★朝鮮半島の古日本人倭人が日本人の祖先

日本人の祖先の8割は朝鮮半島南部経由で日本列島に渡って来た弥生人。2割は朝鮮半島や樺太から古い時代に渡って来た古いタイプのモンゴロイドと言われる。

自分は、倭人の本拠地は朝鮮半島南部の任那(加羅諸国)、以前教科書にここに大和朝廷の飛び地があったと記述されてたが、ここが倭人人の本拠地と推測する。

ここは大陸の春秋戦国の戦乱から逃れた漢族の亡命先でもあり、文化・技術が進んだ地域だったと推測。現在漢字の読み方が日本に多くあるのは、各地域の漢族が任那や列島に渡って来たからとも推測する。

明治維新以降日本が発展した理由の一つは日本が亡命した優秀な漢族の血を受け継いでいる可能性もある。

ここの言葉が日本列島の国語となったと推測する。日本語の起源は朝鮮半島の一方言だったと推測。

中大兄皇子・後の天智天皇が百済救援の為に救援軍を出し唐・新羅連合軍に白村江の戦いで大敗している。これは日本人の本拠地が朝鮮半島にあったから出兵したのではと推測する。

百済の中興の武寧王は佐賀県唐津市加羅島で生まれたという。当時、九州北部と百済は言葉が方言程度で通じた可能性がある。桓武天皇の生母である高野新笠は、 武寧王を遠祖とする渡来人系の和氏の出身.

唐津市は松浦佐用姫伝説(新羅征伐で海を渡った大伴金持の息子との別離、悲しみの余り石となった伝説)など朝鮮半島に関わる話が多い町。因みに唐津の(から)の読みは唐帝国でなく半島南部の加羅諸国とから来ている。加羅諸国とは任那日本府と言われた地域。

加羅諸国は鉄の産地であり、日本武尊伝説と鉄器の関係があると言われる。大和朝廷は鉄器の力で日本を関東から北九州まで統一した政権であり、鉄の産地加羅諸国と強い結び付きがある政権だった。

中国の史書・宋書に倭の5王が宋に度々使者を送り、朝鮮半島で高句麗との争いで倭の半島での覇権を主張している。

満州には高句麗の好太王の碑があり、倭の軍を撃退したとの記述がある。この倭とは朝鮮半島の南部の勢力を含めた勢力ではないかと推測する。

その後、任那(加羅諸国)は新羅に滅ぼされてしまう。そしてこの地の古日本語も後に消滅。現在朝鮮半島に日本語らしきものは残って無い。

朝鮮半島の古日本人はモンゴル族・女真族・漢族の侵入で日本人の気質・言葉とも消滅。

そして日本が当時無謀と思われた日露戦争を戦ったのも当時の明治政府内で日本人の故郷は朝鮮半島にあり、そこをロシアに取られてならぬという認識があったのではと推測する。

日韓併合後に朝鮮半島に日本の東北など国内の貧困をかえりみず半島に投資したのも日本人の故郷は朝鮮半島の認識があったと思う。

朴政権成立後、日韓友好条約を結び、韓国の発展に支援したのも日本人の故郷は朝鮮半島の認識があったと思う。