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:41:54.17ID:xSgY9JCK
売上自体はNSXの方が売れて大きいらしいね
本当にプライベートジェットは小さな商売だな
0166名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:45:43.83ID:x3KZetK0
小型ジェット機は、昔ならばセスナの地位と言える。
この様な飛行機は、型式認定証を貰うまでが大仕事である、
三菱はそこでもたついた。
貰ってしまえば、長く商売が継続する品物。
兎に角目出度い、企業は儲かれば次が在る。
0172名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 00:58:47.88ID:Qa042Xth
三菱はダメだったのに、ホンダは凄いな。
やっぱりアレコレと口出しをする人が少ない環境の方が、製品開発には有利なんだな。
0175名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 01:18:40.51ID:CipMtxyQ
ホンダジェットのエンジン乗っけたバイク
デザイン優先でプロトタイプ作ってCMというのも面白いよな。
0177名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 01:38:25.13ID:xUdn99IG
どこかで乗れる所無いの?試乗一時間100万位なら試す人いそうだが。当然客席だけど。
0178名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 01:51:57.04ID:CipMtxyQ
東京周遊ヘリツァーってあるよね。
あれのジェット版でやってみれば面白そうじゃん。
ヘリより静かだし。

と書いてて思ったけど、客席窓特大仕様作れば受けそうだけどな。
0179名刺は切らしておりまして
垢版 |
2018/02/09(金) 02:01:21.10ID:E3Xn1v2d
富士山までご来光を拝みになんていいかも
海に沈む夕日の中を飛ぶなんてのも綺麗だろうな

朝ご来光に合わせて松本空港辺りまで飛んで
夕日に合わせて帰って来るツアーなんていいかも
0181名刺は切らしておりまして
垢版 |
2018/02/09(金) 02:05:56.79ID:9KfXCSXe
ソニーも見習え
0182名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 03:36:45.77ID:7AWKnnvc
ホンダの車には魅力を感じないが
ホンダジェットは欲しい
0184名刺は切らしておりまして
垢版 |
2018/02/09(金) 05:00:17.75ID:iaUUzO5S
ホンダは日本拠点で開発は無理だと判断して最初からアメリカでやってる
そこが三菱との決定的な差
0186名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 05:36:02.99ID:5O4cv+wV
>>14
言語による違いはすくないんじゃない。
日本語は曖昧な表現が多い。
標準書の英文化やったとき、日本語の曖昧な部分の修正から始めた。
通訳担当の方もいるんだけど、伝えたいニュアンスが変わってくるんだよね。
0187名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 05:59:38.25ID:wXZca9td
飛行機のプロジェクトをやれと言われた。入社2年目であった。そのときの気持ちを、藤野道格はこう言っている。
「小さなプロジェクトでした。40代の上司がひとり、その他は入社2年ぐらいの若手が6人です。上司はアグレッシブな人で、
これから飛行機の機体を作って実際に売るのだと宣言した。そこで説明されたコンセプトは、飛行機の自動操縦、自動制御、
オールコンポジットの機体開発だとかで、それは当時のアメリカのNASAが手がけているような最先端技術ばかりなんですよ。
僕らにしてみれば、これから泳ぎを覚えるというのに、数年後の目標はオリンピックの水泳だと言われているようなもので、
自分たちの実力と開発コンセプトとテーマが、あまりにも離れすぎていてギャップが大きい。どこまで真面目に考えていいのかさえわからない。
なにしろ飛行機の設計をやれる人がいない。上司は意気軒昂で、こういう飛行機を作ろうとスケッチを描いたりするのですが、
飛行機を勉強してきただけの僕が見ても、それは飛びませんよと思うわけです。飛行機は物理現象で飛んでいるわけですから、それを無視したら飛びませんからね」
 自動車メーカーが飛行機を作ろうとした、こうなるという話であろう。ようするにホンダはゼロからホンダジェットの研究開発をスタートしたのであった。



「会社からは、世界最先端の技術を学んでこいと言われました。私は学校で制御を学んでいましたから、
フライトコントロールの最先端技術や理論を学ぶのだと送り出されたのですが、ミシシッピ州へ行ってみたら、
そのようなことを学ぶ場所ではないことがわかりました」と藤野は言っている。
「ラスペット飛行研究所は、手作り飛行機を作っているような研究所でしたね。既存の単発ターボプロップ機の主翼と尾翼を、
コンポジット材(複合材料)で作りなおして、機体を軽量化するという研究をしたわけですが、毎日、部品を作っては、
ヤスリがけして、自分の手で飛行機を組み立てるような作業をしていた。最先端技術や理論なんて、どこにもないのです。
飛行機の機体は、綿密な構造計算の上で設計されるものなのですが、単発の小さな飛行機とはいえ、すごく簡単な計算をするだけでした。
さすがにある日、こういうやり方でいいのですか、とミシシッピ州立大学の教授に問うたわけです。そうしたら教授は、近くにあった椅子を指さして、
こういう椅子を設計するときに綿密な構造計算が必要だと思うのか、と言われました。これにはショックをうけましたね。こういうところに来たのかと、物凄いギャップを感じました」
 ただし藤野は、ラスペット飛行研究所での経験は貴重なものだった、と後に気がついている。
「たしかに実際に図面を描いて飛行機を設計し、自分で部品を作り、組み立てる。自分で飛ぶことも出来た。
それまでは航空学科を卒業しているだけで、飛行機にさわったこともなければ、ましてや操縦したこともないわけですよ。
だから実際の経験が出来た。自分の手でボルトをしめたリ、リベットを打ったりする。こういう経験は、本場アメリカの航空機エンジニアですら経験していない。
飛行機の設計は出来るけれど、飛行機を作ったことがない。そういう経験は貴重だと後でわかった。しかしそのときは満足できないわけですね。
もっとハイテクなことを学びたいと思っている。だから昼間は飛行機を手作りして、夜はハイテク理論を勉強していました
0188名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 06:01:59.37ID:wXZca9td
1988年になると、本格的な飛行機開発がスタートした。実験機と位置づけられたMH02型の開発計画である。
 
「普通の飛行機の機体はアルミ製なのです。しかし私たちに与えられたミッションは、オールコンポジットの機体を作れ、ということでした。
コンポジットとは、プラスチックのなかにグラスファイバーみたいな繊維が入っている素材です。樹脂と繊維を編み合わせた構造で、
それを重ねて作るのがオールコンポジットです。アルミ製にくらべると利点は多くあります。軽くなる可能性が大きい。アルミ製より疲労に強い。
また腐食しない。曲線とか曲面がきれいに仕上がる。ただし設計も製造も、きわめて難しい。設計に手間がかかるし、
専用の大掛かりな製造設備を必要としますので、コストがかかる。いい技術陣がいて、いい理論があり、いい実験データが豊富で、
専用製造設備があればオールコンポジットもいいでしょうが、それがなければ成立しない。設計が難しく、製造が難しく、コストがかかる。
オールコンポジットの機体開発は、MH02の開発に着手した時点では、まぎれもない最先端技術でした。現在でも先端技術と言っていいと思います」
 藤野は言葉にこそ出さなかったが、オールコンポジットの機体開発は、あまりにも冒険的であったと言いたげだった。
 だが、ホンダ上層部の意志は強固であった。いまのホンダの技術水準では到達不可能と思える最先端技術であるからこそ、
チャレンジングな研究開発テーマになるのだという強烈な哲学が本田技術研究所には伝統的にある。そのとき最高の最先端技術に挑戦するからこそ、
技術的体力が身につくのだという考え方だ。
 そうしたホンダの技術開発哲学について、藤野はひらたい言葉で、こう言っている。
「飛行機開発を始めたとき、上司から与えられた研究テーマについて、これは出来ませんと答えると、物凄く怒られるわけです。
出来ない理由を説明すると、もっと怒られます。出来ないことはない、と言うわけです。そうやって怒られながら僕は学びましたね。
出来ない、と思ったら、出来る方法を考える。出来ないと答えれば、怒られるけれど、こうすれば出来ますよと言えば、
比較的うけいれてくれる。ならば、やってみろ、ということになる」


1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。
しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。ここにきてホンダは、飛行機開発の設計、
機体組み立て、地上テスト、飛行試験までをすべて自分たちで実行し、飛行機をゼロから設計して飛ばすまでの貴重な経験を積んだ。
 初飛行のときのことを、藤野道格はこう言っている。
「もちろん綿密に計算して、間違いはない、という確信があるから飛行試験を開始したわけです。間違いは許されないですから、
すべての部品は計算して設計しテストしているし、機体はすべてチェックしている。ただし、自動車同様に飛行機にも特性というものがあります。
MH02の場合は、エンジンが機体の上についている特殊な形をしているので、離陸するときに操縦桿を強い力で引く必要があるという特性があった。
パイロットには、そのことを説明したのですが、そういうことは経験しているから大丈夫という感じで、あんまり心配していなかった。それで無事に離陸しました。
僕はそれを自分の目で見られないのです。設計者たちは、離陸するところが見えない場所で、テレメーターとかデータを見ていなくてはならないので、
あっ飛んだな、とデータを見てわかりました。初飛行をおえたときは、それは嬉しかった。嬉しくて嬉しくてしょうがないというのではなく、
ほっとした、という気持ちが強かったですね。なにしろ初飛行直前の3日間は、毎日2時間ぐらいしか眠る時間がなかったので、疲れているし眠たい。
無事に初飛行をおえたあとは、早く帰って寝たいということだけでしたね」
0189名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 06:06:59.92ID:e+DGT64P
>>5
そーいえばあったな。なんだっけ?日産が二足三文で買ったんだっけ?
0190名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 06:08:38.98ID:e+DGT64P
>>183
大麻で逮捕がヒットしたよ!*\(^o^)/*
0191名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 06:08:53.36ID:wXZca9td
この実験機MH02型のエンジンは、実はホンダ製ではなかった。PWC社製のターボファン・ジェットエンジンを搭載していた。
ホンダは藤野たちの航空機プロジェクト立ち上げの1986年に、航空機エンジン開発のプロジェクトも立ち上げている
。したがって、おそらくホンダのターボファン・ジェットエンジンの開発が、MH02型の飛行試験開始までに間に合わなかったのだろう。
藤野道格は機密保護の立場から、そのことについて詳しく発言することをしない。
 ただしホンダのターボファン・ジェットエンジン開発については、このような雑感を言っている。
「自動車用エンジンとは、まったく別のものですからね。凄い高温で、凄い遠心力で回転するエンジンですから、材料を限界まで使うし、
その使用条件も品質も異なりますから、大変な開発だったと思います。とはいえエンジンは、ホンダはエンジンの会社だというのがあって
、エンジンは自分たちの手の範囲内にあると思っている人が多かったようですね。だから航空機エンジンを作って、
航空機メーカーに売るというほうが比較的実現性が高いと思うわけです。そのほうがビジネスの範囲もうんと狭くなるし、
投資の回収は難しいかもしれないけれど、リスクは少なくなる。そういうことがあって、航空機エンジンの開発は今日まで、
ずっと継続されてきました。僕らのほうは途中で何度も航空機研究を続けることが難しい状況になりましたけれどね」

「飛行機開発を始めたとき、上司から与えられた研究テーマについて、これは出来ませんと答えると、物凄く怒られるわけです。
出来ない理由を説明すると、もっと怒られます。出来ないことはない、と言うわけです。そうやって怒られながら僕は学びましたね。
出来ない、と思ったら、出来る方法を考える。出来ないと答えれば、怒られるけれど、こうすれば出来ますよと言えば、比較的うけいれてくれる。
ならば、やってみろ、ということになる」
 本田技術研究所では、困難な研究開発をするとき「2階にあげて、ハシゴを外し、下から火をつける」という手法がとられる。
オールコンポジットの飛行機機体開発は、まさにそれだった。ホンダの人材育成は、まことに強烈である。強烈だからこそ、短時間で成長してきたのだという自負がある。
 実際問題、藤野たちの研究開発チームは、設計に必要とするコンピュータ・プログラムの開発から着手している。
航空機開発用の風洞実験設備がなかったので、自動車の屋根に風洞測定モデルをくくりつけて、自動車用テストコースを走って
空気の流れや力を測定したという笑い話のようなシーンすらあった。
 藤野自身も自動車技術者から航空機技術者へと成長していた。開発拠点はアメリカのミシシッピに置いていた。そこで藤野は、
ベテランのアメリカ人航空機技術者と出会い、師事している。
「超音速機や超大型機の開発に挑んできたアメリカの超一流の技術者と仕事を通じて出会えたことである。彼らとの関係を通じて、
過去の航空機開発における技術やその歴史、そして成功体験でけでなく失敗事例や問題点などを、あたかも同時代を生きたかのように直接学びとることができた」と藤野はレポートに書いている。
 また、アメリカでの研究開発業務活動では実際にビジネスジェットを使う機会があり、商品としてのビジネスジェットを見る目が鍛えられたという。
 こうして5年間の精進が続けられた。そして1993年に、MH02型実験機は、初飛行に成功するのであった。
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2018/02/09(金) 06:09:37.33ID:wXZca9td
実験機MH02型の試験飛行が終わった1996年から1年半ぐらいの期間は、藤野道格にとって、いちばん辛い時期であった。
「要素研究は許されたのですが、先が見えないわけですね。これは辛いです。ここからもう一度、航空機研究プロジェクトを巻き返したいとは思っていたのですが、
やっぱり無理かなという考えも頭をもたげてきます。諦めて、ホンダを退職して、他の会社へ行くかという考えも出てきます。その頃に、マラソン選手の話を本で読んだのです。
マラソンをしていて苦しくなったときは、ゴールまで40キロを走るのだと思わないで、とにかく次の電柱まで走ろうと思って走り続ければ、完走できるという話でした。それを読んで、
とりあえず次の電柱まで走ってみるかという気持ちになりました」
 と藤野は言っている。そして1年半がすぎた頃、藤野は当時のホンダ社長である川本信彦に呼ばれた。
 そのとき藤野道格は、新しい航空機研究のコンセプトを話している。それはとても具体的なビジネスジェット開発アイデアであった。
 従来のビジネスジェットより燃費を20、30%向上させて、3、4人が搭乗したときの1人あたりの運航コストが国内線のファーストクラス並であること。
キャビンのスペースがひとクラス上の機体と同様の広さで、対面シートに座った乗客の足がお互いにぶつからないこと。きちんとしたドアがついたトイレを設備し、
乗客人数分のゴルフバッグが無理なく積める荷物室があること。最高速度は400ノット(時速約740キロ)をこえ、ノンストップでニューヨークからマイアミまで飛行できる、
高性能な小型ビジネスジェットであること。購入者の所有欲を満たす魅力的なスタイリングとインテリアであること。
 以上の性能をもたせるために、エンジンを主翼上面に搭載するという斬新かつ挑戦的な技術課題を考えていた。従来の小型ビジネスジェットのように胴体後部にエンジンを搭載すると、
胴体後部にエンジン支持構造が必要となるので、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにできない。だからエンジンを主翼に搭載することを考えた。
それもジェット旅客機のように主翼の下面に吊り下げるのではなく、主翼上面に搭載する。この方法は、空力や重量配分の問題解決が難しいために、
いままで実現されたことがなかった。そのような未知の技術開発に挑戦して実現すれば、新しい小型ビジネスジェットのスタイルを生み出すことになる。ホンダ好みの、まことに挑戦的な技術コンセプトであった。
 この藤野のアイデアを聞いた社長の川本信彦は「このアイデアをまとめて、経営会議へもってこい」と言った。「これは千載一遇のチャンスだ」と藤野は思った。
 こうして経営会議に、新しい航空機研究プロジェクトが提案され、そして承認された。藤野が提案したコンセプトを実証するためのプロジェクトである。
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2018/02/09(金) 06:11:41.12ID:wXZca9td
1997年、ふたたび藤野道格たちは、航空機製作のプロジェクトに着手することになった。
独自に研究開発を続けていたホンダ製ターボファンジェット・エンジンが実用化の段階へと仕上がり、それを搭載することが決まった。
「主翼上面にエンジンを搭載したホンダジェットの設計には2年間の時間が必要だった」と藤野は言っている。入念な計算、何度も繰り返される
コンピュータ・シュミレーション、そしてテスト、風洞実験と、「絶対に大丈夫だ」と思えるまで時間をかけた。
 ここでふたたび自動車メーカーが航空機を作ることの難しさに、藤野は何度も直面する。
「オートバイやクルマなら、厳しい評価ができますが、飛行機だとピンとこないというか、知識も経験もないのですから、ホンダの社内でも話が通じにくいことがありました。
本質的な理解が得られているのかどうか、判断が難しいことすらあった。いちばん異論が出されたのは、主翼上面にエンジンを配置するアイデアでした」
 それまでの一般的な航空機設計理論では、主翼上面には何も配置しないというのが常識であった。
しかしホンダジェットでは、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにするために、 主翼上面のエンジンを配置する設計である。
たしかに主翼上面にエンジンを配置することは技術的に難しいことであった。空気抵抗が増加し、高速飛行時の空力特性が悪化するからである。
 そのような問題を、藤野は技術課題として設定し、主翼まわりの空気の流れと、エンジンまわりの空気の流れを、うまく組み合わせれば、
高速飛行時の空力特性を悪化させない圧力分布が 可能ではないかと考えたのである。この考えにそって、主翼上面の最適位置のエンジンを搭載すれば、
高速飛行時の空力特性を悪化させず、むしろ向上させる可能性があることを、 コンピュータ・シュミレーションを何度も繰り返すことで発見していた。
最終的に、最新鋭のCFD(数値流体掲載シュミレーション)でコンセプトをかため、ボーイング社とNASA(アメリカ航空宇宙局)の遷音速風洞試験で実証したのであった。
 こうして藤野は主翼上面にエンジンを配置したホンダジェットを設計するのだが、社内での技術的理解を得ることは困難であった。
「理論で説明し、実験結果を提示しても、なかなか理解してくれなかった」と藤野は言っている。
「きちんとした評価をアメリカの航空学会でもらえれば、きっと安心して理解してくれると私は考えました。またホンダが変な形の飛行機を作ったというネガティブな印象をもたらすと、
ホンダのブランド・イメージを傷つけてしまうかもしれないという懸念もありましたから、学会だけはきちんと攻めて、評価を得ておこうという考えもありました。
ただし、よい評価を得られるかどうかは、ひとつの賭けだなと思っていました」
 エンジン主翼上面最適配置について、藤野は技術論文を書き、アメリカの航空学会で発表した。
 その技術論文を、アメリカ航空機設計委員会は高く評価した。飛行機設計における重大な発見のひとつである、と論評されたのである。
飛行機設計の専門誌である『AIAAジャーナル・オブ・エアクラフト』誌に論文が掲載されるほどであった。
 エンジン主翼上面最適配置という最新飛行機設計技術は、社内はもちろんアメリカの航空学会でも理解と支持を得られたのである
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2018/02/09(金) 06:14:06.42ID:wXZca9td
2年がかりの入念なホンダジェット設計がおわると、いよいよ実際に試作機の製作を始めた。1999年のことである。
 設計図に描かれたホンダジェットは、実験機MH02型よりひとまわり小型であったが、キャビンスペースは広くなった。
エンジン主翼上面最適配置を採用したから可能になったことである。
その胴体は、すでに10年間の研究が積み重ねられているコンポジット構造であった。胴体は、ノーズから最後尾すべてまで、徹底して空気抵抗が低減されていた。
空気抵抗を減らせば、
飛行性能が向上し、さらに燃費向上まで可能になるのは、自動車設計と同じである。ホンダが作る小型ビジネスジェットであれば、高性能で燃費がいいのは当然という考え方だ。  
エンジンを搭載する主翼はアルミ製であった。実験機MH02型は胴体と主翼すべてオールコンポジット構造であったが、商品化をめざすホンダジェットは、
より現実的な選択として主翼はアルミ製となった。
 こうした現実的な技術選択が出来るようになったのは、藤野道格が航空機設計者として成長したからだろう。
必要な技術を必要に応じて使いこなすという設計手法はベテランのものだ。藤野はこう言っている。
「商品化するという目標があり、それはビジネスですから、コストを考える必要があります。コストに糸目をつけないで性能だけを追求するというのなら
オールコンポジット構造がいいと思います。 しかしコンポジットの製造設備投資は大きいですから、ビジネスとして考えてコストパフォーマンスを判断する必要があります。
胴体だけをコンポジット構造にしたのは、 胴体はコンポジットの良さを最大限に活かせるからですね。そうではないところ、たとえば主翼はアルミを使うべきだという、
ベストのコンビネーションでやろうと判断をした。
あまりにコンポジットにこだわると、エンジニアの視野を狭くしてしまい、何でもコンポジットで作ろうとして、簡単なLブラケットまでコンポジットだと考えてしまう。
Lブラケットなどはアルミで作れば30ドルの部品なのに、コンポジットでは100ドルになってしまう。飛行機の全体をまとめるときには、どこがコンポジットか、
どこがアルミかを、きちんと見極めなければならない。 そういう観点で全体を考えると、やはり主翼をアルミにするのが、最良のコストパフォーマンスを生み出すと判断した」
  ホンダジェット試作機の製造に取り組んでいる間も、ホンダ社内では航空機プロジェクトの存在を問いなおす議論が続いていた。
2001年になると、商品化しないという声が大きくなってきた。
「2001年ぐらいから、航空機プロジェクトは、もうやめるという話が出てきた。ところが福井(威夫/第5代社長)さんが、まだ研究所の社長だったと思いますが、
とにかく飛ばすところまでは絶対にやるべきだ、 と言っていると伝わってきた。この福井さんの意志は、福井さんが2003年6月にホンダの社長になってから、
ふたたび表明してくれました。あのとき福井さんが言ってくれなかったら、はたしてどうなっていただろうかと考えることがあります。
私の人生というか、ホンダの航空機プロジェクトは、つねに綱渡りですよ。ひとつ間違っていたら、ホンダジェットは生まれていない。
本当に危なくなったときに、どこからか助け舟が出てくる。あるときは、その人が川本(信彦/第4代社長)であり、福井さんだった。
どこかで私たちの仕事を見ていてくれたのだと思います。
いまはホンダって、こういう会社なのだろうと思いますが、プロジェクトが危機にひんしたときは、そんなことは考えられない。
これでプロジェクトが中止されたら、ホンダを退職して、他の仕事をやろうと何度も考えましたからね」
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2018/02/09(金) 06:14:37.06ID:wXZca9td
こうした紆余曲折のなかで、ホンダジェットの試作機作りが続けられていた。細心の作業で組み立てを完了すると、入念な強度試験がおこなわれた。
次の段階は地上走行試験と初飛行であった。  
  そして2003年11月に、地上走行試験、航空機業界の言葉ではタキシー試験を開始できた。そのときの感動を、藤野はレポートにこう書いている。
「格納庫から太陽の下にあらわれたホンダジェットのプロトタイプは、既存機と比較して格段の新しさであった。地上ステアリング走行試験で、
ホンダジェットが8の字にランプを自走する姿は、あたかもフィギュアスケートの選手がリンクの上でのびのびと滑るかのような美しさがあり、
この瞬間は長い開発過程のなかでも格別な感慨を感じた」  
  1986年に航空機プロジェクトを開始して以来17年がすぎていた。その17年間を全力で走り抜けてきた者のみに許される感動の瞬間であった。
 ホンダジェット試作機の初飛行は2003年12月3日に成功している。タキシー試験の直後であった。このときの藤野の感想は、
エンジンをふくめてオールホンダ製の航空機が初めて飛んだにもかかわらず、タキシー試験のときほど心が躍動していない。疲れはてていたからである。
「初飛行前は凄く忙しくて、とても疲れていました。だから、やっと初飛行に成功してホッとしたという気持ちが半分。あとの半分は、これですべて終わりになるのかという
複雑な気持ちがしていた。研究所の上司は、初飛行まではやると言っていたから、これで終わりになるかもしれないわけで、希望をもってやったというより、
自分で自分にケジメをつけるためにやっていたから、嬉しくて嬉しくてという感じではなかったですね。疲れきっていたから、飛んだのは嬉しいけれど、
これで終わりだという気持ちのほうが大きく感じたのだと思います」
  初飛行をおえた藤野は、3週間の長期休暇をとってバハマへ行った。バハマのリゾートホテルのレストランで、ひとりのアメリカ人と知り合った。
自分のビジネスジェットでバハマへ家族連れで遊びに来たという。ホンダジェットを知っているかと質問すると、よく知っていると答えた。
「知っている人がいるのだと思って、嬉しかったですね。するとその人は、あんなにカッコいい飛行機はいままでなかったから、ぜひ買いたいと思っている、
と言ったのです。驚いたというか、こういうふうに思ってくれる人がいるのだという気持ちがしました。まったく知らない人から、そう言われて、少し元気が出て、
3週間休んでいたから体力が回復してきて、もうちょっとやってみるかという気になった」
 と藤野は言っている。休暇をおえると、事業化をめざして飛行試験に取り組んだ。
 ホンダジェットには、開発の目標とした性能や商品力があることを確認したが、社内では相変わらず事業化への声が盛り上がらない。そればかりか、
もしホンダジェットを市販して、それが墜落でもしたら、ホンダの4輪商品のセールスに大きなダメージを与えるだろうという真摯な意見もあり、そう言われれば藤野は黙るしかない。
「ホンダは飛行機が好きな人は多いから、みんな飛行機をやりたいという気持ちがあると思います。しかし経営者であれば、自分はやりたいけれど、
経営責任者としての判断はまた別ですからね。本当にホンダジェットが売れるのか、という心配があるでしょう。自動車メーカーが作った飛行機を、
買ってくれる人がいるのかという不安です。僕はハバナでの経験があったし、ホンダジェットは商品性が高いから売れると言っていたのですが、
そこがなかなか通じなかった。事業化できなければ、本当にすべてが終わるのだと思った」
  そう考えた藤野道格は、ひとつの秘策を用意した。最後の賭けに打って出た。
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2018/02/09(金) 06:39:10.37ID:NAm0Xzjh
ホンダジェットを航空ショーに展示しようと考えたのである。2005年のことだった。
 そのときの気持ちを、藤野はこう言っている。
「ホンダジェットを事業化する、つまり製造販売できなければ、ここで終わりだと思いました。社内では事業化は難しいだろうという意見が多いと感じていましたから、
航空機プロジェクトが終了する公算が強かった。20年間やってきたホンダの航空機研究が、これで終わるのならば、きちんと総括しておきたかった。
入念な飛行試験をやって性能や商品性を確かめたし、技術論文はアメリカの航空学会で評価をうけた。もうひとつやっておきたかったことは、
ホンダジェットを一般の人たちに公開することでした。飛行機のユーザー層や航空機ファンたちに評価してほしかった。それで2005年7月にアメリカのウィスコン
シン州で開催される
オシコシ航空ショーに出展する計画をたてた。その計画が承認されて実現するわけですが、僕は複雑な気持ちでした。これが最後の活動になるかもしれない。
しかしオシコシ航空ショーで展示することで、多くの人たちの評価がえられれば、事業化への道が切り開けるかもしれないという、かすかな望みをもっていました」
 オシコシ航空ショーは自作機や民間機ための航空ショーである。世界中から航空機技術やファンが集まる。まさにホンダジェットにふさわしい発表会場だった。
 それは藤野道格にとって感動的な体験となった。彼はレポートに、こう書いている。
「ホンダジェットがオシコシ・エアショーにあらわれたとき、1000人をこえる飛行機ファンたちが、ホンダジェットを一瞬にして取り囲んだ。
朝の澄み切った空気を貫く日射しをうけたホンダジェットの強烈な存在感。それを見る人びとの熱気は、それまでの人生で経験すらしたこともないものであった。
人びとの発するエネルギーが空気の圧力として全身に伝わってくるのを感じた。」
 航空機ファンの何人もが「こんなに美しい飛行機は見たことがない」と口々に言ったという。藤野の想像をこえる熱狂的な反応があった。
 そうした航空機ファンにまじって、ホンダの第4代社長の川本信彦、第5代社長の吉野浩行、アメリカ・ホンダの社長であった雨宮高一が航空ショーの現場にいた。
「このオシコシ航空ショーから、ホンダ社内の流れに変化が出てきた」と藤野は言っている。その機運を見逃すことはなかった。事業化のための企画提案を、何度もおこなった。
 自動車メーカーが開発した飛行機を買う人がいることを経営陣に理解してもらわなければならない。飛行試験で性能を確認し、技術論文で独自技術のステイタスを高め、
航空ショーで一般の人たちの評価を得たあとは、ホンダの経営者たちにホンダジェットの高い商品性を認めてもらえばいい。そこが事業化への突破口となった。
 たとえばホンダジェットには、きちんとしたドアがあり個室になるトイレが設備されているが、それはいままでの小型ビジネスジェットにない設備であった。
従来の小型ビジネスジェットはキャビンスペースが狭かったので、カーテンで仕切るような緊急用のトイレしか設備していない。
 そのようにホンダジェットは、徹底したお客様目線での設備や装備があった。これこそが自動車メーカーが作る飛行機の商品的な魅力であった。
大型ゴルフバッグが4つ入る荷物室なども、その一例である。これは自動車のトランクスペースを開発するときと同じ考え方だ。
 そのほかにも自動車メーカーならではの強みが発揮されている。機能とデザインを両立したインテリア・デザイン、地上を走行しているときの乗り心地、
フィーリングのいいブレーキペダル、しっかりと効き気持ちのいいブレーキ・システム、電子制御のステアリング・システムなど、高級乗用車開発の技術をいかんなくつぎ込まれている。
 こうしてオシコシ航空ショーから、およそ半年後の2006年3月に、ホンダジェットの事業化が決定された。
0198名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 06:49:06.08ID:bSayn/Eq
藤野道格は「たった一度だけ、本田宗一郎さんにお会いしたことがある」と言っている。
「たしか29歳のときだったと思う」と藤野は言っているから、1989年あたりの頃であろう。
本田宗一郎に29歳の藤野道格が会ったのは、本田技術研究所の基礎技術開発センターを視察したときであった。その思い出を藤野は、こう言っている。
「ホンダが飛行機を研究していることは、極秘事項でした。そもそも基礎技術開発センターの存在自体が、社内でも秘密になっていて、
従業員でも知っている人は少なかった。そういう基礎技術研究センターに本田宗一郎さんが来られた。そのときの上司は、
僕に、飛行機をやっていることは本田宗一郎さんには絶対に言ってはならない、と厳命しました」

 本田宗一郎が飛行機を作ることを夢みていたのを藤野道格は知っていた。だから、なぜ、本田宗一郎におしえてはならないのかが、よくわからなかった。
飛行機研究をやっていると知れば、とても喜ぶのではないかと思ったからだ。藤野は本田宗一郎の喜び顔が見たかったのである。
 ところが上司は、こう言ったという。
「もし、飛行機研究をやっていると知ったら、引退を撤回して研究所の現場に戻ってきてしまうかもしれない。あるいは、いろいろな意見を言ってくるだろう。
そうなったら研究所の仕事がめちゃくちゃになってしまう可能性がある。だから絶対に言ってはならない」
 本田宗一郎はそこまでエネルギッシュだった。そういう人物でなければ、たった一代で世界的企業を興すことはできない。
 藤野は上司の厳命を守った。その直後のエピソードは、藤野の人柄をよくあらわしている。本田宗一郎の視察がおわり、緊張していた藤野がトイレに入ると、
そこで本田宗一郎が用をたしていた。藤野はこう言っている。
「トイレに入ったらアロハシャツを着ている人がいた。すぐに宗一郎さんだとわかった。僕は、飛行機やっているんですよ、と言おうかなと思った。
でも、言えなかった。言ってはいけない。宗一郎さんとすれちがったとき、お前は暗い顔をしているけれど飛行機でもやっているのか、
と声をかけてくれるかなと期待しましたね。しかし何事もないように、すれちがっただけでした。あのとき、言ってしまえばよかったなと思うことが、いまでもあります。
宗一郎さんが、どんな顔をなさって、何をおっしゃるのか、それは聞きたかった。とても聞いてみたいことでした。しかしチャンスを逃してしまった。それがたった一度のチャンスだったのです」
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2018/02/09(金) 07:21:52.30ID:f88tgIbV
車屋が作る小型ジェット機は優秀で見事にビジネスとして成功させた。
飛行機屋が開発したリージョナルジェット機は未だ引渡し時期も確定出来ず採算ラインを越える受注見込みが立たない。
0200名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 08:00:33.61ID:pi6PDywW
本田宗一郎が知らなかったのは意外だな
0201名刺は切らしておりまして
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2018/02/09(金) 09:23:16.70ID:y/1OyUTY
カレンダーは去年は7月で今年は1月がホンダジェットだったけど業績への影響は微々たるもんなのにリスクが大きすぎない?いつかは事故があるんだろうしその時のブランド毀損がハンパない気がするが
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