自分の名前を表に出さない、報酬不要、という条件で田園調布含めた田園都市線の沿線計画をアドバイスしたのが小林一三。
阪急を箕面まで敷いた時は、銀行から庶民にまで「あんなとこに電車走らせて誰が乗るねん」と言われてたのを、みごとに成功させた。
池田に小林の元自邸なる記念館があるが、晩年の小林が好んで滞在したのは田園調布の家。
阪急創業者とか、宝塚歌劇の父とかで、大阪の人だと信じてる人がいるくらい関西財界にとって忘れられない人物だけど、出身は山梨でガチガチの慶應閥の人だった。