長文の昔語りだから興味のない人はスルーしてくれ

その昔、日本では無名だったフォガティーが菅生で開催されたTT-F1世界選手権にやって来た時のこと
チャンピオンとして来たんだけど当時の全日本TT-F1はワークスマシンの全盛期で10台くらい参戦していた
RVFの宮崎、YZFのドーソン、ZXR7のフィリス、ヨシムラGSX-Rのポーレンとライダーも世界レベルだった
日本にやって来た世界TT-F1のレギュラー組はチャンピオンのフォギーとワークス活動をしていたノートンくらいで
逆立ちしてもポイントの取れない日本には来なかった(これは当時の8耐でも同じだった)
予選が始まり慣れないコースにプライベートマシンのRC30では全日本組にはついて行けるはずもなく予選を30位で通過しプライドもズタボロに
しかし決勝では非凡な才能を発揮し怒涛の追い上げを見せた
1時間20分を越える長丁場のレースでフォガティーは10位の宮崎RVFから遅れること7秒
11位の塚本ZXR7から僅か5秒遅れの13位でフィニッシュ
しかもベストラップは宮崎RVFよりも僅かに速かった
優勝はドゥーハンより速いオジーと言われていたYZFのドーソンだった
やがて彼はホンダからも注目される存在になり
8耐では念願のワークスマシンRVFが与えられチームメイトはマン島TTでライバルだったヒスロップと組み
ホンダのガードナー、ドゥーハン組、ヤマハのマギー、チャンドラー組に次いで見事3位入賞を果たした
今で言えば漫才のM1と同じで8耐で活躍すれば人生が変わると言われていた時代
一躍スターライダーの仲間入りを果たした彼はSBKドカワークスに向い入れられSBKのレジェンドに

長文になってしまったが
コースに慣れてないとかマシンが遅いとかは言い訳にはならない
レースは結果が総てだからベストを尽くすしかない
巧は当時のフォギーより遥かに恵まれているし全日本での活躍を見れば才能も上かもしれない
このまま埋もれてしまうのか芳賀のようなスターになれるかは彼の気持ち次第だと思う