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■「モーレツ社員」の生き方

 イッツは英語で「優れもの」を表現するが、同時に「僕たちが欲しかった物はそれだ」の意味を込めた。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、掃除機など一人暮らしを始めるのに必要な電化製品を全て藍色に染めて、シリーズとして売り出した。「藍」は日本文化の象徴でもある。

 「『白いご飯を炊くのに、青色の釜で炊けるか』となじられ、理解されるのに3年はかかった。どうしたら説得できるか、そのときは血みどろに24時間考え続けた」

 毎週、毎週の会議。夜の8時や9時から会議が始まることはざらだった。会議が終わってから同僚で飲みに行く。飲み会は会議の延長だった。

 若者の声を聞くため、毎週金曜日、大阪から東京・六本木の盛り場に通った。40代半ば、若者ばかりのライブコンサートにも行った。「耳をそばだてながら、彼らがどういう生活をしているかリサーチしていた」という。

 特に三洋は後発メーカーで、メーカー順位は4番目。「人が一やるところを二やれ」と言われていた。家庭を顧みず、「奥さんはあきらめていた」が、当時の企業戦士が猛烈に働くのは当たり前で、その分もうけた。給与が毎年2割ぐらいずつ増えたという。

■「経営者は現場へ行け」

 翻って今の時代、働いても働いても給料が大幅に上がったり、暮らしがよくなったりする実感はない。いつの間にか、三洋電機はパナソニックに買収され、栄華を誇った東芝さえも、1兆円近くの赤字を抱え、会社の存続すら危うくなった。

 「大企業病にかかって、現場の情報を肌で感じていないのでは。だから判断が狂う。東芝の場合でも、悪いのは社員ではなく、一部の経営者だけ。三洋電機もそうだった。判断する人間がさぼって、あぐらをかいていたのでは。現場には、言葉で表せない見えない情報がある。六感を総動員して感じなくてはいけない」

 熱田さんは今の電機業界をそう分析する。分業化や事業部制が進化して、ラインの長が所管部署の責任を果たすことにきゅうきゅうとして、会社全体に対する責任感が希薄になっているとも指摘した。

 政府の働き方改革についてはこう苦言を呈した。

 「残業規制は二の次。仕事をやらされるのではなく、自ら仕事をつくってモチベーションが上がれば、それで忙しくてもストレスにならない。モーレツ社員を否定しないでほしい。上司は基本、部下や社員を信頼することだ」



 モーレツ社員 美女のスカートが風でめくれてパンチラする石油会社のCMから流行語となった「モーレツ」。1970年代、自分の身も家族も顧みない会社員は「モーレツ社員」と言われた。朝礼で社歌を歌い、終電まで仕事しただけでなく、会社で寝泊まりする社員もいた。今では、会社に家畜のようにこき使われるという意味で「社畜」とも揶揄(やゆ)される。